新そよ風に乗って 〜慕情 vol.2〜
「ふ~ん……そうなの。 そうそう。 ボストンの稲葉さんの親が具合悪くなって、 介護する人がいないからって、 帰国申請出したらしいのよね」
「そうなんだ」
帰国申請?
出向者が、 どうしても帰国しなければならない理由が生じた場合、 会社は出来るだけその理由如何では希望を叶えるべく対応してくれる。 今回のような場合は、 まさしく正当な理由に入ると思うから、 帰国申請は通る気がする。 そう……前に人事にいた時に学んだ。
「それで、 稲葉さんの代わりに、 もっぱらの噂ではロンドン支店長の井上さんが来るんじゃないかって。 貴博。 何か知らない?」
「聞かないな。 でも、 もうすぐ発表されるだろ?」
出向者の場合は、 7月ぐらいに正式発表されて、 9月中旬ぐらいからの赴任になるのが通常だ。 だから、 きっとその稲葉さんっていう人も、 引き継ぎ等を済ませられれば、 その時期に帰国出来るかもしれない。 そういう理由だったら、 早く帰国出来るといいのにと中原さんとも話していた私に、 帰り際、 山本さんが私の耳元で囁いた。
「貴博は、 やっぱり貴女が好きみたいね」
「えっ?」
「見てれば、 わかるわ」
そう言って、 山本さんは手を振りながら中原さんの腕にしっかり自分の腕を絡ませて、 あっという間に中原さんを引っ張って帰って行った。
その姿を見送っていた高橋さんと私は、 思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「中原……試練だな。 さて、 帰るか」
「はい」
今日は、 金曜日だから電車も混んでるのかな? でもそんな私の予想を覆すように、 高橋さんが手を挙げてタクシーを停めた。
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