冷酷な御曹司は虐げられた元令嬢に純愛を乞う

お嬢様の身代わり

「莉子様、紀香お嬢様がお呼びです。」
朝早く、いつものように庭の掃除をしていた莉子の元に、紀香付きの女中が声をかけてくる。

莉子は手を止め掃除道具を片付ける時間も惜しみ、急いで紀香の部屋へと向かう。

森山莉子18歳。

12歳まで伯爵令嬢として何不自由なく育てられて来たが、お人好しの父が、友人の借金の肩代わりとなり多額の借金を抱え、家は窮地に立たされ没落。

その父は責任を抱え精神を蝕まれ、ついには海に身を投げ還らぬ人となってしまった。

病床の母と三人の兄妹はバラバラになり、兄の正利は16歳で貿易商の下働きに入り、妹の亜子は8歳で遊郭に売られて行ってしまった。

莉子はここ、遠い親戚にあたる公爵家の東雲(しののめ)の家へ養子として引き取られる。

しかし実際には、女中のように働かされ満足に食事も与えられず、虐げられる日々を送っていた。

そして去年の暮れ、病床の母がついに息を引き取る。

看取ったのは、残された母の年老いた乳母1人だけ…。

母は莉子にとっては生きる一筋の希望だった。

少ないお給金から少しばかりの薬を買って、毎月母の見舞いに行った。いつか兄妹3人で母と共に暮らしたい。
その思いだけが、莉子の生きる意味であり希望だったから…。

その母が亡くなり…生きる意味を失った。

葬式を挙げることも叶わず、骨となった母の遺骨を抱え、生き別れて以来始めて会えた兄と共に、無縁仏を供養するお寺で祈りを捧げた。

「お兄様…私は、このまま死んでしまえたら、どんなに楽かと思うのです。」
莉子は兄にそう告げる。

かつて令嬢だった頃、良く笑う可愛らしい妹だった。

養子に出された先で辛い思いをしているのだろう事は、赤切れだらけの手を見れば容易に分かる。

兄、正利は莉子の頭を撫ぜながら、

「いつか俺がもっとのし上がって、もっと今より稼げるようになったら、必ず莉子と亜子を迎えに行く。それまでどうか生きながらえてくれ。」

堪らず抱きしめた妹の痩せ細った身体に、自分自身の非力を感じ正利は唇を噛みしめる。

兄はこの6年、必死に働き今では番頭補佐と呼ばれる地位にまで上り詰めた。

しかしまだ、妹を呼び戻せるほどの財力には程遠く…父が残した借金をなんとか返していく事で精一杯だ。

莉子は思う。
亜子はどうしているかしら…今はもう14歳、元気で働いているのかしら…。

花街がどんな場所なのかよく分からないまま…ひたすら妹の幸せを願う。

妹が引き取られていく際に、仲介人から美味しいご飯がたらふく食べられる場所だと聞いていた。
きっと、亜子の事だから元気に逞しく生きてくれている筈…。

「お兄様、亜子は楽しくやってるかしら?花街はどういう所なの?会いに行ってきたのでしょう?」
何も知らない無知な莉子は兄に問う。

兄は言葉を濁し、しばらく考えてから、

「花街は…楽しくお酒を飲む所だ。亜子も綺麗な着物を着て舞踊なんかをしていたよ…。琴もだいぶ上手になっていた。」

「そう。楽しそうで良かった…。」

莉子が安堵した顔をするから、それ以上は何も言えず兄は空を睨みひたすら涙を堪えるしかなかった。
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