結婚前夜に殺されて人生8回目、今世は王太子の執着溺愛ルートに入りました!?~没落回避したいドン底令嬢が最愛妃になるまで~
 不安げに、ノア様が私の顔を覗き込む。瞳に差し込む光が不安定に揺れていて、まるでノア様の心中を現しているようだった。
「いいえ。いいと思います。完璧でないノア様が、いちばん人間らしくて素に近いノア様と思いますから」
 そっとノア様の手に自分の手を重ねて微笑みかけると、ノア様の表情から不安が消えた。
 ……なんでかわからないけれど、ノア様が不安定な様子を出してくると過剰にドキリとしちゃうのよね。結婚前夜に私を襲ったノア様は完全に闇堕ちしていたし、その前兆みたいな感じがして。だからといって、嘘をついて安心させているわけでもないが。
「俺は、エルザのそういうところが好きだ。昔からエルザはそうだった。俺の地位とか、そういうの関係なく――ただ、そのままの俺の話を聞いてくれた」
 ノア様は私が重ねた指を絡めとると、自分の口元へと持っていく。その様子が、私にはスローモーションに映った。
「ここでエルザに会って――俺は君に、強烈なひとめぼれしたんだ」
 言い終えると同時に、私の手の甲にキスを落とす。思い出話に花を咲かせるにしては、どうも雰囲気が甘い方向へ向かっている気がしてむずがゆい。全神経がノア様に口づけられた部分に集中していると思いつつ、聴覚だけはしっかりとノア様からの愛の告白を一言一句逃さずに聞き入れている。どちらにせよ、全神経がノア様に支配されていることには変わらない。
「俺がエルザに、ここで言ったことを覚えている? 君に、将来結婚しようと言ったこと」
 そこまで覚えていたことに驚いた。
 あんなの、ノア様からしても子供同士のよくあるかわいらしいやり取りだと思っていたのに。
 ――ノア様って、本当の本当に、ずっと私のこと好きだったの?
 ありえないと思っていたが、じわじわとそれが真実ではないかと思い始めてくる。
 大切な宝物をひとつずつ紹介するように、ノア様があまりにも優しい瞳と口調で思い出話をするものだから、私も当時抱いていたノア様への淡い恋心を思い出しドキドキが止まらない。
「……覚えています。まさか、現実になるとは思わなかったけれど……いつまでも、ここでノア様と出会ったことは私にとって大切な思い出です」
 妙な緊張感の中、一生懸命言葉を紡いだ。
 孤児院で暮らす私がここでノア様と話していた時間は、まるで夢のようなひとときだった。ノア様が私に知らない世界を教えてくれたことで、私の視野も興味も広がった。だからこそ会えなくなったら悲しかったし、また会えた時は嬉しかった。そして……嫌われているのだと思った時は、当たり前だと思いつつも寂しかった。
 そこから私は何度もループを繰り返し、何度もノア様に殺されたことで、ノア様に対する感情は恐怖と申し訳なさに全振りしていたのだが――まさかループを回避した先で、こんな展開が待ち受けているなんて。
「……エルザ、ここでこの前の続きをしてもいいか」
「……続き?」
「また君に触れたい。今度はきちんと、君の反応を正面で楽しみながら」
 意地悪な笑みを浮かべるノア様を見て、以前、ノア様の部屋でリックの代理をした記憶が呼び起こされた。
「い、今!? ここで!?」
 あたふたする私を見て、ノア様は馬鹿真面目な顔をして頷く。
「エルザが可愛いことを言うのが悪い」
「私のせいなんですか!?」
「だって、君が俺を煽るから」
 繋いでいた右手は、いつの間にか私の腰に回されている。
 どうしよう。煽った覚えがなさすぎる。私がたじたじになっている間もノア様はどんどん身体を前のめりにして顔を近づけてくる。私は身体を後退させるが、このままでは噴水の淵に背中がついてしまいそうだ。
「ノア様! ここは神聖な場所ですよ! 神様の前でいけません!」
 油断したらすぐにでも押し倒されそうな状況を、私はなんとかひっくり返そうと応戦する。
「神様なら今不在よ」
 すると、私とノア様の間にどこからともなくひょこりと小さな女の子が姿を現してそう言った。
「!? だ、誰!?」
 いつからこの庭にいたのか、まったく気配を感じなかった。反射的に声を上げて女の子のほうを見る。
「エルザ、聞いたか? どうやら神は不在らしい。不在ならこのまま続けても構わない」
「ノア様! 小さい子供の前ですよーっ!」
