ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第39話 春、見惚れる

 それから一ヶ月ほど経って、莉帆は勝平と婚姻届を提出した。二年暮らした奈良のマンションは四月で契約を解除することになり、少しずつ荷物を勝平の部屋に運んでいる。
 莉帆が両親に勝平を紹介したあと、勝平も上司に莉帆の家族のことを報告した。結果、特に問題はなく、入籍することができた。
「赤さ、あ、ちゃうわ、高梨」
「……はい?」
 鈴木部長が通りすがりに話しかけてきた。莉帆の名前も今は、高梨になった。
「いまどっから(かよ)てん? 奈良?」
「いえ……マンションはまだ借りてるけど、物運んでるから、ほとんどこっちです」
「それで最近、いつもと違う時間に来てんやな」
「はい……送ってくれることもあるし」
()えやん。優しい旦那やなぁ」
 勝平は莉帆に仕事を辞めてほしそうにしていたけれど、しばらく様子を見ることになった。辞めるにしても引き継ぎがあるのですぐには無理だ。莉帆の結婚は既にほとんどの同僚が知っている──けれど、勝平の職業については人事と先輩たち、それから鈴木部長と一部の役員しか知らない。
「赤坂さんの旦那さんてどんな人なん?」
 珍しく会話に入ってきたのは小野俊介だ。
「小野……あのな」
「はい?」
「まず、“高梨”な? 旦那は俺、一回見たけど、めちゃくちゃイケメンでな、背も高くてな……あれ、モデルでもできそうやでな。あと……何ある?」
「ええと……英語ペラペラ、ドイツ語もペラペラ……最近はハングルとか中国語もかな……体力オバケ」
「えっ、赤坂さん、あ、ちゃうなぁ、高梨さんやん、いまのなに? 初めて聞いた特徴やねんけど」
 突っ込んできたのは近くに座る先輩だ。
「こないだ、同期の人が旦那のこと、体力オバケって言ったんですよ。体力がありすぎて」
 そもそも警察官は力があるけれど、勝平は同じくらい強い莉帆の元彼を短時間で捕まえた。悠斗の他に同期たちも勝平を体力で特別扱いしているので、本当に力が余っているのだろう。──それからあの夜も、眠いと言いながら彼は莉帆の意識がなくなるまでは起きてくれていた。
「体力オバケ……はは、そうやなぁ、はは!」
「それ、仕事で? ……確か前に公務員って聞いたけど……」
「小野──高梨に悪いことしたら即捕まるで」
「え──もしかして警察なん?」
「……はい」
 莉帆が結婚しても俊介の態度はほとんど変わらなかったけれど、その一言で今度こそ本当に諦めたらしい。それは勝てる気がしない、という顔で黙ってしまい、そのまま自分の席へ行ってしまった。
「赤さ、あ、高梨……小野に誰か紹介できる子いてない?」
「あの──前に、考えた人がいたんですけど」
「マジ?」
「旦那の同期で……でも、その人」
 加奈子が離婚したとき俊介を紹介しようかと思ったけれど、その後、同期に誘われた合コンで彼氏ができたらしい。大手企業で働くサラリーマンで警察官という仕事にも理解があるようで、加奈子がバツイチなことも気にせずに順調に付き合いが続いているらしい。加奈子は勝平のことも吹っ切れたようで、会うといつも幸せそうな顔をしていた。
「悠斗さん、元気かなぁ」
 帰宅後、莉帆はできる限り勝平と一緒に過ごした。一応毎日顔を合わせているけれど、帰ってこない日があるので彼が休みのときはどうしても甘えてしまう。彼の一挙一動にいちいちときめくことは徐々に減ってきたけれど、今まで見なかった表情をたまに見るのでつい見つめてしまう。
「あ──昨日、連絡あったわ。学校に通いだして、楽しくやってるみたいやで。あいつ若く見えるから、女の子に囲まれて困ってるらしいわ」
「ははっ。充実してんや」
「それとな──ザッハトルテ」
「……うん?」
「近いうちに送ってくれるんやって」
「やったぁ! よし、届くまでダイエットしよ」
「一人で食べんなよ? 俺も楽しみなんやからな?」
 勝平が帰らない日は莉帆は夕食は手抜きしているけれど、莉帆が仕事で勝平が帰宅する日は彼に頼むか外食になってしまうけれど、莉帆が休みで家にいるときは栄養バランスを考えて張りきって作った。勝平が美味しそうに食べるので莉帆もつられて手が伸びてしまい、結婚してから体重が増えてしまった。
