ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~
第7章 いとしきみ
第35話 小さな手
いつも通り早めに出勤してパソコンと向かい合っているけれど、莉帆は全く仕事に集中することができない。いつもと何も変わらない、安っぽい机と安っぽい椅子と、出勤しているメンバーも普段と同じだ。もちろん莉帆も普段とさほど変わらないけれど、服装が少しだけお洒落になっているけれど、何より昨日までと違うのは莉帆の脳内だ。
悠斗の送別会の最後に勝平からプロポーズされたあと、全員で店を出て、駅に向かった。もちろん莉帆も電車に乗って、佳織がホテルに泊まるため途中で下車するのを見送り、莉帆はそのまま──奈良には帰らず、勝平の部屋へ行った。もちろん彼も一緒だ。
「酔い覚めたら送ってくから。俺、明日は休みやし」
言いながら冷蔵庫から水を出して飲む彼の顔は少しばかり赤い。それはおそらく照れているのではなく、緊張を解すために飲み続けていたアルコールのせいだ。上着を脱いでネクタイを緩める彼にまた、莉帆は見惚れてしまっていた。早く慣れないと一緒に暮らすようになればいくつ心臓があっても足りないな、と一人で苦笑する。
「ちょっと飲みすぎたわ……」
勝平はそのままソファに座り込み、莉帆も隣に座った。
「お酒、強いんじゃなかったっけ?」
「莉帆よりはな? あんなん、酔わな言われへん」
「……あの場で言わんでも良かったのに」
プロポーズは嬉しかったけれど、悠斗の送別会の時間を割いてすることではない気はしていた。二人きりのときだったら、もっとロマンチックな場所でできたかもしれない。もちろん──先ほどの勝平の言葉にも莉帆はじゅうぶん惚れ惚れしたけれど。
「いや……そうやけど……周りにも見といてもらいたかった。俺が本気ってこと」
「あ──だから、佳織も呼んだん?」
「そう。まぁ、悠斗が希望してたのもあるけどな」
「ふぅん……。このさぁ、指輪……」
「ん? デザイン気に入らんかった?」
「ううん、違う、それは気に入ってる」
莉帆は今まで勝平と会うとき何の指輪もつけたことはなかったしアクセサリーの趣味も伝えていなかったけれど、彼が選んでくれたものは莉帆が持っていた婚約指輪への理想が全て叶えられていた。ダイヤは少し大きめでカットも細かく綺麗にされているのは想定していなかったけれど──それは確実に彼の収入が世代の平均よりも高いからで──、ブランドまでも莉帆の希望通りだ。
「サイズ知ってた? ちょうどなんやけど」
「──買う前の日に測った。莉帆が酔って寝てたとき」
「ああっ!」
「前の晩も何店舗か回ったんやけど、サイズ分からんかったし迷っててな。あれは助かったわ。平均より小さかったから、店の人に何回も確認された。手小さいって、最初から言ってたもんな」
勝平は笑いながら莉帆を引き寄せ、腕に閉じ込めた。左手薬指の指輪に触れながら、莉帆に口づける。まだ抜けていないお酒の味も混じり、莉帆も酔ってしまう。
「結婚指輪は一緒に見に行こうな?」
「うん」
「予約してるから、明日の晩」
「えっ、はやっ」
「予定ないやろ? 会社まで迎えに行く」
莉帆は昨夜の勝平の言葉を何度も脳内でリピートさせていた。止めようとしても止まらないので、仕事が手につかない。おかげで出勤してきた先輩に声をかけられてもすぐには気づけなかった。
「昨日どうやった? 楽しかった?」
「はい……」
「あ、あれやな、送別会やから寂しいか……。なんか、元気ないな?」
「いえ──ふふっ」
「なにぃな? なに急に笑うん?」
勝平の言葉を思い出すと、自然と顔が緩んでしまう。今日も会えることが嬉しくて、笑いは止まらない。
「ははは……」
「何かあったんやな?」
「はい。はははっ」
「おーっす。どうしたん、今日は何の会?」
「あっ、おはようございます。何の会って、何もないですよ、たぶん」
