冷酷な御曹司は虐げられた元令嬢に純愛を乞う
それからの3週間は莉子にとって、忙しいながらもとても楽しい日々になった。

若旦那は子供の頃と変わらず優しくて、頼り甲斐のある先生だった。

亜子は小さかった事もあり、余り記憶は残っていなかったけれど、花街でお世話になった夕顔花魁の事を思い、この人と幸せになって欲しいと願わずにはいられなかった。

「若旦那様は、夕顔花魁をいずれは妻にとお思いですか?」
ある日の休憩中、思い切って聞いてみる。

「…どうかなぁ。夕顔にてとって、表に出るより花街の中にいる方が幸せなんじゃないかと…最近思ったりもするんだ。」
意外な返答に、亜子はしばし言葉を無くす。

「なぜ?なぜそう思うのですか?花街には決して自由など無いし、幸せには程遠い生活なのでは…?」
返事を返したのは莉子の方だった。

「そうだよね…。だけど彼女を見ていると、生き生きしている気がするんだ。やっと掴んだ花魁という座を、みすみす誰かに譲る気は無いって言うんだ。…それに外の世界は怖いと言う…。」

「その気持ち…なんとなく分かります。」
亜子がそっと話し出す。

「私も怖かった…自由になる事が、自分だけの力で歩き出す事が怖かったんです。花街ではある意味守られ、大切にされます。
それは私達が商品だから当たり前なのですが…

年貢が開けたら外に出られると夢見ていた時期を通り越すと、ただただ知らない世界に1人放り出される怖さを感じました。」

「亜子ちゃんは1人じゃないでしょ。私もお兄様だって…司さんだっているんだから。もっと不安な事や心配事、思ってる事を曝け出してくれていいのよ。」

なぜ当初亜子が身請け話しを渋ったのか、今やっと知る事が出来た。

「今となっては、何故そう思っていたのか…不思議ですが。一種の洗脳だったのではと思います。」

「洗脳…?」
若旦那が亜子に聞き返す。

「毎日、女将さんから外は怖いと聞かされました。私達みたいな人間が、外に出れたところで愛人でいるしかないと、結局身請けした人に一生縛られて生きていくしかないんだと、自由なんてそこには決して無いと言われていました。

それに…足抜けした女郎が捕まって、ひどい折檻を与えられるところも見ましたし…。

だから…食べ物に困らず、寝る場所に困らずいられる花街が、最適な場所だと思うようになるんです。」

亜子の言葉を噛み締めながら莉子は聞いていた。

確かに東雲家にいた頃、自由なんて無かったし、心が疲弊して逃げたいなんて気持ちも湧き出てこなかった。ただただ毎日を耐え抜いて、生きる希望も夢もなかったから…。

司に合わなかったら、一生そんな毎日だっただろうと思うと背中がゾッとした。

「亜子ちゃんは今、自由だよね?好きな事出来てるよね?」
だから、亜子に問わずにはいられなかった。

「はい、お姉様。
今の生活はとても楽しいしです。そう思えたのは横浜に来てからですが…司様には感謝しかありません。」

「そうか…。亜子ちゃんの場合は特殊なケースだよね。」
若旦那がそう言って思いを馳せる。

亜子ちゃんは司君の愛人でも無ければ、想い人でも無い。助け出してもらった恩はあるが束縛される義務は無いんだ。だから彼に縛られる事無く、これからも自由に生きていける。

「夕顔はどうだろうか…。
身請けしたところで、一生僕の愛人として肩身の狭い思いをして、生きていくしか無いんだろうか…。」
若旦那は独り言の様にそう呟く。

「全ては若旦那様次第では?」
莉子が、サラッとそう告げる。

軽く言うがとても重い言葉だと、若旦那の心に深く響く。

ただ、一つの答えを見出す。

大事なのは身請けした後、夕顔に自由を与えられるかだ。

家の者の反対や、世間からの批判の目、それに自分自身の後ろめたい気持ち…いろいろ葛藤があり、きっと傷付き辛い思いをするだろう。

僕は彼女を幸せにしてあげる事が出来るだろうか。

この短期間でそれをやり遂げた、長谷川司という男の偉大さを思い知る。

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