つれない男女のウラの顔

episode8



“推し”とは。

『対象になる人や物について好意があるのみならず、他の人にもおすすめしたいという気持ちがあることを指します』



やっぱり、成瀬さんに対する気持ちは、推しとは少し違うような気がする。他の人におすすめしたいとか、そういうものではないし。だとしたらこれは何?もしかして………。

いや、いやいやいや。もしかすると恋かもって一瞬思ったけど、さすがに恋に落ちるには早い気がするし、何より彼はそういうのを嫌がっているし、私も恋愛に不向きだし、だからこれは決してそういうのではない…と思う。

成瀬さんには元々憧れていたわけだし、よりその気持ちが強くなっただけなのかも。


…でも、憧れの人に会いたいと思うことがあっても、触れたいと思うことってあるのだろうか。あの熱が恋しくて、胸が苦しいと思うのはやっぱりおかしい?

あの低く掠れた声も聞きたい。シャンプーや柔軟剤のにおいも、車の芳香剤の香りも全部覚えてる。

…私ってただの変態なのかな。


「はぁ」


思わず大きな溜息を吐いて、成瀬さんの部屋がある方の壁を見つめた。成瀬さんは何をして過ごしているのだろう。ドライブが趣味だって言ってたから、どこかに出かけていたりして。

ぼんやりとそんなことを考えていると、突如テーブルに置いていたスマホが着信音を鳴らした。画面を確認すると“母”の文字が表示されている。

もしかして父に何かあったのだろうか。


「もしもし?」

『あ、京香?いま電話大丈夫?』

「大丈夫だけど、どうしたの?何かあった?」

『いいえ、こないだのお礼を伝えようと思って。本当は昨夜電話しようと思ったけど、あなた寝不足でしょ?寝ていたら申し訳ないと思って、今日かけてみたの』


どうやら父のことではないようで、ほっと安堵の息を吐いた。母の声が前回の電話の時より落ち着いているし、とりあえずは安心だ。

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