ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~
第18話 未来への不安
一年で寒さが最も厳しいのは二月だ。莉帆の生活圏で最高気温がマイナスという日はないけれど、寒がりな莉帆はこの時期はどうしても厚着になってしまう。休みの日はヒーターの前から離れられなくなる。部屋にこたつを置きたいけれど、ワンルームのマンションにそんな広さはないので実家から持ってきた電気毛布が大活躍している。
「おはようございまぁす……ふぁあ……」
莉帆は元彼から逃げていたときは人混みに隠れるようにラッシュアワーに出勤していたけれど、逮捕されてからは以前のように早めに行くようになった。
「おはよう。赤坂、眠そうやな」
立ち上がりながら挨拶を返してきたのは、鈴木部長だ。彼はだいたいいつ見ても、元気いっぱいだ。
「寝るの遅かったん?」
「いえ……テレビ見ながら寝落ちして気付いたら二時ぐらいやって、そっから寝られへんかったんです」
「はは! 彼氏とデートやったんちがうん?」
「ちがっ……、それセクハラですよ!」
「ごめんごめん。赤坂って、彼氏おったよな?」
「……いないです」
莉帆が頬を少し膨らませて言うと、部長は〝あれ?〟という顔で「そうやったか?」と言った。莉帆は少し迷ってから、簡単に『一年ほど前に別れた』と言った。
「ああ……そういや、聞いたわ、ごめんごめん。そうかそうか……、まだ若いからこれからや、な、小野?」
「え? ……なんで僕なんすか?」
莉帆は何かの書類で彼が独身だと見たことはあるけれど、周りの女性たちは彼が既婚だと思い込んでいる。新しい書類を目にしたときも確かに未婚にマルがついていたし、結婚していれば『家に米がない』とはおそらく言わないはずだ。もしかしたら彼はバツイチなのではないかと、莉帆は勝手に想像している。
「小野、赤坂とよく喋ってるやん? 合うんちゃうん?」
「いや、仕事の話しかしてないし……赤坂さん、僕よりだいぶ若いやん」
「年齢は関係ないで。なぁ赤坂、小野ぐらいの年やったら恋愛対象になるよな?」
「まぁ……ギリセーフですけど……」
莉帆は俊介と確かによく話すし、彼氏がいなかった頃に気になったこともある。最近は彼の視線を感じることが増えたし真正面の至近距離から話しかけられることもあるので視線の方向に困ってしまうけれど、いまの莉帆にとって彼は恋愛対象からは外れてしまっている。
ちなみに俊介は、莉帆が気になっていた男性三人のうちの一人、ではない。
「赤坂、小野どう?」
「いやぁ……」
「もうすぐバレンタインやしなぁ……、小野、チョコレート貰える予定あるん?」
「どうやろ……会社でもらう義理のやつくらいかな……」
全社員でもそれほど人数は多くないので、透明の袋にチョコレート菓子を数種類入れて毎年渡している。何個できるかは分からないので、余ったときは女性たちの手元にも届く。
「赤坂は渡す予定あるん? ──あ、あかんな、セクハラて言われるな」
鈴木部長は再び、ごめんごめん、と笑いながら、出勤してきた人たちに挨拶をしながらどこかへ行ってしまった。三人の会話中に出勤してきていた先輩たちが、莉帆のほうを見てニヤリと笑っていた。
昼休みに捕まるのではないか、という莉帆の予感は的中した。莉帆は久々に社外へ食べに行く予定にしていたけれど、弁当を持参していた先輩たちに連れられてコンビニの弁当を買ってくることになってしまった。
「それでどうなん、赤坂さん、小野君のことどう思ってるん? バレンタインあげるん?」
「えっ、そっちなんですか?」
「とりあえずな。本題はあとや」
「別に何とも思ってないです。バレンタインも、予定ないですよ」
「そうよな、良かったわ。最近、小野君が赤坂さんのこと気にしてるように見えてたからさぁ」
彼からは何も聞いたことはないけれど、莉帆の勘も当たっていたらしい。
先輩たちはまた妄想をスタートさせたようで、莉帆が俊介と付き合ったら席が近くて仕事どころじゃないとか、喧嘩したら気まずいとか、そもそも俊介は結婚しているから無理だとか、ノンストップだ。
「で? どうなったん? 言うてみ? イケメンが二人おるとか言うてたやろ? 元彼のことも解決したん?」
「ええと……どっから話したら良いんやろ……」
莉帆は旅先で出会った男性二人と仲良くなったとは話しているけれど、彼らと元彼との接点は何も話していない。もちろん、彼らが警察だったことは、教える予定はない。
「まず──出会ったとき私が落ち込んでたから、元彼から逃げてることは最初に話しました」
「ほう。で? あ、こないだ警察に相談いってたよなぁ?」
「はい。あの日……交番に電話かかってきて、バーで酔って暴れてる客がいる、っていう通報やったんですけど、それ……元彼やって、捕まったんです」
