ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第27話 あまい、甘い

「おはよう、赤坂さん」
「おはようございます……あっ、先輩っ、こないだはすみませんでしたっ」
「ううん、良いもん見せてもろたわ」
 いつもの月曜日の朝、莉帆より少し後に出勤してきた先輩は、とても笑顔だった。莉帆を見てニヤつきながら、周りに男性陣がいないのを確認して〝彼氏のことは誰にも言ってないから〟と言っていた。
「それより、大丈夫やったん? だいぶ酔ってたけど、何も起こらんかった?」
「……何がですか?」
「あ──いや──、吐いちゃったり」
「それはないです、たぶん……」
 莉帆は金曜日の夜、飲み会が終わってから駅へ向かい──、気付いたとき着ていたのは自分の服ではなかったけれど。ハンガーで吊られていた自分の服には汚れはなかったし、洗った形跡もなかった。あとで洗濯機があるのは見たけれど、乾燥機はなかった。
「それなら良かった。写真もなかなかイケメンやけど、やっぱ実物はちゃうなぁ」
「え? ……会ったんですか?」
「うん? さては赤坂さん、記憶飛んでるな?」

 金曜日の夜、飲み会帰りの駅。
 莉帆は奈良まで帰るけれど、先輩たちは誰も同じ方面への電車ではなかった。普段なら改札で解散するけれど、酔っている莉帆を置いては帰れなかったらしい。
「誰か、一緒に帰れる?」
「私ひとりで帰り()すよ、先輩()ちに迷惑」
「あの──、俺、連れて帰ります」
「ん? あ()……?」
「あっ、もしかして──赤坂さんの彼氏さん?」
「……はい」
 莉帆は一応立ってはいるけれど、ふらつきながらだった。ぼやけた視界に勝平を見つけ、ふらふらと駆け寄った。
「莉帆、どんだけ飲んだんや?」
「んー? わからん……」
「ごめんなさい、こんな酔っぱらって──ちょい、倒れんなよ?」
 勝平は先輩たちに謝り、莉帆が倒れないようにしっかり腕を掴んだ。
「莉帆──寂しいとか辛いとか言ってましたか?」
「言ってたけど……仕事大変なの分かってるから私が我慢せなあかん、って」
「やっぱり……。俺の仕事、聞かれたんですよね……。休みがなかなか合えへんから……。あっ、すみません、電車の時間、大丈夫ですか?」
「うん。電車は大丈夫やけど……この子、お願いして良い?」
「はい、どうにかします。すみません、本当に」
 先輩たちは莉帆をそのまま勝平に託し、何度か振り返りながら改札を通ってホームに入っていった。

「あ──そっか、そこまでは一緒やったんですね……」
 駅で莉帆を見つけ、そのまま車で運んだとは勝平に聞いていた。簡単にしか教えてくれず、先輩たちと話したことには触れていなかった。
「それにしても格好良いわぁ。よ()あんなん見つけたな」
 先輩が笑顔になるので、莉帆も思わず頬が緩んでしまった。
「あんなん見てたら、この会社の人なんか、しょーもないやろ?」
「しょうもないって……ははっ」
「赤坂、なに笑ってるん? 女子会で旨いもん()たん?」
「えっ、ああ、はい」
 確かに美味しいものは食べたけれど、莉帆が笑っているのは別の理由だ。莉帆に聞いてきた鈴木部長は立ち止まり、女性陣に女子会の話を聞いていた。
「そういや俺、金曜日……夜この辺運転してて、駅前の信号で止まったとき赤坂らしき人を見たんやけど」
「え……」
「見た感じは赤坂やけど女子会って言ってたし、男と一緒におったから違うか、って思ったんやけど、服がなんか見覚えあってな……気のせいか? 車に乗せられとったわ」
「……それ、たぶん私です」
「やっぱそうか? ふぅん……じゃ、あの男は? 彼氏?」
「……はい」
 部長は少し混乱していたので、女子会のあと莉帆は酔いが回ってしまい、一人で帰るのは無理だと困っていたところに彼が現れたので託すことにした、と先輩が説明してくれた。
「暗かったしチラッとしか見んかったけど、なかなかの男前やな?」
「そうでしょー? 喋ってても男前やったわ。赤坂さん、逃したあかんで」
「はい……」
「こないだは家まで送ってもらったん?」
「いえ──、気付いたら知らんとこにおって」
「なんやて?」

