つれない男女のウラの顔
『健康診断で胃に異常が見つかって、要精密検査になったの。色々調べたら癌の可能性があるかもしれなくて…京香どうしよう、お母さん不安で…』
スマホを持つ手に力が入らない。あまりの衝撃に、立っているのもやっとだ。
「まだ確定したわけではないの?」と何とか紡いだ言葉に、母は『今はまだ再検査の結果待ち。良性のポリープだといいけど…』と力なく呟いた。
確定ではないことに少しだけ安堵したけれど、焦りは消えない。母を安心させてあげたいけれど、油断が出来ない状態で“大丈夫”とか“良かった”なんて無責任な言葉を掛けることも出来ない。
何も気の利くことが言えない自分が、歯がゆくて悔しい。
『心配かけるようなことを言ってごめんね。京香にはまだ言うなって父さんに言われたんだけど、あの人の前で弱音を吐くわけにもいかないし、でも他に頼れる人もいなくて…』
母は矢継ぎ早に言葉を紡ぎながら時折嗚咽を漏らす。父には吐き出せない気持ちをひとりでずっと抱えていたのだと思うと胸が痛んだ。
母はもう66歳で、私にとっての祖父母は既に他界している。そのため、一人娘の私しか頼る相手がいないのだ。
普段の母は明るくて前向き。そんな母がここまで取り乱すのは珍しい。
ここは私がしっかりして、両親を支えてあげなきゃ…。
「話してくれてありがとう。不安だったよね。でもとりあえず落ち着こう。お母さんが不安そうにしてたら、お父さんが心配しちゃうでしょ。一番つらいのは本人なんだから、私達は協力してお父さんを支えることだけ考えようよ」
『そうよね…分かってたはずなのに、やっぱりショックで…』
「検査結果が出るまでは落ち着かないかもしれないけど、話はそれからでしょ。不安な時はいつでも話を聞くから。夜なら電話も出来るし、週末なら会いに行けるし…」
『ありがとう…助かるわ。京香がいてくれて良かった…』
「とにかく、いつもの明るいお母さんでいてよ。お母さんまで倒れたりしたら大変だから、ちゃんとご飯も食べるんだよ」
『分かった…話を聞いてくれてありがとう。少し楽になったわ。とりあえず結果がわかり次第、すぐに連絡するわね』
「うん。ちゃんと睡眠もとってね。おやすみ」
通話が終わって暫くの間はその場から動けなかった。私がしっかりしていなきゃいけないのに、不安ばかりが押し寄せてくる。
母も最後は気丈に振舞っていたけれど、もしかしたら今も泣いているかもしれない。その前に父は大丈夫なのだろうか。ショックで寝込んでいないかな。
考え出したらきりがない。気持ちは落ち着かないし、未だに心臓は激しく波打っている。
「…あ、そうだ。成瀬さんが待ってるんだった」
そこでふと、ベランダにいる彼のことを思い出した。こんなことがあった後で、成瀬に会って平常心を保てるだろうか。いや、きっと無理だ。
とりあえず一言挨拶をして、すぐ部屋に戻ろう。
そう心に決めた私は、おぼつかない足取りでベランダへ向かった。
「すみません、お待たせしました」
「おかえり」
───あ、やばい。
成瀬さんの優しい声音が鼓膜を揺らした瞬間、急激に目頭が熱くなった。
瞬きをしたら涙が溢れそうで、慌てて上を向いた。今にも漏れてしまいそうな嗚咽を必死に我慢した。
ただ声を聞いただけなのに、どうしてこんなにも心を揺さぶられるのだろう。