ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第33話 たいせつな日

「いらっしゃいませ、あっ、こんにちは」
 莉帆に声をかけたのは、例の地下街のアパレルショップの従業員だ。莉帆はあれから何度か買い物に来ていて、従業員にも顔を覚えてもらっていた。
「こんにちは。あの──私に似合う色って何だと思いますか?」
「んー……何でも似合いそうですけどねぇ。暗い色よりは明るい色かなぁ。まだお若いし。どんなのお探しですか?」
 従業員に聞かれたので、少しカタい職業の知人の集まりに参加する、と簡単に言った。
「お昼ですか?」
「夜です。お店は掘炬燵らしいんですけど、スカートかパンツかも迷ってて……仕事帰りにスーツで来る人も多いので」
「なるほど……ラフな感じよりは、きっちりしたほうが良さそうですね」
 従業員は莉帆をオフィス向けの服が並ぶコーナーに案内し、イメージの違う二つを取って莉帆に当ててみた。
「うん、やっぱり、明るい色のほうが良いかな。でも夜だったら、そんなに明るくてもねぇ……」
 今年の流行りはこれだとか、入荷したばかりのものはこれだとか、いろいろ教えてもらってから一人で考えた。
 掘炬燵とは言っても動きやすいほうが良いので、パンツのほうが良いのか、とか。
 悠斗の送別会ではあるけれど勝平に会えるので、敢えてスカートにしようか、とか。
 おそらく過半数を占める仕事帰り──または非番──男性陣のスーツに合わせて、黒っぽい服にしようか、とか。
 勝平は好きな色で良いと言っていたので、本当に自由にしようか、とか。
 莉帆もその日は仕事なのであまり派手すぎないものに絞り、従業員に助けてもらいながら組み合わせを考えた。
「何か特別な集まりなんですか?」
「え?」
「いや、ごめんなさいね、カタい方たち、って言ってたけど楽しそうに見えたから」
 従業員が申し訳なさそうに笑う隣で莉帆は、この人には正直に話しても良いのかな、と思考を巡らせた。それでも客と従業員という関係が変わるとは思えなかったので、ごく簡単に話すことにした。
「カタいんですけど、メンバーの中に彼氏がいて……」
「あら。それはお洒落しないとね」
 そんなカタい彼とはどこで知り合ったのか、など話しながら莉帆はようやく決断をし、従業員に笑顔で見送られながら店を後にした。
 当日は勝平は非番でそのまま準備に行くようで、莉帆は店の最寄駅で佳織と待ち合わせている。それまではいつも通り仕事をして、定時に上がるつもりだ。もしも仕事が溜まってしまった場合は──先輩たちに事情を話して、何としてでも会場に向かいたい。

 そして──その日がやってきた。
 まだそれほど寒くはないけれど、朝晩は冷えているので上着は必須になる。悩んだ末に莉帆は黒いパンツを選び、かなり久々にヒールのあるパンプスを履いて出勤した。そして案の定、鈴木部長に突っ込まれてしまった。
「赤坂、背伸びた?」
「そんな、もうこの歳で伸びないですよ。ヒール履いてるから」
「そうか。……今日の予定……聞きたいけど……聞いたら怒られそうやな」
「そうですね」
 莉帆は黒いきれいめのパンツに、サーモンピンクのリボンボウタイブラウスを合わせていた。黒にピンクの組み合わせは何度か着てきているけれど、華やかさが違う。仕事中は会社に置いてあるカーディガンを着ているけれど、家から着てきたジャケットは明るいグレーだ。ちなみにブラウスはパフスリーブなので、カーディガンを着ていると少々ゴワゴワだ。
「あっ、赤坂さん今日どうしたん、デート?」
 出勤してきた先輩の質問を部長も聞いていて、聞きたい、という顔で莉帆を見ていた。周りにいた人たちも莉帆に注目し始めてしまったので、仕方なく教えた。俊介は黙っているけれど、ときどき顔をひきつらせながら莉帆を見ていた。
