条件は飼い犬と一緒に嫁ぐこと
第3話 婚姻という名の
「あの時、ベリンダお姉様の荷物ではなく、リヴェを連れて帰ったから、余計に嫌っているのかもしれないわね。ごめんね、嫌な思いをさせてしまって」
私はリヴェの頭を撫でた。
あの日、弱っていたリヴェを担いで、ブベーニン伯爵邸に私は帰った。
汚れていたけれど、すでに私のワンピースも汚れていたのが幸いして、誰も何も言わなかった。多分、大型犬を担いでいたから、近寄りがたかったのかもしれない。
けれどベリンダお姉様には関係なかった。
荷物は、宝石商「オリーヴェ」の店主が機転を利かせて届けてくれたため、お咎めはなかったのだが、実は……。
「ベリンダお姉様は大の犬嫌いだったのを、すっかり忘れていたのよ」
「くぅ~ん」
まるで気にすることはない、とでも言っているかのように、リヴェは優しく鳴いた。
この名前も「オリーヴェ」の近くで拾ったから付けた安易な名前だったが、今ではとても愛着がある。
ベリンダお姉様に怒鳴られても、嫌がらせを受けても、さっきのようにリヴェが仕返しをしてくれるのだ。直接ではないため、私もリヴェも大きな被害は受けなかった。
そう、今では……。
***
それから数日後。突然、お父様の執務室に呼ばれた。多分、あまりいい話ではないのだろう。
「リヴェ、ちょっと行ってくるね」
「くぅ~ん」
寂しげに見る青い瞳と鳴き声に、私はリヴェを抱き締めた。
本当は行きたくない。けれど、行かなかったらその後が怖い。だから行かなくては……!
「大人しく待っていてね」
私はそう言って、屋根裏部屋を後にした。
***
お父様の執務室に入ると、案の定、先客がいた。いや、お父様と一緒に私を待っていたのだろう。ベリンダお姉様とお母様がソファーに座っていた。
「ようやく来たか」
お父様は扉の前で立っている私を一瞥するだけで、返事など期待していない。近づくこともまた、許さないとでもいうように、そこには触れず要件を話し始めた。
「お前に縁談が来ている。勿論、我がブベーニン伯爵家のために嫁いでくれるな」
相手は? と聞こうとしたら、ベリンダお姉様が立ち上がり、まるでバトンタッチをするかのように答えてくれた。
「相手はサンキーニ男爵というのだけれど、一代で財を成した方なの。最近、貴族に成り立てっていうのもあって、貴女にピッタリでしょう。年数は違うけれど、同じ元平民なのだから。気が合うと思うのよ」
「しかも、結納金や支度金などの諸々の資金から、我が家への奉仕も出してくれる、懐の広い人物だ」
奉仕と言っているが、要は援助だ。元平民と謂えど、相手から援助される、という言葉は使いたくないのだろう。
私の本当の父親である、お父様の恩師は平民だというのに。ベリンダお姉様の考えに染まってしまったようだ。
それを悲しく思うものの、やはり血の繋がりがないせいか、諦めも早かった。
私を身売りするような人たちなど……。けれど一つ、問題があった。
「リヴェを……犬を連れて行くことは――……」
「無理に決まっているでしょう。いくら懐が広いと言っても、サンキーニ男爵はそれなりのお年なのよ。婚期を逃してしまうほど、お仕事に没頭されていたのね。齢、三十五だと聞いたわ」
三十五歳……。私は今年、婚期を迎えた十八歳だ。
お金をチラつかせた縁談。明らかに体が目当てなのが分かった。まだ、御高齢の方に嫁ぐ方がマシだ。
いや、逆に私の方がお金目当てだと思われ兼ねない。
「で、でも、そしたら誰が、リヴェの世話をしてくれると言うのですか?」
「犬は所詮、犬よ。世話する者がいなくなれば、勝手に出ていくでしょう。元々、野良だったんだから、手を貸さなくても生きていけるわ」
貴族のお嬢さんらしい回答に、私は内心ため息を吐いた。
大型犬は目立つし、野犬は危険だと近づかないのならいいけれど、もしものことがあったら……!
確かに、犬嫌いのベリンダお姉様には好都合かもしれない。けれど、折れそうになる心をずっと支えてくれていたリヴェが、私のせいで命を落としたら……生きていけないわ。
「ワン! ワン! ワン!」
「リヴェ?」
突然、扉の向こうからリヴェの鳴き声が聞こえた。まるで抗議するかのように吠えている。
もしかして、ずっとそこにいたの?
