奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
 ギルバートは頷いてみせて、その提案に同意する。それで、残りの三人が、それぞれ長椅子に席をつく。

 一礼をしたメイドが、三角に折られたようなタオルの乗ったトレーをテーブルに並べ、それから、執事はギルバート達のお茶を用意するようだった。

「こちらで、手をお拭きになってください。使用済みのタオルは、そのまま、トレーの上に、お願いいたします」

 まだ若そうなメイドが、緊張した様子で、説明をする。

 だが――ギルバート達は、一瞬、無言で視線を交わしていた。
 手を拭くようなタオルを出されたのは、生まれて初めてである。でも、他家の――仕来りに、とやかく文句は言えない。

 それで、仕方なく、ギルバートが、一番上に置かれている小さなタオルを取り上げた。手に取った瞬間、ほかほかとした、温かな温度がほんわかと伝わってくる。

 温められたタオルなど、生まれて初めての経験である。

 残りの三人も、同じように手を拭いていた。

 執事が紅茶の用意を終えたようで、スッと、そこで一礼をした。

「では、失礼いたします。ご用の時は、いつでもお呼びくださいませ」
「わかりました」

 執事が部屋を去っていくと、ギルバートも用意された紅茶に、一応、手を伸ばす。

「――温められたタオルを出されたのは、初めてです。ほかほかして、悪い気分ではありませんが」

 ギルバートの隣に座ったクリストフが、小声でそれをこぼしていた。
 確かに、ギルバートにも、生まれて初めての経験だった。

 だが、ヘルバート伯爵令嬢は席を外しているらしく、それも、邸に戻って来るのに、時間がかかる場所にいたようだった。

 道理で、ギルバート達が門外で待たされていたはずである。
 伯爵令嬢への伝達に、時間がかかっていたのだろう。


* * *


 それからしばらくして、飲んでいた紅茶がなくなりかけた頃、部屋の扉のドアがノックされた。

「失礼します」

 若い女性の声と共に、扉を開けて、颯爽(さっそう)と中に進んできた伯爵令嬢を見て、ギルバートが、スッと、椅子から立ち上がっていた。

 同時に、残りの三人も立ち上がる。

「ああ、どうか、お気になさらずに」

 ギルバートの向かいの長椅子に座っていた二人の部下が、席を譲ろうと動きかけたのを、セシルが簡単に止める。

 部屋に入ってきたセシルは気負いもなく、一人用の椅子に腰を下ろしていく。

不躾(ぶしつけ)で申し訳ありませんが、皆様も、どうぞお掛けになってください」

 セシルに促され、全員が、もう一度、椅子に座りなおした。

 セシルは執事から渡されたタオルを受け取り、慣れた手つきで自分の手を拭いて、また、そのタオルを返していた。

 それから、その視線が、真っすぐにギルバートに向けられる。

「お久しぶりです。お変わりなく、ご壮健とお見受けいたします」
「ありがとうございます」

 簡単な社交辞令を終えて本題に入る前に、部屋に入ってきたセシルを見て、ギルバートの最初の印象は、


――――外見が違うっ!


 外見と言っても――その髪の色が、全く違っていたのだった。

 以前にセシルを見た時は、少し癖のありそうな焦げ茶色の髪を、後ろにしばっていた。
 それでも、前髪が長く、額を隠していたので、よく、セシルの顔を見る機会もなかったし、その表情を見取ることも、容易ではなかった。

 だが、今のセシルは――きらきらと光る薄い銀髪で、あの長い前髪から見え隠れしていた深い藍の瞳は、前髪に隠されいない分だけ、はっきりと目に映ってくるほどの――強い瞳だった。

 癖もなさそうな、サラサラとした真っ直ぐの髪の毛を後ろで結んでいるようで、顔の輪郭を隠していない分、その白い肌を映す小さな顔に、印象的な藍の瞳。

 濃い桃色の唇は、口紅をつけたほどの(あか)みではないが、それでも、みずみずしく、微かに濡れているかのようだ。

 第一印象で見れば、セシルの容貌は(はかな)げで、繊細さがにじみでているような、それでいて、長い銀色のまつげに(かたど)られている大きな丸い瞳が優しげで、とてもではないが――以前に会った時の、気の強そうなセシルの印象とは、似ても似つかないほどだ。

 これが、本来のセシルの姿と理解したギルバートは、その驚きを見せず、続けていく。

「今日は、王太子殿下の勅使として、こちらに伺いました。王太子殿下から、こちらを預かっておりまして」

 それで、ギルバートは、騎士の制服のジャケットから、一枚の封筒を取り出した。

 それをクリストフが受け取り、セシルの前に差し出してくる。

「マスター、よろしければ?」
「ええ、お願いするわ」

 紅茶を淹れ終わった執事が、絶妙なタイミングで、セシルに差し出された封筒を受け取る。内ポケットからペーパーナイフを取り出し、封を切ると、セシルの前に差し出していく。

 中の封書を取り出し、サッと目を通したセシルは――その一瞬で、困ったわ……と、聞こえぬ溜息(ためいき)をこぼしていたのだった。

「晩餐会へのご招待ですか?」

「はい。ヘルバート伯爵令嬢には、前回の件で、大変なご迷惑をおかけしてしまいました。そのお礼もままならぬまま、その機会もございませんでしたので、王太子殿下が、その償い、というのでもございませんが、是非、よろしければ、ヘルバート伯爵令嬢に、晩餐会(ばんさいかい)への出席をお願いできないか、と。王太子殿下がこの領地に向かわれるのは、距離的にも、少々、無理がございまして……」

 アトレシア大王国からコトレア領への道のりは、片道、馬車で軽く五日である。往復なら、優に、移動だけに、十日は費やしてしまうだろう。

 まして、隣国の王太子殿下の移動となったら、百人は軽いだろう護衛の騎士達が、ごそっと、付き添ってくるはずだから。

 王太子殿下が、王宮から、わざわざ辺境の地まで、セシルに会いにやってくることなど、到底、不可能である。

「私のような者に、そのようなお気遣い、とても光栄に存じます。ですが、お礼は、以前にもいただきましたので……」

「王太子殿下は、ご令嬢にご迷惑をかけてしまったことを、とても心苦しく思われておられます。ですから、その償いと埋め合わせ――というものではございませんが、晩餐会(ばんさんかい)に出席していただければ、もう一度、きちんとした礼ができるのではと、望まれていらっしゃいます」

 困った状況になってしまったわ……。

 それが、セシルの本音だろう。

 前回の事件で――アトレシア大王国の王家が、セシルに更なる恩義を感じたのかどうかは知らないが、それでも、王族直々の晩餐会(ばんさんかい)の招待など、たかが一介の伯爵令嬢に断れるはずもない。

 今までは、アトレシア大王国に、もう二度と会うことも関わることもないだろうという前提で、わざと、相手側を挑発するような、侮辱するような態度で、不敬罪もどきすれすれでも、セシルは強気の態度を取っていた。

 だが、晩餐会(ばんさんかい)など、隣国の王宮で、おまけに、右も左も分からないようなその場で、見知らぬ人間は全て敵ばかり。

 助けを出してくれるような知り合いも、いない。

 そんな場で、状況下で、セシルが粗相などをしたものなら、一気に、国同士の国際問題、政治問題に発展しまう恐れがあるのは、疑う余地もない。

 セシルとしては、これ以上、あの国とは関わり合いになりたくはないのだ。このままだと、ズルズルと足を掴まれて、果ては、王国の為に利用されかねない。

 どうしたものかしらね……。

< 120 / 202 >

この作品をシェア

pagetop