奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
* * *
長い行列の一人一人に、ケーキを配り終わったであろうセシルが、ゆっくりと、壇上から下りてきて、最前列で座っているギルバート達の方に寄ってきた。
今では、領地の人口も増えて、その領民一人一人に『祝福』 を授けていただけに、その時間は、優に、二時間は経ってしまっていたのではないだろうか。
セシルがギルバート達の前に寄ってきたので、ギルバートは座っていた席から、スッと、立ち上がった。
それに習い、隣にいる残りの騎士達も、すぐに立ち上がった。
「今日の豊穣祭、及び、祝典に参加させていただき、とても感謝しております。そして、遅ればせではございますが、領主就任おめでとうございます」
「ありがとうございます。皆様も、有意義な時間を、お過ごしになられたでしょうか?」
「はい。その件に関して、ご令嬢には、本当に感謝しております。この地に滞在させていただき、皆様もお忙しい中、我々の世話までしていただき、そのお心遣いに、とても感謝しております」
「いいえ。私達も、滅多に、他国の方をお呼びする機会がございませんから、そのような機会に恵まれて、うれしく思っております。それに、“宣伝”は、商売繁盛の秘訣ですもの」
そのお茶目な発想に、ふっと、ギルバートもつい笑ってしまう。
それから、セシルが、後ろに控えている執事を、少しだけ振り返った。
執事が持っているお盆のようなものから、セシルが腕を伸ばし、小さなケーキを一つ取り上げる。
「これを」
「いただいてもよろしいのですか?」
「もちろんです。たくさん作ってありますから」
ギルバートが手袋をはめたままの右手を差し出すと、その上に、そっと、一口大に切られた小さなケーキの塊が置かれた。
「申し訳ありませんが、少し屈んでいただけますか?」
「はい」
ギルバートは逆らうこともなく、スッと、その場で膝を折った。
騎士の礼――とまではいかなくても、ただ、前屈みになってくれるだろう、と想像していたセシルだ。
それに反し、ギルバートが丁寧に膝を折った礼を取ったので、一瞬、セシルの瞳が軽く上がっていた。
だが、すぐに、セシルの手が、そっと、ギルバートの肩に乗せられ、前屈みになったセシルの唇が、ほんの微かにだけ、ギルバートの髪に当てられた。
サラサラと、縛っていない真っすぐな髪の毛が、その動作に沿って、ギルバートの顔元にも落ちてくる。
そして、それと一緒に、微かながらも、柔らかな花の匂いが鼻に届く。
「次の一年も健やかに。そして、強く、前に進んで行けますように」
「ありがとうございます」
領民全員に送られた『祝福』 の言葉を受け取り、ギルバートも礼を言う。
セシルの手が離れていくと同時に、スッと、重さも感じさせず、ギルバートも立ち上がっていた。
セシルの瞳が隣にいるクリストフに向けられ、同じように、クリストフもケーキを受け取った。
セシルからの『祝福』 を受け、ギルバートに付き添ってきた三人の騎士も、その儀式を終わらせる。
「私は、これから少し席を外しますので、皆様はこの場に残り、祝典の後夜祭――と言っても、酒盛りのようなものですが、それに参加なさってくださってもよろしいですし、お疲れでしたら、邸への馬を手配いたしますが?」
「どちらかへお出かけに?」
「今夜、残念なことに、祝典に参加できず、警備を任された騎士達と、宿場町の警備に任された者達への労いに」
「そうでしたか。――私がご一緒させていただいては、ご迷惑でしょうか?」
「そのようなことはありませんが――今日、一日、歩き回っていらっしゃったので、お疲れではありませんか?」
「いえ、全く問題ありません」
「そうですか。でしたら、馬車で移動しますので、お二人までなら」
「わかりました」
ギルバートは隣のクリストフに頷くと、了解した、という風に、クリストフも頷き返す。
「お前たちは、ここに残ってくれないか?」
「わかりました」
「酒を飲んで構わないぞ」
「いえ、そのような――」
さすがに、この地へは任務としてやってきているだけに、今更、酒盛りに参加することも憚れるのである。
「少々、時間がかかってしまいますが?」
「いえ……。どうか、お気になさらないでください」
さすがに、手厚い好意を受けて世話になってしまっているだけに、二人の騎士達も、恐縮そうである。
「じゃあ、悪いが、ここで待っていてくれ」
「はい、わかりました」