鈴木部長の質問には先輩が答えた。
莉帆は相変わらず笑いが止まらず、とうとう開いた口を隠すためにキーボードを叩く手も止まってしまった。
「今日の赤坂、なんかおかしいな」
「そうなんですよ。今日もデートあるん?」
「はは!」
「……今日、も?」
「あっ──」
先輩は失言に気づいたけれど、もう遅かった。部長は莉帆と先輩を見ながら何か考え、言葉を探しているように見えた。その間に俊介が出勤してきたので部長は彼のほうを少し見たけれど、矛先は莉帆ではなく先輩に向けられた。莉帆は笑いが止まらないので、二人の様子を見ていることにした。
「昨日は赤坂、何やったん? 送別会ちゃうん?」
「いえ、ほんまに送別会ですよ。誰のかも聞いてたし」
「前に赤坂、イケメンに取り合いされてる、て言うてたよなぁ?」
「それはあれですよ部長、赤坂さんどっちか決めて彼氏できたし、見たって言うてましたやん」
「ああ、そうか……そのイケメン二人……同じ会社?」
「……赤坂さん、言うて良いん?」
莉帆はもう勝平と婚約したので、いつかは会社にも報告しないといけない。入籍等の具体的な日は何も決まっていないので報告はその後に予定しているけれど、彼が警察ということも話さないといけない。そして──莉帆が仕事を続けるかどうかも、考え中だ。
「もういいか……本当のこと言いますね」
「えっ、良いん? みんな聞いてんで?」
莉帆がフロアを見渡すと、出勤している人数は少なかったけれど、そのほとんどが莉帆に注目していた。直接は見ていない人も、耳はしっかり向けているだろう。
「昨日……プロポーズされました」
「ええっ? マジ? おめでとう!」
部長は驚き、少し離れて聞いていた俊介は、ガタン、と椅子から足を滑らせてしまっていた。そして作業していた手を止め、莉帆たちの話をじっと聞いていた。
「良かったやん、赤坂さん! ……一応聞くけど、送別された人からとちゃうよな? 彼氏からよな?」
「はい」
「待って、赤坂──送別会て、彼氏と一緒やったん?」
「はい。彼氏の同期の送別会で……」
「ちなみに部長、送別された人が、もう一人のイケメンですよ。見ただけやけどめちゃくちゃイケメン。彼氏はもう、ふふふっ」
先輩は勝平と話したことがあるので、そのときの興奮を思い出したらしい。
「ふぅん……。お金は男で出してくれたんやろ?」
「はい」
参加していた人数は男女で約半々で、単純に男性陣が二人分を払ってくれていた。莉帆や他の女性たちは何度も少しでも出すと言ったけれど、男性陣で払うことは最初から決めていたし、莉帆も隠れた主役だったので払わせてもらえなかった。勝平は指輪のお金も減っているので、今月は懐が普段よりは寂しいだろう。
「ちなみに……何の仕事してるん? 昨日言うてた中にあったん?」
「はい。……公務員です」
「平日休みやから先生はちゃうやろ? 薬剤師も違うとなれば……、えっ、待って、そんなら、あの体格──」
部長は周りを見回し、莉帆に近寄ってから小さな声で聞いてきた。それは正解だったので莉帆が頷くと、〝大変なことを聞いてしまった〟という顔で両手で口を押さえながら自分の席に着いた。
そして夕方、終業後──。
莉帆が会社から出ると、予定通り勝平がビルの前で待ってくれていた。通りかかる女性たちほとんどが振り返っているけれど、彼は全く気にも留めていない。莉帆が駆け寄ってようやく動き出した勝平に今度は莉帆が二度見されたけれど、莉帆もそんなのに構うつもりはない。
近くに停めていた車に乗ると、勝平が聞いてきた。
「莉帆、結婚式どこでしたい?」
「んー……」
「できれば、大阪府内がありがたいけど」
莉帆は夫婦大國社のある春日大社をなんとなく考えていたけれど、勝平の仕事を考えて既に候補から消していた。それはまた時間があるときに二人で行けば良い。
「俺、披露宴で着たいのがあってな」
