つれない男女のウラの顔
「…ありがとうは、私の台詞ですよ」
慌てて涙を拭いながら「旭さんは優しいですね」と誤魔化すように笑顔を向けた。
ここで泣いたらダメだ。最後の最後でしんみりさせたくない。私にとっても、そして彼にとってもいい思い出で終わりたいから。
「旭さん」
彼を名前で呼ぶのは、きっとこれが最後。私なりに心を込めてその名前を口にした。
「ん?」と首を傾げた彼の双眸が私を捉える。男性と目を合わせることが苦手なはずなのに、今はまっすぐにその綺麗な瞳を見つめられる。
これも練習の成果なのだろうか。いや、ただ単に彼をずっと見つめていたいだけだ。
「家に帰るまでが、デートですよね」
「うん?まぁそうだけど、なんで急に“家に帰るまでが遠足”みたいなこと言い出した?」
ふっと吹き出したように笑った成瀬さんに、一歩近づく。
そして彼の服の裾を少しだけ掴むと「え?」と零した成瀬さんの瞳が微かに揺れた。
「今もまだ、私はお嫁さんなんですよね?」
キョトンとした顔で私を見下ろす彼に「ちょっと屈んでもらっていいですか?」と続けて尋ねた。
少し戸惑った表情を見せながらも、成瀬さんは私に目線を合わせるように腰を折る。
至近距離で視線が絡んで、ふわっと成瀬さんの匂いが鼻腔をくすぐった。
今日のデートの記憶が蘇ってきて、また目頭が熱くなった。
「まだデートは終わっていないので、許してくださいね」
ぐっと距離を縮め、彼の耳元で囁いた直後、その頬に自分の唇を押し当てた。
ぎこちなくて不器用なキス。一応断りを入れたから怒られることはないと信じて、彼に最後のキスをした。