「デートではないです。知り合いの職場の送別会があって呼ばれたんですけど、会場が高級な店で変な格好できへんから……」
「へぇ。あっ、それって、例の?」
 先輩は目を輝かせながら、〝新年会の日に会社の前にいた人か?〟とジェスチャーで聞いてきた。莉帆が〝そうです〟と頷くと、部長はまだ莉帆を見つめながら質問を探していた。
「ふぅん。みんな知り合いなん?」
「はい」
「高級な店で送別会……ええなぁ。いくらするん?」
「あの──お金いらんって言われたんですよ」
「ええっ?」
「店のホームページ見たら、まあまあ高かったんですけど……男性陣が出してくれるみたいで……あっ、一応、ちゃんと持ってきてますよ?」
 勝平に金額を聞くと『敢えて高い店を選んでるから、悠斗以外の男連中で払う』と言われてしまった。後で調べてみると一人あたり一万円は越えそうで、それを簡単に払うと言う彼との給料の違いを痛感してしまった。
「すごいなあ……何してる人なん? 平日にやるんやなぁ?」
「はい……曜日関係なく働いてる人やから」
「ふぅん。医者か何か?」
「違います」
「……消防とか?」
「違います」
「ええー、わからんわー、何やろ?」
 莉帆は逃げるように仕事を始めようとして、先輩たちも笑いながら同じようにする。高級なお店を予約できて曜日に関係なく働く職業──それほど多くはない。
「赤坂さん、もう言ったったら?」
 先輩はパソコンのキーボードを叩きながら笑い、部長が悩んでいるのを楽しんで見ている。
「あれよなぁ、赤坂さん、年明け頃……その人らにお世話になったよな?」
「ああ──はい。知り合ったのはもっと前やけど」
「えー、なに? ますます分からん」
 年明け、元彼に遭遇してしまった莉帆のところに勝平が駆けつけた。その後、迷惑電話の相談で交番に行くと悠斗がいて、バーで暴れていた元彼を捕まえたのは勝平だった。
 鈴木部長は席に戻り、パソコンで何かを調べ始めた。すぐに結果が出たようで、「出た出た」と言った。
「給料が高い仕事トップテン。医師、パイロット、大学教授、税理士、記者……准教授……歯科医師……」
「はは、入ってないです」
「ええー……あっ、これ、公務員は入ってないな……あれ、医者って公務員やったっけ? まぁいいや、(こう)む、……地方公務員、年収、ランキング……ええと──」
 部長が呟く検索ワードに莉帆は一瞬、反応してしまった。先輩たちも仕事をしながら莉帆に〝慌てるな〟と目で合図している。
「あ、やっぱ医者も入ってるわ。そんで、……学校の先生やな。警察、研究者……消防はちゃうって言ってたな……あ、役所か。薬剤師、福祉。……あっ、IT系とか?」
「部長……私がそんな人らと出会うと思いますか?」
 莉帆は心理戦にしようとしていた。それに気づいた先輩たちも〝こんな会社に勤めていると無縁な職業ばかり〟と笑っている。
「そうよなぁ。あるとして……薬剤師? 赤坂、年明け風邪ひいてたよな?」
「……ファイナルアンサー?」
「ええっ? ──ファイナルアンサー!」
 部長が薬剤師と言った時点で、莉帆も先輩たちも笑いを堪えるのに必死だった。顔をひきつらせて、莉帆が口を開くのを待った。
「……ははっ、残念でした」
「くっそー。……ところで、これなに? 送別会って、誰の? 赤坂の彼氏?」
「違います」
「なんや、ちゃうんか!」
 部長は仕事に戻りながら、何度も悔しいと呟いていた。莉帆がしばらく部長を見ながら笑っていると、〝彼氏の送別会ではないけど彼氏も一緒よな?〟と、顔を上げた先輩たちがニヤリと笑いながら目で聞いてきていた。
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