「……中世の衣装とか?」
莉帆はウィーンで見た中世の格好をした人たちを思い出していた。二人とも旅の初めから姿は見かけていたけれど、ちゃんとした出会いはウィーンだ。
「いや、あ──それもおもろいな……。ちゃうちゃう、莉帆、知ってるかな──」
悠斗の送別会の最後に勝平からプロポーズされたあと、全員で店を出て、駅に向かった。もちろん莉帆も電車に乗って、佳織がホテルに泊まるため途中で下車するのを見送り、莉帆はそのまま──奈良には帰らず、勝平の部屋へ行った。もちろん彼も一緒だ。
「酔い覚めたら送ってくから。俺、明日は休みやし」
言いながら冷蔵庫から水を出して飲む彼の顔は少しばかり赤い。それはおそらく照れているのではなく、緊張を解すために飲み続けていたアルコールのせいだ。上着を脱いでネクタイを緩める彼にまた、莉帆は見惚れてしまっていた。早く慣れないと一緒に暮らすようになればいくつ心臓があっても足りないな、と一人で苦笑する。
「ちょっと飲みすぎたわ……」
勝平はそのままソファに座り込み、莉帆も隣に座った。
「お酒、強いんじゃなかったっけ?」
「莉帆よりはな? あんなん、酔わな言われへん」
「……あの場で言わんでも良かったのに」
プロポーズは嬉しかったけれど、悠斗の送別会の時間を割いてすることではない気はしていた。二人きりのときだったら、もっとロマンチックな場所でできたかもしれない。もちろん──先ほどの勝平の言葉にも莉帆はじゅうぶん惚れ惚れしたけれど。
「いや……そうやけど……周りにも見といてもらいたかった。俺が本気ってこと」
「あ──だから、佳織も呼んだん?」
「そう。まぁ、悠斗が希望してたのもあるけどな」
「ふぅん……。このさぁ、指輪……」
「ん? デザイン気に入らんかった?」
「ううん、違う、それは気に入ってる」
莉帆は今まで勝平と会うとき何の指輪もつけたことはなかったしアクセサリーの趣味も伝えていなかったけれど、彼が選んでくれたものは莉帆が持っていた婚約指輪への理想が全て叶えられていた。ダイヤは少し大きめでカットも細かく綺麗にされているのは想定していなかったけれど──それは確実に彼の収入が世代の平均よりも高いからで──、ブランドまでも莉帆の希望通りだ。
「サイズ知ってた? ちょうどなんやけど」
「──買う前の日に測った。莉帆が酔って寝てたとき」
「ああっ!」
「前の晩も何店舗か回ったんやけど、サイズ分からんかったし迷っててな。あれは助かったわ。平均より小さかったから、店の人に何回も確認された。手小さいって、最初から言ってたもんな」
勝平は笑いながら莉帆を引き寄せ、腕に閉じ込めた。左手薬指の指輪に触れながら、莉帆に口づける。まだ抜けていないお酒の味も混じり、莉帆も酔ってしまう。
「結婚指輪は一緒に見に行こうな?」
「うん」
「予約してるから、明日の晩」
「えっ、はやっ」
「予定ないやろ? 会社まで迎えに行く」
莉帆は昨夜の勝平の言葉を何度も脳内でリピートさせていた。止めようとしても止まらないので、仕事が手につかない。おかげで出勤してきた先輩に声をかけられてもすぐには気づけなかった。
「昨日どうやった? 楽しかった?」
「はい……」
「あ、あれやな、送別会やから寂しいか……。なんか、元気ないな?」
「いえ──ふふっ」
「なにぃな? なに急に笑うん?」
勝平の言葉を思い出すと、自然と顔が緩んでしまう。今日も会えることが嬉しくて、笑いは止まらない。
「ははは……」
「何かあったんやな?」
「はい。はははっ」
「おーっす。どうしたん、今日は何の会?」
「あっ、おはようございます。何の会って、何もないですよ、たぶん」
鈴木部長の質問には先輩が答えた。
莉帆は相変わらず笑いが止まらず、とうとう開いた口を隠すためにキーボードを叩く手も止まってしまった。
「今日の赤坂、なんかおかしいな」
「そうなんですよ。今日もデートあるん?」