ギルバートが話の端を終わらせたのを見計らい、シリルが口を開いた。
「姉上、私もご一緒いたします」
「そうですか。では、オスマンド」
「かしこまりました」
執事のオスマンドが持っていたトレーのようなものを、シリルが受け取っていく。
「では、皆様、こちらへ」
セシルに促され、セシルを含めた四人と、セシルの護衛騎士が、数人、その場を後にしていた。
「女神からの『祝福』 を受けた気分だな」
「女神、ですか?」
「そうは思わないのか?」
一拍の間があって、
「――――そう、思います」
その返答に、ギルバートが、くすっと、笑みを漏らす。
馬車のすぐ横で待っているギルバートとクリストフの視界の前で、警備に当たっていた騎士達の一人一人に、『祝福』 の言葉とケーキを授けているセシルの姿が目に入る。
かがり火が煌々と炊かれている周囲は明るくても、暗くなった夜の暗がりでも、はっきりと浮かび上がってくるセシルの面影。
サラサラとした銀髪の髪の毛が、月の光を反射して、柔らかな光を放っている。
瞳と同じ色の深い藍のドレスは闇に紛れても、それでも、ドレスから垣間見える白い肌が浮かび上がり、絶対に見逃すことはないその姿。
そして、その存在感。
『祝福』を授ける儀式も、なんだか、月から舞い降りてきた女神のような――静かで、それでいて、抗えないほどの神々しさを感じてしまうのは、なぜなのだろうか。
「私はこの地にやってくる時、任務のこと以外、深くは考えていなかった。まさか――その縁で、私は、自分が全く知らなかった、見たこともない経験をする機会に恵まれることになるとは、本当に、自分でも予想していなかった」
珍しく素直な様子のギルバートに、クリストフが視線を向ける。
「見るもの全てが、聞くこと全てが全て、私が聞いたこともないような、経験したこともないようなことばかりだった。自分の知らない知識が一気に押し寄せてきて、それで驚いているのと、圧倒されているのと、困惑しているのと」
目まぐるしいほどの情報だけが溢れていて、困惑して、それでも、自分の知らない世界を見ているギルバート自身は、全く嫌な気分はしなかった。
「今まで、然程のことで動揺などしたことがなかったのに、この地にやってきて以来――随分、言葉を失っている状態が多くなった。初めてのことだ……」
「殿下――」
「なにも言うな」
心配そうな顔色を浮かべるクリストフを見ずに、ギルバートが、静かにクリストフを制していた。
ギルバートを見やっているクリストフの視線を気にせず、じっと、ギルバートの静かな眼差しは、今も尚、真っ直ぐ前の――セシルに向けられている。
セシルが動く度に、サラサラとした真っ直ぐな銀髪が背中を滑り、細身でしなやかな優しい曲線が、ドレス越しでも妖艶で、目が離せない。
呼吸を、奪われてしまう。
その仕草も、行動も、どれもが全て――美しい光景だった。
「なにも言うな。わかっている。私は、それを望める立場でもない。私自身も、望む気はない」
「ですが……」
「ただ――今は、驚いているだけだ。そして、圧倒されている」
「確かに……」
渋々、といった様子だったが、それでも、それを認めざるを得ないクリストフに、ギルバートが、また、くすっと、笑みをこぼす。
「すごいことだな。私よりも年下で、それなのに、すでに領主就任をし、一領土を統治している。それも、「名代」 であろうと、幼い時よりずっとだ。そして、ここまでの繁栄を、領地にもたらした」
独り言のように語るギルバートの声音は、ただ静かに言葉を紡ぐかのように流れ、そして、静寂の闇へと消えていく。
「並大抵の苦労や努力だけでは、済まされなかったことだろう。それでも、やり遂げた。たった一人で。それも、少女が。だから――今の私は、ただ、心から素直に驚いている。こんな経験は、私も生まれて初めてのものだから」
「そうですね。――隣国であるというのが、残念ですね」
「どこであろうと、きっと、あの方には、関係のないことなのだろう。どこにいても、きっと、自分の力で、なにごとも成し遂げてしまうのであろうから」
「その点については、全くの異論がございません」
「珍しく、クリストフも驚いているんだな」
「ええ。殿下も驚いていらっしゃるようですので、私ごときが驚いたとしても、全く、問題はございませんでしょう」
「確かに」
まさか――この地を訪れて、そして、そこで、月から舞い降りて来た女神を目にすることができるなど、一体、誰が考えただろうか。