「結婚式……莉帆、何人くらい呼ぶ? 俺が全部呼んだらバランス悪いやろうから、莉帆の人数に合わせるわ」
「そうやなぁ……親と、親戚と、友達は──佳織と大学一緒やった数人で──あ、会社の先輩たちが行きたいって言ってた。上司は二人くらいかなぁ」
 それでも勝平の招待客のほうが多くなってしまったけれど、会場も式のスタイルも莉帆の希望を通してもらえた。勝平が着たいと言っていたものも無事に準備できて莉帆もそれを見るのを楽しみにしているけれど、莉帆の衣装はまだ勝平には秘密にしている。
「色は? 色くらい良いやろ?」
「んー……明るい色」
「明るい色って、いっぱいあるやろ」
「ウェディングドレスは白やろ? あとは、勝平のあれと合う色」
「合う色って、逆に合えへん色あるか?」
「ははっ。明日のお楽しみ」
 結婚式は秋になっているけれど、前撮りは春にすることになった。式場にある写真スタジオと、近くで桜が綺麗に咲いている公園で撮った。莉帆がウェディングドレスのとき勝平は白のタキシードとは聞いていたけれど、彼が莉帆の姿に見惚れる以上に莉帆が勝平に見惚れてしまった。
「新郎様めちゃくちゃ格好良いですね」
「ふふっ」
 莉帆の衣装やメイクを担当してくれたスタッフも、勝平の姿にため息を漏らしていた。髪型も普段とは違っているし、白のタキシードは結婚式の定番ではあるけれど似合うかは別だ。
 そして勝平が着たいと言っていた衣装は金の肩章や飾緒がついた濃紺の儀礼服で、莉帆が選んだピンクのドレスよりも存在感があって今度はスタッフと一緒に言葉を失ってしまった。
「やっぱ莉帆はピンク似合うな……ん? 俺おかしい?」
 勝平がきょとんとしているので、莉帆は首を横に大きく振った。
「ううん。似合いすぎて……心臓に悪い……」
 本当に格好良すぎて胸が苦しくて、帽子を被せてもらったときは力が抜けてしまった。それを勝平が支えるところはしっかりカメラに収められていて、アルバムにも入れることになった。勝平が儀礼服を着ることは全員が知っていたので、帽子の邪魔にならないようにカラードレスではティアラではなく花の髪飾りを着けることにスタッフたちで決めていたらしい。
 朝から準備をしていたけれど全ての撮影が終わったのは夕方で、ずっとドレスを着ていた莉帆は身体が冷えてしまっていた。帰りは──もちろん行きも──勝平の運転だったので、髪型やメイクをすぐには戻せないのもあって莉帆はエアコンをかけた車で待機し、勝平に飲食店でテイクアウトをお願いした。
「莉帆──あのな」
 マンションに戻って夕食のあと、勝平は少しだけ真面目な顔をした。
「うん?」
「やっぱり予想通りやったわ。俺、異動なった」
「そうなん?」
「ごめんな、今日の撮影に影響したらあかんと思って黙ってた」
「ううん、良いよ、それくらい」
「引っ越すことになるから──仕事は辞める方向で動いてもらえるか? 続けたいっていうなら、通えん距離ではないけど」
 結婚式には上司や先輩たちも招待しているので、式の頃に退職しているのは申し訳ないと思った。先輩たちは『退職していても出席したい』と言っていたけれど、上司が何と言うかはわからない。
「やっぱり続けたいか?」
「ううん、そこまでは思ってないけど引き継ぎあるから……相談してみる」
「あと、新婚旅行やけど、行きたいとこある? 前に北欧行きたいって言ってたやろ?」
「言ったけど、今から予約するんやったら行くとき寒いやん? 勝平の休みもあるし……あと英語とか、あ──」
「それは心配すんな」
 莉帆は前に見ていたパンフレットの北欧ツアーが現地集合の英語添乗員だったのを思い出したけれど、一緒に行く勝平は英語が苦ではない。出会った頃から流暢に話していたけれど、二年経った今は当時よりも上達したらしい。
「まぁ──入出国に要りそうな会話くらいは教えてやるけどな。休みも取れるから安心しとけ。行き先も考えたんやけど、たぶん……莉帆も行きたいとこやと思う」
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