 寝室を出て良いにおいのするほうへ向かうと、勝平がキッチンで朝食を作ってくれていた。少し残る頭痛に抗いながら、洗面所で口をゆすいだ。
「スッキリしたか?」
「うん……ここは──」
「俺の家。何もないやろ? 適当に座って」
 ローテーブルに食事が置かれていたので、莉帆は近くのソファに座った。まだぼんやりしているので思考が働かない。何も考えずに勝平の動きを追い、彼が座るのを待った。
「そういや莉帆、珈琲あかんかったか?」
 勝平は最後に両手にホットコーヒーを持ってきてくれたけれど、莉帆が珈琲より紅茶を好んで飲んでいたことを思い出したらしい。
「あ──ううん、砂糖とか入れたら飲める」
「ごめん、ないわ」
「……飲んでみる。せっかく入れてくれたし。ありがとう」
 喉が渇いていたので、ふぅーっと息で冷ましてから飲んだ。苦い印象であまり飲んでこなかったけれど、思ったよりも飲みやすかったので思わず勝平を見てしまった。
「これ、甘いやつ?」
「いや? ブラックやけど?」
「飲める……スーパーとかで売ってるやつ?」
「そうやな。普通の安いドリップのやつ。飲めるなら良かった」
 テーブルに並べられたのは、トーストと目玉焼きとベーコンとサラダ──。何の変哲もない組み合わせだったけれど、なぜかとても美味しいと思った。
「塩かなぁ……普通の塩?」
「よく気付いたな。ハルシュタットの塩」
「あっ、やっぱり!」
「あんまり料理せんから、なかなか減らんわ」
 ハルシュタットはオーストリア中部にある、世界一美しいと言われる湖岸の町だ。ヨーロッパツアーのコースに入っていたけれど、町自体が小さい上に観光客も多いので、莉帆と勝平はそれぞれ友人と別行動をしていた。〝Hall(ハル)〟はケルト語で〝塩〟、〝Statt(スタット)〟はドイツ語で〝場所〟だ。
「そういえば、ザルツブルクでも塩買ってる人多かったなぁ」
 ザルツブルクもオーストリア中部の町で、ドイツと接している。モーツァルトが生まれた町で、テレビでも放送されるニューイヤーコンサートが行われる場所だ。〝Salzburg(ザルツブルク)〟はドイツ語で〝塩の城〟になる。ちなみにザルツブルクにも、カフェザッハーがある。
 勝平が準備をしてくれたので、莉帆は片付けをした。終わってから振り返ると、勝平は暇そうにしていた。
「あのさぁ……いろいろ聞きたいんやけど」
「ん? ……その服? それは、自分で着替えてたから、ちゃんと」
「そうなん……? 何も覚えてない……」
 初め勝平は莉帆を奈良まで送ろうと思っていたけれど、何かあってはいけないので自分の部屋に変更したらしい。到着してから莉帆はふらつきながらも自分で歩き、勝平が着替えを用意すると、彼がシャワーを浴びている間に着替えてソファで寝ていたらしい。
「風邪ひくからベッドに運んだけどな」
「……勝平は、どこで寝たん?」
「一緒に寝た。布団あれしかないし」
「えっ、それ、いろいろ申し訳ないんやけど」
「そうか? 俺は嬉しかったけどな?」
 お酒のにおいがしただろうし、サッパリしている彼からすると臭かったはずだ。ベッドもそれほど大きくはなかったし、二人寝るには確実に狭い。
「私、昨日どんだけ飲んだんやろう……」
「俺おらんかったら、会社の人らに迷惑やったからな?」
 莉帆は覚えていなかったけれど、先輩たちと女子会がある、と話していたらしい。勝平はそれを覚えていて、仕事も終わっていたので車から見ていたらしい。
「……ずっと?」
「いや、終わる頃にロータリーに着いた。莉帆が大丈夫そうやったら黙って帰るつもりやったけど、周りが困ってたからな」
「……ごめんなさい」
「俺は良いから。会社の人らに謝れよ?」
「うん……」
 それから勝平は近くのドラッグストアでメイク落としと化粧水を買ってきてくれて、ファンデーションや口紅は持っていたので、莉帆はシャワーを浴びて化粧も直した。とりあえず、ハンガーに掛けられていた自分の服に着替えた。
「勝平は今日は休み?」
「休みやけど用事あってな……。早めに戻ってくるから、それまで待ってて。そのあと──デートしよか」
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