扉に駆け寄ろうとした瞬間、後ろから悲鳴が上がった。勿論、ベリンダお姉様のだ。
「誰か、その犬を追い出して!」
「ま、待って! 今、私が――……」
「すぐに離れ離れになるんだから、構わないでしょ! アンタがいなくなったら、どの道あの犬だって、ここにはいられないんだから。それが早くなっただけよ!」
ベリンダお姉様に腕を掴まれ、そのまま部屋の内側に引っ張られる。
「っ!」
その拍子で私は椅子にぶつかり、肩を打撲した。あまりの痛さに床に転がっていると、ベリンダお姉様に髪を掴まれる。持ち上げられ、髪の何本かがブチブチと、音を立てていた。
「うっ」
「ちょうどいいわ。逃げられないように、しばらく部屋で大人しくしていてね」
「一応、体に何かあったらいけないからな。治療はする。が、勘違いをするな。全てサンキーニ男爵から受け取る金のためだ」
それをお母様は、まるで醜いものを見るような目つきで見ていた。なんて愚かだろう。その眼差しは向けるものではなく、向けられる立場なのに。
私はまるで他人事のように思いながら、そのまま意識を手放した。
私はリヴェの頭を撫でた。
あの日、弱っていたリヴェを担いで、ブベーニン伯爵邸に私は帰った。
汚れていたけれど、すでに私のワンピースも汚れていたのが幸いして、誰も何も言わなかった。多分、大型犬を担いでいたから、近寄りがたかったのかもしれない。
けれどベリンダお姉様には関係なかった。
荷物は、宝石商「オリーヴェ」の店主が機転を利かせて届けてくれたため、お咎めはなかったのだが、実は……。
「ベリンダお姉様は大の犬嫌いだったのを、すっかり忘れていたのよ」
「くぅ~ん」
まるで気にすることはない、とでも言っているかのように、リヴェは優しく鳴いた。
この名前も「オリーヴェ」の近くで拾ったから付けた安易な名前だったが、今ではとても愛着がある。
ベリンダお姉様に怒鳴られても、嫌がらせを受けても、さっきのようにリヴェが仕返しをしてくれるのだ。直接ではないため、私もリヴェも大きな被害は受けなかった。
そう、今では……。
***
それから数日後。突然、お父様の執務室に呼ばれた。多分、あまりいい話ではないのだろう。
「リヴェ、ちょっと行ってくるね」
「くぅ~ん」
寂しげに見る青い瞳と鳴き声に、私はリヴェを抱き締めた。
本当は行きたくない。けれど、行かなかったらその後が怖い。だから行かなくては……!
「大人しく待っていてね」
私はそう言って、屋根裏部屋を後にした。
***
お父様の執務室に入ると、案の定、先客がいた。いや、お父様と一緒に私を待っていたのだろう。ベリンダお姉様とお母様がソファーに座っていた。
「ようやく来たか」
お父様は扉の前で立っている私を一瞥するだけで、返事など期待していない。近づくこともまた、許さないとでもいうように、そこには触れず要件を話し始めた。
「お前に縁談が来ている。勿論、我がブベーニン伯爵家のために嫁いでくれるな」
相手は? と聞こうとしたら、ベリンダお姉様が立ち上がり、まるでバトンタッチをするかのように答えてくれた。
「相手はサンキーニ男爵というのだけれど、一代で財を成した方なの。最近、貴族に成り立てっていうのもあって、貴女にピッタリでしょう。年数は違うけれど、同じ元平民なのだから。気が合うと思うのよ」
「しかも、結納金や支度金などの諸々の資金から、我が家への奉仕も出してくれる、懐の広い人物だ」
奉仕と言っているが、要は援助だ。元平民と謂えど、相手から援助される、という言葉は使いたくないのだろう。
私の本当の父親である、お父様の恩師は平民だというのに。ベリンダお姉様の考えに染まってしまったようだ。
それを悲しく思うものの、やはり血の繋がりがないせいか、諦めも早かった。
私を身売りするような人たちなど……。けれど一つ、問題があった。
「リヴェを……犬を連れて行くことは――……」
「無理に決まっているでしょう。いくら懐が広いと言っても、サンキーニ男爵はそれなりのお年なのよ。婚期を逃してしまうほど、お仕事に没頭されていたのね。齢、三十五だと聞いたわ」
三十五歳……。私は今年、婚期を迎えた十八歳だ。
お金をチラつかせた縁談。明らかに体が目当てなのが分かった。まだ、御高齢の方に嫁ぐ方がマシだ。
いや、逆に私の方がお金目当てだと思われ兼ねない。
「で、でも、そしたら誰が、リヴェの世話をしてくれると言うのですか?」
「犬は所詮、犬よ。世話する者がいなくなれば、勝手に出ていくでしょう。元々、野良だったんだから、手を貸さなくても生きていけるわ」
貴族のお嬢さんらしい回答に、私は内心ため息を吐いた。
大型犬は目立つし、野犬は危険だと近づかないのならいいけれど、もしものことがあったら……!
確かに、犬嫌いのベリンダお姉様には好都合かもしれない。けれど、折れそうになる心をずっと支えてくれていたリヴェが、私のせいで命を落としたら……生きていけないわ。
「ワン! ワン! ワン!」
「リヴェ?」
突然、扉の向こうからリヴェの鳴き声が聞こえた。まるで抗議するかのように吠えている。
もしかして、ずっとそこにいたの?
扉に駆け寄ろうとした瞬間、後ろから悲鳴が上がった。勿論、ベリンダお姉様のだ。
「誰か、その犬を追い出して!」
「ま、待って! 今、私が――……」
「すぐに離れ離れになるんだから、構わないでしょ! アンタがいなくなったら、どの道あの犬だって、ここにはいられないんだから。それが早くなっただけよ!」
ベリンダお姉様に腕を掴まれ、そのまま部屋の内側に引っ張られる。
「っ!」
その拍子で私は椅子にぶつかり、肩を打撲した。あまりの痛さに床に転がっていると、ベリンダお姉様に髪を掴まれる。持ち上げられ、髪の何本かがブチブチと、音を立てていた。
「うっ」
「ちょうどいいわ。逃げられないように、しばらく部屋で大人しくしていてね」
「一応、体に何かあったらいけないからな。治療はする。が、勘違いをするな。全てサンキーニ男爵から受け取る金のためだ」
それをお母様は、まるで醜いものを見るような目つきで見ていた。なんて愚かだろう。その眼差しは向けるものではなく、向けられる立場なのに。
私はまるで他人事のように思いながら、そのまま意識を手放した。