 しかしノア様はその子には目もくれず、私に迫り続けている。誰が見ても、今のノア様は完全に暴走モードに入っているように見えるだろう。
……これが、ノア様の言う完璧でいられない自分なのか。完璧ではないノア様を目の当たりにして、さっきの言葉の信憑性が急に増してきた。
「本当、いい加減にしてほしいわ。アタシの前でイチャイチャイチャイチャ。ここは人間がイチャコラする場所じゃないのよ」
 どうにかノア様を説得しふたりできちんと噴水の淵に座り治すと、女の子がぷんすかとした様子で私たちに言う。ぐうの音も出ない意見に、私は申し訳なさでいっぱいだ。
「そっちこそ、姿を現すなんてめずらしいな。精霊っていうのは恥ずかしがり屋で、ほぼ人前に実体化した姿を現さないと聞いたことがあるが」
 ノア様が腕を組みながら女の子に言う。
「え、あなた、精霊なの?」
「どう見てもそうじゃない! 小さな羽もついているんだからっ!」
 女の子が背中を見せつけてくる。すると、たしかに透明の綺麗な羽がついていた。私はそれを見てやっと、女の子が人間でないことに気づく。
ノア様が言うには、王家の血を引かずとも神の庭に入れた者は、ここに棲む精霊たちの姿を見ることができるらしい。でも、精霊自身が姿を実体化させることがほぼないため、今回はかなりレアケースという。実体化しない精霊のことは、王族でも見ることができないようだ。声が聞こえるのも、姿を確認できるのも、あくまで精霊が自分の意思で実体化した場合のみ。
「アタシはピアニー。神様に創られた、お花がだあいすきなキュートな精霊よ」
 女の子――ピアニーはそのままくるりと回ると、手から小さなお花をぽんっと出して、香りを楽しむようにお花をすぅっと吸い込み満足げに微笑む。さすが精霊、こんなに小さくても、魔法はお手の物ってわけね。おもわずパチパチと拍手を送ってしまう。
 ピアニーは見た目だと五歳児くらいに見え、ピンク色のツインテールに愛くるしいそばかすが特徴的な可愛い女の子精霊だ。
「ノア様はピアニーに会ったことがあるのですか?」
「ああ。何度かな。こんな感じでいつも機嫌が悪い」
「それはアタシがアンタを嫌いだからよっ! 早く出て行ってほしくて実体化してるの!」
「そうなのか。嫌いな相手にわざわざ実体化までしてくれるとは、いい子だな」
「っ! ……キーッ! むかつくぅぅ!」
 余裕のある表情でノア様に子ども扱いされて、ピアニーはその場で顔を真っ赤にして地団駄を踏む。見るからに、ふたりの仲は険悪そうだ。
「ノア様、なにかしたんですか……?」
 まだ地面を蹴りつけているピアニーを横目に、こっそりとノア様に耳打ちすると、ノア様は「それが覚えがないんだ」と答えた。
「ついでにアタシがわざわざ人間の前に姿を現したのは、アンタたちがアタシたちの家でイチャコラしすぎだからよっ!」
「ご、ごめんね。そんなつもりはなかったんだけど……」
「アンタも押しに弱すぎ! そんなだと、このオオカミみたいな男に食べられちゃうわよっ! いい!? 男はみーんなオオカミなのっ!」
「は、はい。気を付けます……」
 まさかこんな小さな女の子に怒られるとは。だが、ピアニーは見た目が小さいだけで、私よりずっと長く生きている可能性もある。精神年齢や人生経験は、私より豊富なのかも?
「失敬だな。俺をほかの男たちの一緒にするな」
「アンタがいちばん危ないのよっ! 今にもこの女を押し倒しそうだったじゃない!」
 ピアニーの叱咤に本気で眉をしかめるノア様に、ピアニーが勢いのいいツッコミを入れる。それでもなお、ノア様はピンとこない顔をしていて、私はふたりのやりとりに笑みがこぼれた。
「ちょっと! なにのんきに笑ってるの! アンタがそんなのほほんとしてるから――」
「落ち着けピアニー。ところで、神様が不在っていうのはどういうことだ?」
 また怒られると構えていると、ノア様がピアニーの言葉を遮って言う。それについては私も気になっていた。
「そのまんまよ。神様はお出かけ中で、この庭にいないの」
 神様もお出かけするんだ。初めて知った
「それで、今日は折り入ってアンタに頼みがあるんだけど」
 ピアニーはじっとノア様のほうを睨みつける。とてもこれから頼み事をする態度とは思えないが、ピアニー自体があまりに可愛らしいからちっとも憎めない。そこが、彼女の大きな魅力ともいえる。
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