奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
 闇夜を吸い込み、そして、周囲の(あか)りにぼんやりと照らされたセシルの面影も、その様相も、あまりに……不思議な、なんとも形容のできない、神秘的な輝きが目についてしまう。

 白い肌が浮き上がり、薄くお化粧をしているセシルの面持ちは、色香以上の妖艶さも含み、吸い込まれてしまうほどの美しさを(かも)し出していた。

 壇上にいるセシルを見上げているギルバートも――一瞬、セシルに見惚(みと)れてしまっていた。

 よくよく考えなくても、こんな風に、セシルが正装をしたドレスを着ている場面を見るのは、今夜が初めてだ。

 前回の夜会に出席した時のセシルは――かなり……奇天烈とも呼べる、全く奇妙なドレスを着ていた。

 だが、今夜のセシルは違っていた。

 ほうぅ……!

 感嘆めいた溜息(ためいき)が、そこら中で上がっていた。
 壇上にいるセシルの姿を見て、領民達が見惚(みと)れているのと、その美しさが形容し難くて、嘆息(たんそく)を漏らしているのと。

 シーンと、静まり返ったその場で、壇上にいるセシルは、静かに、会場中の領民を見渡している。

 闇に吸い込まれていきそうなほどの深い藍の瞳。なのに、その意志を表しているかのような、強い眼差し。

「皆さん」

 これだけ広い会場内でも、セシルの落ち着いた澄んだ声が、流れるように耳に届いてくる。

「今日一日、豊穣祭を終え、ご苦労様でした。今年は、近年にない盛大な豊穣祭を迎えることができ、私もとても嬉しく思っています。ここ数か月、日々の仕事だけではなく、豊穣祭の準備も加わりまして、皆さんも多忙を極めていたことでしょう。今夜は、リラックスして、後夜祭を楽しんでください」

 うわぁっ……!

 歓声が上がり、領民達から、嬉しそうに拍手が上がる。

「今年は、私も、この地の領主の任を拝命しました。これからも、そして、今まで以上に、私は、この領地の発展に、全力を注いでいきたいと思います」

 その言葉に、更に、領民達の拍手喝采が沸き上がる。

 その領民達に、セシルがほんのりと(つや)のある笑みをみせた。

「私がこの領地にやって来てから、八年の歳月が過ぎました。今まで、色々なことがありました。たくさんの人に、出会えました」

 スッと、無意識で、セシルが自分の左手を前に出していた。

 その手を見つめ、怒涛(どとう)の八年を思い返す。

 この手の中には――掴めるものもあった。(こぼ)れ落ちていくものもあった。
 一握りほどの大きさなど、握りしめても、大した価値もないものもあっただろう。

 それでも、この手の中には――セシルが掴み取ったものがある。

 グッと、セシルが拳を握っていた。

 セシルが、掴み取ったものがあった。手に入れたものがあった。

「――この八年、アッと言う間に過ぎ去っていったのか、長かったのか――。それでも、私達は、生き抜いてきました。生き延びてきました。今日、この日まで。できないこともありました。できることも、限られていました」

 それこそ、毎日が、四苦八苦ばかりで、その終わりが見えなかったほどだ。

「それでも、今、この日、私達は、ここに集まることができました。生き抜いて行く為に、生き延びる為に、苦労も困難も乗り越えて、今ここに、私達は()()()います。今、この瞬間、私達は()()()います!」

 その澄んだ声音が、広い会場中に伝わっていく。

「たとえ、どんな困難が待ち受けていようと、苦労があろうと、明日は必ずやって来るものです。ですから、私達はこれからもずっと、生き抜いて、生き延びる。命を燃やし切っても、一緒に駆けて行きましょう。私達の明日の為に」

