つれない男女のウラの顔
「時間も遅いし、もし御両親が眠っていたらそのまま帰ろう。でも今の感じだと、すぐに寝付けない可能性が高い。花梨の顔を見たら、少しは落ち着くかもしれないだろ」
成瀬さんの言葉は説得力があった。無理にでも断らなきゃいけないのに、首を横に振れない。頭に浮かんだ両親が、会いに来てって言っているような気がする。
──だけど、これは私の問題で成瀬さんを巻き込むわけにはいかない。石田さんの件は成瀬さんが関わってくれたことによってスムーズに解決出来たけど、今回はそういう問題ではない。行動するなら自分の力で動くべきなのだ。
けれどこの時間からバスには乗れないし、実家に向かう電車も間に合わない。タクシーはさすがに金銭的に無理だし、結局今日は諦めるという選択肢しか残らない。
「…やっぱりどう考えても、成瀬さんにお願いするわけにはいきません。でもこの時間からは…」
「だったら言い方を変える」
遮るようにそう言った成瀬さんは、重ねていた手に強く力を込めた。
まるで“離さない”と言われているみたいで、心臓がドキッと跳ねた。
「俺が花梨を連れて行きたい」
強く言い切った彼は「一緒に行こう」とトドメの一言を放つ。
拒絶することも出来ず言葉を詰まらせていると、成瀬さんは私の手を握ったまま続けて口を開いた。
「一昨日の夜、俺が“男ばかりの環境で育った”と言ったのを覚えているか?」
一昨日の夜とは、私が成瀬さんの部屋に泊まったときのことだ。確かに成瀬さんはそう言った。私に比べたら異性に慣れていそうだという話をしたら、男ばかりの環境で育ったから苦手だと教えてくれた。
「俺は幼い頃に母親を亡くしている。もともと体が弱く、俺を産んだあとすぐに病気で…」
「うそ…」
あまりの衝撃に息を呑んだ。あの会話の中に、そんな過去が隠されているとは思わなかったから。
「だから俺には母親の記憶がない。それに対して寂しいと感じたことはあまりないが、母親と話してみたかったとは思う」
静かに言葉を紡ぐ成瀬さんから目が離せない。その表情は穏やかだけれど、成瀬さんの御家族の計り知れない悲しみを考えると胸が苦しくなった。
「生きていないと出来ないことがある。花梨が会いたいと思わないのなら、無理は言わない。でも少しでも会いたいと思うなら、俺はいますぐ花梨を連れて行きたい」