「はは!」
「……今日、も?」
「あっ──」
先輩は失言に気づいたけれど、もう遅かった。部長は莉帆と先輩を見ながら何か考え、言葉を探しているように見えた。その間に俊介が出勤してきたので部長は彼のほうを少し見たけれど、矛先は莉帆ではなく先輩に向けられた。莉帆は笑いが止まらないので、二人の様子を見ていることにした。
「昨日は赤坂、何やったん? 送別会ちゃうん?」
「いえ、ほんまに送別会ですよ。誰のかも聞いてたし」
「前に赤坂、イケメンに取り合いされてる、て言うてたよなぁ?」
「それはあれですよ部長、赤坂さんどっちか決めて彼氏できたし、見たって言うてましたやん」
「ああ、そうか……そのイケメン二人……同じ会社?」
「……赤坂さん、言うて良いん?」
莉帆はもう勝平と婚約したので、いつかは会社にも報告しないといけない。入籍等の具体的な日は何も決まっていないので報告はその後に予定しているけれど、彼が警察ということも話さないといけない。そして──莉帆が仕事を続けるかどうかも、考え中だ。
「もういいか……本当のこと言いますね」
「えっ、良いん? みんな聞いてんで?」
莉帆がフロアを見渡すと、出勤している人数は少なかったけれど、そのほとんどが莉帆に注目していた。直接は見ていない人も、耳はしっかり向けているだろう。
「昨日……プロポーズされました」
「ええっ? マジ? おめでとう!」
部長は驚き、少し離れて聞いていた俊介は、ガタン、と椅子から足を滑らせてしまっていた。そして作業していた手を止め、莉帆たちの話をじっと聞いていた。
「良かったやん、赤坂さん! ……一応聞くけど、送別された人からとちゃうよな? 彼氏からよな?」
「はい」
「待って、赤坂──送別会て、彼氏と一緒やったん?」
「はい。彼氏の同期の送別会で……」
「ちなみに部長、送別された人が、もう一人のイケメンですよ。見ただけやけどめちゃくちゃイケメン。彼氏はもう、ふふふっ」
先輩は勝平と話したことがあるので、そのときの興奮を思い出したらしい。
「ふぅん……。お金は男で出してくれたんやろ?」
「はい」
参加していた人数は男女で約半々で、単純に男性陣が二人分を払ってくれていた。莉帆や他の女性たちは何度も少しでも出すと言ったけれど、男性陣で払うことは最初から決めていたし、莉帆も隠れた主役だったので払わせてもらえなかった。勝平は指輪のお金も減っているので、今月は懐が普段よりは寂しいだろう。
「ちなみに……何の仕事してるん? 昨日言うてた中にあったん?」
「はい。……公務員です」
「平日休みやから先生はちゃうやろ? 薬剤師も違うとなれば……、えっ、待って、そんなら、あの体格──」
部長は周りを見回し、莉帆に近寄ってから小さな声で聞いてきた。それは正解だったので莉帆が頷くと、〝大変なことを聞いてしまった〟という顔で両手で口を押さえながら自分の席に着いた。
そして夕方、終業後──。
莉帆が会社から出ると、予定通り勝平がビルの前で待ってくれていた。通りかかる女性たちほとんどが振り返っているけれど、彼は全く気にも留めていない。莉帆が駆け寄ってようやく動き出した勝平に今度は莉帆が二度見されたけれど、莉帆もそんなのに構うつもりはない。
近くに停めていた車に乗ると、勝平が聞いてきた。
「莉帆、結婚式どこでしたい?」
「んー……」
「できれば、大阪府内がありがたいけど」
莉帆は夫婦大國社のある春日大社をなんとなく考えていたけれど、勝平の仕事を考えて既に候補から消していた。それはまた時間があるときに二人で行けば良い。
「俺、披露宴で着たいのがあってな」
「……中世の衣装とか?」
莉帆はウィーンで見た中世の格好をした人たちを思い出していた。二人とも旅の初めから姿は見かけていたけれど、ちゃんとした出会いはウィーンだ。
「いや、あ──それもおもろいな……。ちゃうちゃう、莉帆、知ってるかな──」