「ええ! ビックリやな! でも、良かったなぁ!」
あのあと関係者として警察署へ行くことになったけれど、莉帆は平日に休みがあるので出勤の調整はしなくても済んだ。周りも休みがぽつぽつあったので、交番へ相談に行った後のことを言うのを忘れていた。
「で? そのこと、イケメン二人に話したん?」
「……はい。そのあと……私がまだ元気なかったから、連絡くれたり、遊びに誘ってくれたりしてます」
莉帆に元気がなかったのは、元彼が数年後には刑務所から出てくるからだ。莉帆が気付かなかっただけで会社の近くに現れたと聞いたし、また遭遇すると思うと今から怖い。
「良いやん。あ──前に告白されたて言うてたよなぁ? 返事したん? バレンタイン予定あるん?」
「予定はないです……返事もまだしてないし……」
一緒にいると二人とも楽しくて、莉帆には選べなかった。二人が警察というのも気になって、付き合ったとしたらどういう未来が待っているのか、不安が多くて覚悟もできなかった。それが申し訳なくて、せっかく誘ってくれたのに暗い顔をしてしまっていた。
バレンタインは二人に渡そうと思っていたけれど、そもそも会えるかどうかも分からなかった。二人とも忙しいので休みはあまり取れていないし、連絡が来るのも変な時間だ。
「実は──、異動願い出そうか迷ってて……それか転職か」
莉帆がいまの職場を離れたいと言うと、全員から止められた。
「そんなんあかん、元彼が怖いかもやけど、私らがおるやん」
「そうそう、何やったら、早く彼氏作って、迎えに来てもらい?」
「そこ、なに深刻な話してるん?」
休憩室に現れたのは、鈴木部長だった。莉帆が元彼のせいで職場を離れようとしている、という話をすると、部長はじっと莉帆を見つめていた。
「赤坂──、そこの駅と会社の間、朝と帰り、小野についてもらうか?」
「いや、それは、ちょっと」
「部長ダメですよ、赤坂さんいま、イケメン二人に取り合いされてるんですよ」
「……なぁにぃ? それ、ほんま?」
女性たちが笑いながら言うと、部長は目を見開いて驚いていた。取り合いというのは違う気もするけれど莉帆は否定しなかったので、部長は違う意味で笑いだしてしまった。
「小野……かわいそうに……」
「部長、小野君って、赤坂さんのこと好きなん?」
「うん、あ、いや、知らんけど、たぶんな」
「小野君て奥さんいてなかったっけ?」
「あいつバツイチやで。赤坂……小野に言うてええ?」
「……どうぞ」
部長は俊介に話したつもりが、周りの人も聞いていたので夕方には社内で噂になってしまっていた。もしも莉帆が二人と出会っていなかった場合は──俊介と付き合うことになっていたのだろうか。
「おはようございまぁす……ふぁあ……」
莉帆は元彼から逃げていたときは人混みに隠れるようにラッシュアワーに出勤していたけれど、逮捕されてからは以前のように早めに行くようになった。
「おはよう。赤坂、眠そうやな」
立ち上がりながら挨拶を返してきたのは、鈴木部長だ。彼はだいたいいつ見ても、元気いっぱいだ。
「寝るの遅かったん?」
「いえ……テレビ見ながら寝落ちして気付いたら二時ぐらいやって、そっから寝られへんかったんです」
「はは! 彼氏とデートやったんちがうん?」
「ちがっ……、それセクハラですよ!」
「ごめんごめん。赤坂って、彼氏おったよな?」
「……いないです」
莉帆が頬を少し膨らませて言うと、部長は〝あれ?〟という顔で「そうやったか?」と言った。莉帆は少し迷ってから、簡単に『一年ほど前に別れた』と言った。
「ああ……そういや、聞いたわ、ごめんごめん。そうかそうか……、まだ若いからこれからや、な、小野?」
「え? ……なんで僕なんすか?」
莉帆は何かの書類で彼が独身だと見たことはあるけれど、周りの女性たちは彼が既婚だと思い込んでいる。新しい書類を目にしたときも確かに未婚にマルがついていたし、結婚していれば『家に米がない』とはおそらく言わないはずだ。もしかしたら彼はバツイチなのではないかと、莉帆は勝手に想像している。
「小野、赤坂とよく喋ってるやん? 合うんちゃうん?」
「いや、仕事の話しかしてないし……赤坂さん、僕よりだいぶ若いやん」
「年齢は関係ないで。なぁ赤坂、小野ぐらいの年やったら恋愛対象になるよな?」
「まぁ……ギリセーフですけど……」
莉帆は俊介と確かによく話すし、彼氏がいなかった頃に気になったこともある。最近は彼の視線を感じることが増えたし真正面の至近距離から話しかけられることもあるので視線の方向に困ってしまうけれど、いまの莉帆にとって彼は恋愛対象からは外れてしまっている。
ちなみに俊介は、莉帆が気になっていた男性三人のうちの一人、ではない。
「赤坂、小野どう?」
「いやぁ……」
「もうすぐバレンタインやしなぁ……、小野、チョコレート貰える予定あるん?」