その女神から、もう、目が離せない。目を奪われる。
心が、鷲掴みにされていた――――
長い行列の一人一人に、ケーキを配り終わったであろうセシルが、ゆっくりと、壇上から下りてきて、最前列で座っているギルバート達の方に寄ってきた。
今では、領地の人口も増えて、その領民一人一人に『祝福』 を授けていただけに、その時間は、優に、二時間は経ってしまっていたのではないだろうか。
セシルがギルバート達の前に寄ってきたので、ギルバートは座っていた席から、スッと、立ち上がった。
それに習い、隣にいる残りの騎士達も、すぐに立ち上がった。
「今日の豊穣祭、及び、祝典に参加させていただき、とても感謝しております。そして、遅ればせではございますが、領主就任おめでとうございます」
「ありがとうございます。皆様も、有意義な時間を、お過ごしになられたでしょうか?」
「はい。その件に関して、ご令嬢には、本当に感謝しております。この地に滞在させていただき、皆様もお忙しい中、我々の世話までしていただき、そのお心遣いに、とても感謝しております」
「いいえ。私達も、滅多に、他国の方をお呼びする機会がございませんから、そのような機会に恵まれて、うれしく思っております。それに、“宣伝”は、商売繁盛の秘訣ですもの」
そのお茶目な発想に、ふっと、ギルバートもつい笑ってしまう。
それから、セシルが、後ろに控えている執事を、少しだけ振り返った。
執事が持っているお盆のようなものから、セシルが腕を伸ばし、小さなケーキを一つ取り上げる。
「これを」
「いただいてもよろしいのですか?」
「もちろんです。たくさん作ってありますから」
ギルバートが手袋をはめたままの右手を差し出すと、その上に、そっと、一口大に切られた小さなケーキの塊が置かれた。
「申し訳ありませんが、少し屈んでいただけますか?」
「はい」
ギルバートは逆らうこともなく、スッと、その場で膝を折った。
騎士の礼――とまではいかなくても、ただ、前屈みになってくれるだろう、と想像していたセシルだ。
それに反し、ギルバートが丁寧に膝を折った礼を取ったので、一瞬、セシルの瞳が軽く上がっていた。
だが、すぐに、セシルの手が、そっと、ギルバートの肩に乗せられ、前屈みになったセシルの唇が、ほんの微かにだけ、ギルバートの髪に当てられた。
サラサラと、縛っていない真っすぐな髪の毛が、その動作に沿って、ギルバートの顔元にも落ちてくる。
そして、それと一緒に、微かながらも、柔らかな花の匂いが鼻に届く。
「次の一年も健やかに。そして、強く、前に進んで行けますように」
「ありがとうございます」
領民全員に送られた『祝福』 の言葉を受け取り、ギルバートも礼を言う。
セシルの手が離れていくと同時に、スッと、重さも感じさせず、ギルバートも立ち上がっていた。
セシルの瞳が隣にいるクリストフに向けられ、同じように、クリストフもケーキを受け取った。
セシルからの『祝福』 を受け、ギルバートに付き添ってきた三人の騎士も、その儀式を終わらせる。
「私は、これから少し席を外しますので、皆様はこの場に残り、祝典の後夜祭――と言っても、酒盛りのようなものですが、それに参加なさってくださってもよろしいですし、お疲れでしたら、邸への馬を手配いたしますが?」
「どちらかへお出かけに?」
「今夜、残念なことに、祝典に参加できず、警備を任された騎士達と、宿場町の警備に任された者達への労いに」
「そうでしたか。――私がご一緒させていただいては、ご迷惑でしょうか?」
「そのようなことはありませんが――今日、一日、歩き回っていらっしゃったので、お疲れではありませんか?」
「いえ、全く問題ありません」
「そうですか。でしたら、馬車で移動しますので、お二人までなら」
「わかりました」
ギルバートは隣のクリストフに頷くと、了解した、という風に、クリストフも頷き返す。
「お前たちは、ここに残ってくれないか?」
「わかりました」
「酒を飲んで構わないぞ」
「いえ、そのような――」
さすがに、この地へは任務としてやってきているだけに、今更、酒盛りに参加することも憚れるのである。
「少々、時間がかかってしまいますが?」
「いえ……。どうか、お気になさらないでください」
さすがに、手厚い好意を受けて世話になってしまっているだけに、二人の騎士達も、恐縮そうである。
「じゃあ、悪いが、ここで待っていてくれ」
「はい、わかりました」
ギルバートが話の端を終わらせたのを見計らい、シリルが口を開いた。
