冷酷な御曹司は虐げられた元令嬢に純愛を乞う
「お兄様!!」
背後から妹の麻里子が慌てたように、不自由になった足を引き摺りながら駆け込んで来た。
兄と呼ばれた男は、ゆっくりと立ち上がり妹が転ばないように身体を支える。
「お兄様…この方は…どなたですか?」
震える声で妹が問う。
「この女がお前をこんな風にした、東雲紀香だ。」
男は静かに言う。
妹は目に涙を溜めて、首をブンブンと横に振る。
「…違います…。この方…では…ありません。」
男は息をハッと飲み込む。
「どういう事だ⁉︎
この女は確かに、東雲紀香だと自分から名乗り謝罪した。」
男は目を見開き、信じられないというように支えていた妹の腕を握り締める。
妹はその手を振り払い、足を引き摺りながら、倒れて動かなくなった莉子に駆け寄り、細くて青白い首に指を置き脈を確認する。
「良かった…脈はあるわ。
きっと脳震盪をおこしなのかも…。急いでお医者様を!」
振り返り様に兄の運転手である男に呼びかける。
一言も発する事無く、じっと事の成り行きを見守っていた運転手も今、目が覚めたかの様にビクッと身体を揺らし、慌てて踵を返して廊下を駆けて行った。
「彩さん。至急お布団を用意して!お兄様はこの方をお布団に!」
妹の麻里子の指示に従い、麻里子付きの女中である彩は、お布団を敷きに客間へと急ぐ。
男はヒリヒリと痛む手のひらを見つめ、奈落の底に突き落とされたかのような気持ちになる。
それでも、薄暗い蔵の冷たい床に転がったままの莉子をそっと抱き起こし、出来るだけ丁寧に頭を動かさないように抱きかかえて客間へと運ぶ。
抱き上げた身体はか細くて、驚くほどの軽さにおもわず手が震える。
そしてその額には倒れた時に打ったのか、たんこぶが青く浮かび血さえも滲み出ていた。
叩かれた頬は赤く腫れ上がり、口角からは血がひたたり落ちる。口の中を切ってしまったのだろうか…。
歯を食いしばれと言ったのに、手に当たった感触は柔らかった…。
まさか防御さえもせずに俺の怒りを受け止めたのか⁉︎
普通の人ならば殴られると思った瞬間、怖さと恐怖で反射的に身を硬くして自分を守ろうとする筈だ。
それなのに、彼女は自分の身を守る事もせず、偽りの名を語り、見に覚えも無い罪を着せられたのに、抵抗する事もなく自らを捧げたと言うのか⁉︎