君に出逢える私になるまで
01 依存
 目を開けると、見たことのない魚たちが泳ぐ、恐ろしいほど鮮やかな世界が広がっていた。波打つ海に体が浮かんだり沈んだりする。
 恐い。恐い。恐い。知らない世界の中、知らない魚たちに囲まれ、強い力でどこかもわからない場所に流されていく。少しずつ息ができなくなる。
 私は海のことを何一つ知らなかった。ただ、冷たくて心地よくて、悩んだ時には思いを吐き出せる、そんな存在だと感じていた。
 電車に揺られていたら、またあの日のことを思い出してしまう。震える手を握りしめて、必死に彼の顔を思い浮かべる。「彼」とは最愛の人、宮月陽のこと。7年前、彼は死んだ。彼の命と引き換えに、私は生きた。その事実を知った時、目の前が真っ暗だった。本当に目に映る全ての色が、黒く染まったみたいだった。溢れだす黒いものに飲み込まれないよう、立っていることだけが精一杯で、あぁ、本当に本当に大切な人を失ったんだと、世界の誰よりも愛している人を失くしたんだと、私の全てがそう言った。どうか早く電車が止まるように、記憶の中の陽と一緒に耐える。この恐怖から逃れたい。だけど、逃れられない。
 電車が地面を打ち鳴らす。大きな音と、揺れるつり革が否応なく思い出させる。あの日は地震だった。
 やっと停車した電車から降りて、無人の改札を抜けると、一面の田んぼ畑にいつものことながら感動してしまう。日に照らされた穏やかな稲の葉は、まるで楽しんでいるみたい。なあんて、どうでもいいことを考えている自分に呆れながらも、自然と早歩きになる足を止められない。目を覚ます保証なんてないのに、ここに来るときはいつも、何かが変わっていると期待して、急いでしまう。
 1キロくらい歩いたのだろうか、田んぼ畑の中に立つ小屋に入り、隠し扉の前で生体認証をすると、地下へと続く階段が開ける。
 降りるにしたがって、隠し扉を開けた時点でうっすらと感じていた消毒液の香りが、だんだんと強くなる。ここは研究室。7年前、津波で溺死した陽を抱き締めて泣いていた私に声をかけたのは、陽の兄であり研究者でもある宮月涼ー博士だった。その後、陽は極秘で作られたこの研究所に運び込まれ、蘇生する方法が見つかるまで、ということで急速冷凍保存された。
 真っ白な床の上に立つと、すぐに奥から声がした。
「恋乃ちゃん、こんにちは。1週間ぶりだね。」眠っている陽を見る私を見て、涼さんはいつものように笑いかけてくれる。
「うん、学校が忙しくて、来られなかったの。お父様に言われて生徒会にも入ってしまったし、稽古もあるし。」
 本当は毎日ここに来たい。だけど、私は国を代表する某大企業の社長の娘だ。ゆくゆくは会社を継ぐ身として、稽古や学校での活動は必須なのだ。夢を見ようとしたところで、将来は決定している。そんな心情を察してか、それともよっぽど嫌そうな顔をしていたからか、「今日は嫌なことがなくて良かったね。」と言われてしまう。図星だ。何となく居心地が悪くなって、曖昧に微笑んでみる。
「涼さん、陽は?」
「眠ってるよ。」そうか、まだ陽は眠っているんだ。いつになったら、また会えるんだろう。でもそんなこと、何もしていない私が涼さんに言うのはあまりにも最低だ。
「そんなに、落ち込まれると困るなぁ。」案の定、涼さんに突っ込まれてしまった。
「ごめんなさい、私何もできないのに。」私は陽がいなくなっても普通に暮らしている。陽がいないのに、普通に暮らせてしまっている。
 いつものように、モニターから7年前と変わらない陽を見つめた。
 「ねえ、陽今日はね、私20歳になるんだよ。陽と同い年になっちゃった。ねえ、陽、大好きだよ。」そう言うだけで泣いてしまうのはどうしてなんだろう。
 陽と結ばれる為に生きている。陽に誇れる自分になる為に生きている。そう思うと、息苦しい人生に光がさすような気がして、依存しているとわかってはいても、陽の存在無しで生きていく気力は私にない。
 ねえ、陽、聞こえてる?こんなにこんなに会いたいのにどうして、障害があるのかな。私たちはいつもそうだ。あの時も、今も。
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