白薔薇の棘が突き刺さる

08 毒が滲みる

 大学時代の同級生たちが活躍し、名が挙がるようになってきた。
 見知った名前を見つけたシュネージュは大喜びで、レオナールに新聞記事を見せた。

「アルフレッドが大活躍してるわ」

 彼はシュネージュと成績を争ったライバルでクラス内で唯一、彼女が気を許していた相手だった。
 レオナールは彼が大嫌いだ。シュネージュに勧められたから、一応、詰まらなそうに記事を見た。

「ああ、奴ならやりそうだ。卒なくなんでもやるからな」

 ふんと鼻息を吐くと、苛立ちが渦巻いた。本の頁を捲る音が荒い。
 シュネージュは機嫌の悪いレオナールのことなど気にせず、記事を読み進めていく。
 彼女が学んだ法律とこの国のものは似ているようで違いがある。隣国では国の成り立ちが違うのだから仕方ない。
 
「ねぇ、判例集はあるかしら?」
「ああ。書斎の本棚の右端に法律関係は纏めてある。とってこようか?」
「読書中なのにいいわ。わたくしが取ってくるわね」

 レオナールは読書を進めた。
 そのとき、金庫の鍵を締め忘れたことに気づく。悪い予感は当たるものだ。
 ふと顔を上げると、レオナールの前に青褪めたシュネージュが静かに立っていた。
 体中の筋肉がこわばる。
 視線がぶつかると彼女は金緑の瞳を細めて笑った。レオナールは知っている。シュネージュは腹が立てば立つほど、冷静になるタイプだ。

「ねぇ、これはなにかしら?」

 怒りを押し殺した声で、彼女は書類の束を差し出した。
 それを見た彼は、すべてが終わったことを悟った。
 シュネージュの手の中に、彼女の実家である伯爵家を破産寸前に追い込んだ商売の履歴があった。
 背中を冷たい汗が滑り落ちていく。

「答えないの?」
「……それは……その……」
「もごもご言ってないで、はっきり言いなさいよ! この裏切者!」

 レオナールの頬に衝撃が走った。シュネージュは渾身の力を込めて、書類の束で彼の頬を殴った。

 彼の策略により純潔を失ったと知ったシュネージュの怒りは凄まじかった。
 シュネージュはレオナールに飛びかかり、襟を掴んで激しく揺すった。

「貴方は、わたくしからどれだけのものを奪っていったの!」

 シュネージュは感情が壊れるほど叫んだ。
 激昂するシュネージュに、レオナールはなすがままだった。騒動を聞きつけた使用人たちが、扉の前に集まりだす。
 レオナールは、彼らに手で大丈夫だから去るように指示する。冷静な彼の行動は、シュネージュの癪に障り、彼女の怒りを更に煽った。

「君のことが好きだった。自分のものにしたかったんだ」
「だったら、何をやってもいいっていうの!」

 素敵な恋愛をして、幸せな結婚をするはずだった。シュネージュには、それが与えられるはずだった。だが、レオナールがすべて奪っていった。
 彼女は、憎しみの籠った瞳で彼を睨みつけた。
 レオナールは悟った。もう、彼女とは一緒に暮らせないことを。

「わたくしは貴方を決して赦しはしない」

 地から這うような声でレオナールに告げると、シュネージュは糸が切れた人形のようにバタリと倒れた。

 失神したシュネージュをレオナールは寝台に運んだ。
 規則的な呼吸音が聞こえて、レオナールは安堵した。栗色の髪を梳く。この髪が揺れるのが本当に好きだった。白皙の頬に手をあて、唇に触れる。この柔らかい脆さを知ったときには、すべてが遅かった。

「君はあの夜、騙したくないと言ってたね。……相手を騙して、信頼を失って……その先に幸せな生活が待ってるとは思えないと」

 いつかバレると気付いてた。
 レオナールは静かに笑った。もう彼は笑うしかなかった。自分が愚かだとは知ってはいたけれど、未来永劫続くと信じ切っていた自分は思った以上に愚からしい。

「ありがとう、楽しかったよ」

 その夜、レオナールはシュネージュにすべてを残して、姿を消した。



「いなくなった?」
「奥様にすべて残していかれました」

 執事から差し出された権利書をシュネージュは一瞥した。目を覚ました彼女には、そんなものより、知りたいことがあった。

「どこにいるの?」
「存じ上げません」
「……なんてことを」

 シュネージュは、更にレオナールに失望した。彼の評価は地に堕ちていたけれど、さらに地底へと掘り下げるつもりらしい。

 シュネージュは、部屋に籠った。涙など出ない。我慢している訳じゃない。泣いても無駄だから泣かないだけだ。

「逃げたのね……どこまでも屑なんだから」

 シュネージュは腹が立ちすぎて、冷静になった。

「絶対に許さないから。目の前に引き摺り出して、罪を贖わせるわ」

 信頼していた。だから、結婚したのだ。それなのに、彼は最初からシュネージュを騙していた。到底、許せることではない。
 レオナールを裁くのだ。目の前にひれ伏させ赦しを必ず乞わせる。シュネージュは彼を捕らえることにした。

 早朝、シュネージュの部屋で、ガタンと何かが倒れる大きな音がした。執事とメイドは、恐る恐る部屋の様子を伺って仰天した。絨毯の上に椅子が倒れ、シュネージュが横たわっていた。
 青褪めて痙攣し瞼をきつく閉じている。シュネージュの手元には小瓶が落ちている。執事は知っていた。貴婦人は身を汚されぬよう毒薬を常備する。

「医者を呼ぶんだ!」

 執事はシュネージュの部屋を後にして、手紙の束をひっくり返す。敬愛する旦那様であるレオナールには友人が少ない。頼れる相手は、腐れ縁といっていた親友しかいないだろう。
 執事は、唯一の親友に宛てて電報を送った。
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