弱みを見せない騎士令嬢は傭兵団長に甘やかされる
「あら……眠ってしまったのね……」

 見れば、テーブルに書置きがしてある。ヘルマからだ。

「ふふ、起こそうとしてくれたのね。悪いことをしてしまったわ」

 何度か起こそうとしましたが、まったくお嬢様が目覚めないので申し訳ありませんがそのままにさせていただきました……そのように走り書きが書いてある。この時期は夜でも肌寒くないため、椅子での転寝でも体は冷えていない。

 思ったより深く長く眠ってしまったようだ。月を見ればもう頂点から相当傾いている。ミリアは悩んだ末、どうせもうすぐ朝だ、と服を着替えた。朝の鍛錬後にもうひと眠りをすれば良いだろう……そう考え、彼女は家を出た。

「ああ、まだ、陽が昇らない」

 しかし、朝を待つ空気は嫌いではない。騎士団で野営に出た時、深夜番が早朝番と交代をする時間だ。夜通し周囲を見張っていた深夜番が眠りにつき、早朝番が朝食を終わるまで見張りに立つ。その交代時間はいつも夜と朝の空気が混じっていて、少し気を抜いている間に陽がうっすらとあがって、気づけば朝になる。

(そんな時間に起きていることなんて、なかなかなくなりましたね)

 町は静まり返っている。道を歩く自分の足音だけが響く。彼女は宿屋に向かい、その建物の裏側に回った。いつも、ヴィルマーが朝の鍛錬をしている場所。厩舎の前はがらんと空いており、ヴィルマーはまだいない。

 彼女はしばらくそこに座り込んでいたが、やがて、立ち上がって鍛錬を始めた。いつも、自分はヴィルマーの後に来ていたので、彼がいないその空間にいることがなんだか不思議だった。しかし、鍛錬を開始すれば、その雑念も消える。剣を振っている間は、左足のことも忘れてそれに集中を出来る。

「……ふ……」

 少しだけ、左足に違和感を感じて腕を下ろす。昨日の走り込みがじわじわと効いたのか、と軽く左足に触れる。すると、背後で声がした。

「大丈夫か、足が痛むのか」

「……おはようございます」

「おはよう。どうした。足が……」

「少しだけ。でも、これぐらいならよくあることなので」

 そう言って笑えば、ヴィルマーは困ったような表情を見せる。

「どうしたんだ? いつもより早いな」

「早く目が覚めてしまったので」

「それで、わざわざここに? 自分の家の裏でも鍛錬が出来るってのに、人様の宿屋の裏に」

「そうですね。それは確かに失礼でした。泊ってもいないのに……明日からは、来ません」

 ミリアのその言葉にヴィルマーは目を軽く見開いた。

「なんでそんな風に投げやりなんだ? 君らしくない」

「どうして……ここに来たのかと思ったので」

 そう言って、ミリアは剣を下ろしたまま、自分の足の爪先を見つめた。ああ、馬鹿馬鹿しいと思う。自分がここに来た理由なんてわかっている。明確だ。ヴィルマーに会いたかっただけだ。そして、そう思っている相手に、一体自分は何を言っているんだろうかとミリアは自分に失望をした。

「そうか」

 だが、ヴィルマーはそれ以上特に何も咎めずに、小さく笑う。

「君は、どこで鍛錬をしているんだ? 本当に家の裏か?」

「はい」

「そうか。じゃあ、明日から俺がそちらに行こう」

「えっ?」

「それなら、宿屋に迷惑もかけないしな。いいだろう?」

 ミリアは静かにヴィルマーを見た。良いとも悪いとも言わずに、ただ、ヴィルマーの顔を見上げる。だが、彼は彼女の答えを欲さずに「今日は送ろう。左足が心配だしな」と言う。ミリアがそれを断ると、彼は笑った。

「いいじゃないか。少しは甘えてくれ」

 甘えてくれ。その言葉にミリアは困ったような表情になる。それは何度も元婚約者に言われたセリフでもあったからだ。

「わたしは……あまり、人に甘えることが得意ではないので」

「そのようだ。だが、男ってのは本当に馬鹿だからなぁ」

「馬鹿……」

「甘えられたら勘違いを簡単にするもんだ。だから、今日だけは、甘えてくれないか。君が困らなければ、だけど」

 その言葉に、ミリアは困ったようにため息をついた。だが、それは呆れたから出たのではない。なんだか、負けた、と思ったからだ。

「わたしは、甘えることが得意ではありません」

「うん。わかってる。だから、君の家まで送ろう」

「困った人ですね」

「そりゃ、こっちのセリフだ!」

 そう言ってヴィルマーが歩き出す。ミリアは彼の背を見ながら、かすかに頬を染めて、同じく歩き出した。

「パン、美味かった」

「まあ、よかったです」

「本当に君たちが作ったのか」

「ええ、まあ、少しそっけない味だとは思いますが……それぐらいが良いのかと思いまして」

 それへ、ヴィルマーは「同感だ」と答えた。そして、もう一度食べたい、とも。

「また次回、走り込みに参加していただければ」

「うーん、やっぱりそうか……」

 そう言ってヴィルマーが苦々しそうに呻いたので、ミリアは小さく笑った。
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