冷酷な御曹司は虐げられた元令嬢に純愛を乞う
お昼過ぎまで、いつも通り掃除や洗濯と忙しく働き、いつの間にか迎えの時間が近付いて来る。

莉子は慌てて着物を着替え、紀香の身代わりとなる為に女学生の姿になる。

玄関に停まっている迎えの馬車にこっそり隠れて乗り込む。

この時、なぜなのかもうこの場所にきっと帰って来る事は無いだろうと朧げに思う。

女学校の正門には、迎えを待つ沢山の馬車や人力車が並んでいた。ちらほらと海老茶袴を身に付けた女学生も歩いているから、莉子も上手に周りに溶け込み、誰にも気付かれる事なく待ち合わせ場所へ急ぐ。

入口に着くと、黒のスーツに身を包んだ初老の男が1人佇んでいた。

男は莉子に頭を下げて、
「失礼ですが、東雲紀香様でございますか?」
と尋ねて来るから、莉子は、
「はい。」
と答える。するとその初老の男は、

「こちらにお乗り下さい。」
と、近くに停めていた黒光りする車のドアを開け、乗るように言ってくる。

車に乗ったのはいつぶりかしら?
莉子は後部座席に座りながらふとそんな事を思う。

この車を所有出来るほどの経済力のある人に、今から莉子は紀香と偽り、会いに行かなければならない。

頭はもうずっと前に考える事を辞めていた。
怖がる事も抗う事も…。
既に運命は、莉子を巻き込み動き出している。

初老の男は運転席に乗り込み車は静かに走り出す。

莉子が車窓から移り行く街並みをぼんやり見つめていると、幼い頃の幸せだった記憶が走馬灯のように蘇る。

あの頃は何も知らず無邪気な笑顔を振り撒いて、学校に通い、美味しいものを食べ、夜は暖かいベッドで眠り、未来に沢山の夢を見ていた…。

そして今、気付けば辺りは暗くなり、車窓には覇気の無い青ざめた自身の姿を写し出す。
どこをどう見たって紀香には似ても似つかない。
直ぐに別人だと気付かれてしまうだろう。

莉子は小さくため息を吐き、逃れられない運命に身を置くしか無い。


何処をどう通って来たか、一軒の立派な日本家屋に到着する。
門から屋敷までは砂利道が続き、車が止まるまで少し時間がかかるほど広い敷地だった。

「お降りください。」
初老の男が運転席から降りて、莉子を言葉少なに誘導する。

指示に従い男の後を静々とついて行く。

立派な日本庭園を通り過ぎ、屋敷の裏に回るとそこには大きな蔵が立っていた。
まるで檻のようなその場所は、重々しい扉が何重にも重なり、外側から大きな鍵がかけられるようになっている。

「こちらでお待ち下さい。」
蔵の中に入るように言われ、莉子は戸惑いを見せる事なく素直に従う。

蔵の中にはランプが一つ置かれているのみ、板の間は冷たくて指先から身体の芯が冷えていく。
莉子はランプから少し離れた所に正座して、静かにただその時を待つ。
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