「姉上、私もご一緒いたします」
「そうですか。では、オスマンド」
「かしこまりました」
執事のオスマンドが持っていたトレーのようなものを、シリルが受け取っていく。
「では、皆様、こちらへ」
セシルに促され、セシルを含めた四人と、セシルの護衛騎士が、数人、その場を後にしていた。
「女神からの『祝福』 を受けた気分だな」
「女神、ですか?」
「そうは思わないのか?」
一拍の間があって、
「――――そう、思います」
その返答に、ギルバートが、くすっと、笑みを漏らす。
馬車のすぐ横で待っているギルバートとクリストフの視界の前で、警備に当たっていた騎士達の一人一人に、『祝福』 の言葉とケーキを授けているセシルの姿が目に入る。
かがり火が煌々と炊かれている周囲は明るくても、暗くなった夜の暗がりでも、はっきりと浮かび上がってくるセシルの面影。
サラサラとした銀髪の髪の毛が、月の光を反射して、柔らかな光を放っている。
瞳と同じ色の深い藍のドレスは闇に紛れても、それでも、ドレスから垣間見える白い肌が浮かび上がり、絶対に見逃すことはないその姿。
そして、その存在感。
『祝福』を授ける儀式も、なんだか、月から舞い降りてきた女神のような――静かで、それでいて、抗えないほどの神々しさを感じてしまうのは、なぜなのだろうか。
「私はこの地にやってくる時、任務のこと以外、深くは考えていなかった。まさか――その縁で、私は、自分が全く知らなかった、見たこともない経験をする機会に恵まれることになるとは、本当に、自分でも予想していなかった」
珍しく素直な様子のギルバートに、クリストフが視線を向ける。
「見るもの全てが、聞くこと全てが全て、私が聞いたこともないような、経験したこともないようなことばかりだった。自分の知らない知識が一気に押し寄せてきて、それで驚いているのと、圧倒されているのと、困惑しているのと」
目まぐるしいほどの情報だけが溢れていて、困惑して、それでも、自分の知らない世界を見ているギルバート自身は、全く嫌な気分はしなかった。
「今まで、然程のことで動揺などしたことがなかったのに、この地にやってきて以来――随分、言葉を失っている状態が多くなった。初めてのことだ……」
「殿下――」
「なにも言うな」
心配そうな顔色を浮かべるクリストフを見ずに、ギルバートが、静かにクリストフを制していた。
ギルバートを見やっているクリストフの視線を気にせず、じっと、ギルバートの静かな眼差しは、今も尚、真っ直ぐ前の――セシルに向けられている。
セシルが動く度に、サラサラとした真っ直ぐな銀髪が背中を滑り、細身でしなやかな優しい曲線が、ドレス越しでも妖艶で、目が離せない。
呼吸を、奪われてしまう。
その仕草も、行動も、どれもが全て――美しい光景だった。
「なにも言うな。わかっている。私は、それを望める立場でもない。私自身も、望む気はない」
「ですが……」
「ただ――今は、驚いているだけだ。そして、圧倒されている」
「確かに……」
渋々、といった様子だったが、それでも、それを認めざるを得ないクリストフに、ギルバートが、また、くすっと、笑みをこぼす。
「すごいことだな。私よりも年下で、それなのに、すでに領主就任をし、一領土を統治している。それも、「名代」 であろうと、幼い時よりずっとだ。そして、ここまでの繁栄を、領地にもたらした」
独り言のように語るギルバートの声音は、ただ静かに言葉を紡ぐかのように流れ、そして、静寂の闇へと消えていく。
「並大抵の苦労や努力だけでは、済まされなかったことだろう。それでも、やり遂げた。たった一人で。それも、少女が。だから――今の私は、ただ、心から素直に驚いている。こんな経験は、私も生まれて初めてのものだから」
「そうですね。――隣国であるというのが、残念ですね」
「どこであろうと、きっと、あの方には、関係のないことなのだろう。どこにいても、きっと、自分の力で、なにごとも成し遂げてしまうのであろうから」
「その点については、全くの異論がございません」
「珍しく、クリストフも驚いているんだな」
「ええ。殿下も驚いていらっしゃるようですので、私ごときが驚いたとしても、全く、問題はございませんでしょう」
「確かに」
まさか――この地を訪れて、そして、そこで、月から舞い降りて来た女神を目にすることができるなど、一体、誰が考えただろうか。
その女神から、もう、目が離せない。目を奪われる。
心が、鷲掴みにされていた――――