冷酷な御曹司は虐げられた元令嬢に純愛を乞う
しかし突然、ゴホゴホと咳き込み出す。

俺は慌てて手拭いを口に当て背中をさすって介抱すると、手拭いが吐血したかのように真っ赤に染まる。

「大丈夫か⁉︎口の中が痛いのか?」
水を飲ませなければと思うあまり失念していたが、彼女の口の中は傷だらけだった。

「すまなかった…痛いか?しみるよな…。」
どうすれば水が痛まず飲めるのだろうか…。

ああ、そうだ!
虫歯の時は冷たいものが歯にしみると言う。それならば温めた方が沁みないのかもしれない。

火鉢にかけてあったやかんのお湯を水差しに少し入れ、人肌ほど温かくして彼女に渡す。

「温めた方が痛みが軽減するかもしれない。ちょっとずつ飲んでみてくれないか?」

彼女はそっと唇を開き、ゆっくり白湯を飲み始める。

今度はちゃんと飲めたようだ。

俺は再び安堵し、深くため息を吐いた。

とりあえず、何か口にできないだろうか。
昨夜買い漁った果物が部屋の隅に置かれているのに気付く。

きっと千代が気を利かせて置いて行ってくれた、その果物入れにはバナナやみかん、桃があった。
柑橘類はしみそうだからダメだ。

桃はどうだろうか…いや、水分が多いものは傷口に良く無いかもしれない。

この中ではバナナしかないと思い、一房手にして皮を剥く。
フォークで小さく切り分けて、一つ刺して口元まで運ぶ。

「昨夜から何も食べていない。体力が持たないといけないから食べろ。」
心情的には頼みなのだが、
命令口調じゃなければ、彼女を動かす事が出来ないから仕方がない。

小さく口を開け、戸惑いながらそれでも食べてくれた。

怪我を負わせたのは俺自身で、本来なら優しく接し、許しを乞わなければならないのに、矛盾している態度を取らなければ行けない事で、おれは心をすり減らす。

そしてまた、白湯を少し飲ませ少し安堵する。

「まだ、夜明け前だ。もう少し寝ていろ。」
命令口調でそう伝えれば、彼女は従うしかないというふうに、抵抗しないで素直に横になってくれた。

その時、何かに気付いたらしく彼女の目線が泳ぐ。

「あの…私が着ていた着物はどこに?…。」
戸惑いながら聞いてくるから、

「ああ、寝苦しいからと女中が着替えさせた。着物はあそこに掛けてある。」
何事もない風を装って、安心させるようにそう伝える。

「何から何まで…お世話になり…ありがとうございました。夜が明けたら、お暇させていただきます。」
彼女がそう言って来るから、

俺は内心慌てて、
「熱もまだ下がり切っていないし、体力も無い。今日一日は寝ていろ。どこかに行く事は許さない。」
と、伝える。

そのぼろぼろの身体で本気で帰ると言うのか?
痛々しく腫れた頬は包帯で巻かれ、額の傷にはガーゼが貼られている。

全ては俺のせいなのに。
それなのに…なんの償いもさせてはくれないのかと、下唇を噛む。

帰ったところで待っているのが、心をすり減らすだけの下働きなら、いっそこのまま逃げ出してしまえばいいとさえ思った。

東雲家は彼女が帰らない事を心配するだろうか…そう脳裏を掠るが、それは無いだろと考え直す。

身代わりによこすほどだ。厄介払いするつもりだったのだろうか。そう思うとまた腹が立つ。

彼女がこれほど生きる希望を失っているのは、与えられた環境が悪いからで彼女のせいでは無い。

願わくば、身体も心も回復して欲しい。

ああ。そう言えば…名前を聞き忘れていた。
と、再び寝てしまった彼女を横に、そう思い出していた。

< 19 / 222 >

この作品をシェア

pagetop