「マイレディー……っ!」
「――マイレディーっ……!!」

 うわぁっ! ――という大歓声が鳴り響き、その迫力や音量だけで、周囲で地鳴りがしてきそうなほどの勢いだ。

 さすがに――予想もしていなかったその勢いに、気圧(けお)されそうである。

 これだけの熱狂的な領民の支持を得ているセシルに、圧巻だった。

 壇上の上に立っているセシルは、前に出した左手を軽く握りしめ、そして、どこまでも強い眼差しが会場を見渡しながら、優雅に、それなのに、目が離せないほどの圧倒的な存在感を放ち、その口元に笑みを浮かべている。

 挑戦的にも見える、それなのに(あで)やかで、セシルの力強さを見せつけているかのような――魅惑的な微笑みだった。

 その魅惑的な微笑みに、自然、魅せられてしまう。

 目が離せない。

 目が()き寄せられる。

 今でも、会場に集まった全員からの歓声が止まない。その間、会場全員を見渡していくセシルが、ゆっくりと、その手を下ろしていった。

 歓声が上がっている中で、どこまでも静かな藍の瞳が、会場全体を見渡し、セシルが静かに立っていた。

 その様子を見て、段々と歓声が収まり、シーンと、一気に会場中が静まり返っていた。

 会場が静まり返り、セシルが、スッと、優雅にドレスの裾を掴み、ゆっくりと膝を折りながら、セシルが会場の全員に向かってお辞儀をしたのだ!

「――――マイレディー……?」

 その行動の理由が判らず、会場中が、ポカンとしている。

 そして、セシルがゆっくりと顔を上げ、立ち上がっていく。

「今まで、私と共に生きてくれて、本当にありがとう。皆がいたから、ここまで、やって来れました。ここまで、たどり着けました。皆に、私からの最上の感謝を、ここに。ありがとう、みんな」

「――っ……!」

 ハッと、その場の全員が驚いて、息を()んでいた。

 全員が食い入るようにセシルを見つめる前で、会場をゆっくりと見渡してくセシルの顔に、笑顔が浮かんだのだ。

 嬉しそうに、大輪の花が咲き誇るかのような――(あで)やかな、あまりに、眩しい笑顔が投げられたのだ!

 息もできないほど、その場の全員が驚愕を見せ、壇上のセシルを呆然と見上げている。

 今、完全に、呼吸を忘れたかのように――ギルバートは硬直していた。

 今、完全に、掴まれた!

 今、完全に、自分の心臓が、鷲掴(わしづか)みにされた――――!!

 信じられないほどに目を大きく見開き、今まで、動揺だってあまりしたことがないこのギルバートが、今、この瞬間――完全に、セシルの(とりこ)にされた一瞬だった。

 そして、呆然としてセシルを見つめていたクリストフが、ほんの微かにだけ――隣で身動きもしないギルバートを振り返って、そこで、理性など全く関係なく、正に、誰かが完全に恋に落ちてしまった瞬間を、初めて見た瞬間だった。

「……ギル、バート、様……?」

 だが、ギルバートからの反応は、なかった。

 ギルバートは壇上にいるセシルに目を奪われて、心を奪われて、全てを奪われて、そんな――信じられない光景を、今、クリストフが生まれて初めて目にしていた。

 だが――――

 ギルバートの隣にいるシリルや、向こうの席のセシルの両親であるヘルバート伯爵夫妻だって、信じられないものを見るかのように、全員が、全員、その場で、完全に呆然自失していたと言っても過言ではないだろう。

 セシルは、普段から落ち着いていて、冷静で、あまり感情の起伏が激しい令嬢ではない。
 笑う時は、ふふと、意味深な微笑を口元に浮かべたり、ただ、その場での軽い笑いが漏れたり。

 だが、いつだって、感情的な、素直な心をさらけ出したような、そんな笑顔を見せたことは、一度たりとない。

 嬉しそうな、花が咲き誇ったような、あまりに(あで)やかな輝かしい微笑みなど、今の一度として、見せたことがなかった。

 だから、身内である三人が、この場の中で、一番に驚いていたのだろう。

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