「どうやろ……会社でもらう義理のやつくらいかな……」
全社員でもそれほど人数は多くないので、透明の袋にチョコレート菓子を数種類入れて毎年渡している。何個できるかは分からないので、余ったときは女性たちの手元にも届く。
「赤坂は渡す予定あるん? ──あ、あかんな、セクハラて言われるな」
鈴木部長は再び、ごめんごめん、と笑いながら、出勤してきた人たちに挨拶をしながらどこかへ行ってしまった。三人の会話中に出勤してきていた先輩たちが、莉帆のほうを見てニヤリと笑っていた。
昼休みに捕まるのではないか、という莉帆の予感は的中した。莉帆は久々に社外へ食べに行く予定にしていたけれど、弁当を持参していた先輩たちに連れられてコンビニの弁当を買ってくることになってしまった。
「それでどうなん、赤坂さん、小野君のことどう思ってるん? バレンタインあげるん?」
「えっ、そっちなんですか?」
「とりあえずな。本題はあとや」
「別に何とも思ってないです。バレンタインも、予定ないですよ」
「そうよな、良かったわ。最近、小野君が赤坂さんのこと気にしてるように見えてたからさぁ」
彼からは何も聞いたことはないけれど、莉帆の勘も当たっていたらしい。
先輩たちはまた妄想をスタートさせたようで、莉帆が俊介と付き合ったら席が近くて仕事どころじゃないとか、喧嘩したら気まずいとか、そもそも俊介は結婚しているから無理だとか、ノンストップだ。
「で? どうなったん? 言うてみ? イケメンが二人おるとか言うてたやろ? 元彼のことも解決したん?」
「ええと……どっから話したら良いんやろ……」
莉帆は旅先で出会った男性二人と仲良くなったとは話しているけれど、彼らと元彼との接点は何も話していない。もちろん、彼らが警察だったことは、教える予定はない。
「まず──出会ったとき私が落ち込んでたから、元彼から逃げてることは最初に話しました」
「ほう。で? あ、こないだ警察に相談いってたよなぁ?」
「はい。あの日……交番に電話かかってきて、バーで酔って暴れてる客がいる、っていう通報やったんですけど、それ……元彼やって、捕まったんです」
「ええ! ビックリやな! でも、良かったなぁ!」
あのあと関係者として警察署へ行くことになったけれど、莉帆は平日に休みがあるので出勤の調整はしなくても済んだ。周りも休みがぽつぽつあったので、交番へ相談に行った後のことを言うのを忘れていた。
「で? そのこと、イケメン二人に話したん?」
「……はい。そのあと……私がまだ元気なかったから、連絡くれたり、遊びに誘ってくれたりしてます」
莉帆に元気がなかったのは、元彼が数年後には刑務所から出てくるからだ。莉帆が気付かなかっただけで会社の近くに現れたと聞いたし、また遭遇すると思うと今から怖い。
「良いやん。あ──前に告白されたて言うてたよなぁ? 返事したん? バレンタイン予定あるん?」
「予定はないです……返事もまだしてないし……」
一緒にいると二人とも楽しくて、莉帆には選べなかった。二人が警察というのも気になって、付き合ったとしたらどういう未来が待っているのか、不安が多くて覚悟もできなかった。それが申し訳なくて、せっかく誘ってくれたのに暗い顔をしてしまっていた。
バレンタインは二人に渡そうと思っていたけれど、そもそも会えるかどうかも分からなかった。二人とも忙しいので休みはあまり取れていないし、連絡が来るのも変な時間だ。
「実は──、異動願い出そうか迷ってて……それか転職か」
莉帆がいまの職場を離れたいと言うと、全員から止められた。
「そんなんあかん、元彼が怖いかもやけど、私らがおるやん」
「そうそう、何やったら、早く彼氏作って、迎えに来てもらい?」
「そこ、なに深刻な話してるん?」
休憩室に現れたのは、鈴木部長だった。莉帆が元彼のせいで職場を離れようとしている、という話をすると、部長はじっと莉帆を見つめていた。
「赤坂──、そこの駅と会社の間、朝と帰り、小野についてもらうか?」
「いや、それは、ちょっと」
「部長ダメですよ、赤坂さんいま、イケメン二人に取り合いされてるんですよ」
「……なぁにぃ? それ、ほんま?」
女性たちが笑いながら言うと、部長は目を見開いて驚いていた。取り合いというのは違う気もするけれど莉帆は否定しなかったので、部長は違う意味で笑いだしてしまった。
「小野……かわいそうに……」
「部長、小野君って、赤坂さんのこと好きなん?」
「うん、あ、いや、知らんけど、たぶんな」
「小野君て奥さんいてなかったっけ?」
「あいつバツイチやで。赤坂……小野に言うてええ?」
「……どうぞ」
部長は俊介に話したつもりが、周りの人も聞いていたので夕方には社内で噂になってしまっていた。もしも莉帆が二人と出会っていなかった場合は──俊介と付き合うことになっていたのだろうか。