奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
 プライベートでは、兄達の前でも笑ったりするし、感情を見せることはあっても、外にいる時のギルバートは、兄であるアルデーラから見ても――鉄仮面だな……と、ついつい、そんなことを考えてしまうほどの無表情さなのだ。

 そのギルバートが――あまりに悲痛そうに、目を(つむ)ったまま、うなだれた様子を見せたので、さすがに、アルデーラも驚いてしまっていたのだった。

「私は、一体、どうしたら良いのでしょうか……」
「まさか――本気で悩んでいたとは、私も考えもしなかった」

「仕方がありません……」

 それをこぼして、はあぁ……と、また長い溜息(ためいき)が吐き出される。

「兄上、私は――もう、誰とも結婚する気はありません。私がそれを望める立場でなくとも、もう……、私は、他の令嬢は選べないのです……」

 あまりに深刻な問題が上がってきて、更に、アルデーラの驚きが上がってしまう。

「――それは、重症だな……」

「ええ、そうです。私は――立場上、婚約を押し付けられても、それを反対することはできない立場でいるということは、重々、理解しております。ですが――それでも、もう……、他の誰にも()かれることはないでしょう。私の気が向くこともありません」

 他の女性になど、心動かされることも、もう、ないのだ。

「それが分かっていて、政略結婚と言えども、私は、決して、他の女性を愛さない。そんな不幸になると分かっている令嬢を、私の我儘(わがまま)で縛り付けることは、あまりに不誠実に思えてならないのです……」

 なにかを言いかけて、アルデーラの口が、そこで止まっていた。
 うーんと、珍しく真剣に悩んでいるようである。

「――ノーウッド王国ヘルバート伯爵令嬢、だろう?」
「ええ」

 それ以外にあるのか、とでも言いたげな口調である。

 アルデーラも、ギルバートの悩みの原因と理由が判ってしまって、はあ……と、溜息(ためいき)をこぼす。

 あの令嬢――は、なにしろ、初っ端から、あまりに劇的な出会いだった為、会うたびに驚かされて、その後のインパクトもすごく、そのインパクトも継続したままで、薄れる気配も見せないほどだ。

 あれほどの――強烈なインパクトを植え付けていったヘルバート伯爵令嬢は、ある意味、カリスマ性が高かった、とでも言うべきなのだろうか。

「あの地へ(おもむ)いた私は――今まで見たこともない、聞いたこともない、経験したこともない経験をし、驚かされ、圧倒され――そして、()かれてしまいました……。もう……重症なんです……」

 いや……、さすがに、ここまで素直になったギルバートを見るのは、幼かった子供の時以来である。

 そこまで重症だった事実に驚いて、アルデーラの顔が更にしかめられていく。

「そこまで、とは……」

 あれだけの衝撃的な出会いをしただけに、冷静沈着なこのギルバートまでも、魅了させてしまうとは……。

「強い意志を宿した、あの強い眼差し。それなのに、柔軟な考えを持ち、柔軟さを受け入れるだけの許容力がある。一人きりでなんでもやり遂げるのではなく、自分にできること、できないことを一番に理解し、他者に頼ることを知っている。そして、頼れる仲間を見出す、あの観察眼」

 ほんの一週間ほど領地にいさせてもらっただけなのに、セシルのことを知れば知るほど、理解すればするほど、セシルの秘めた能力に、つい、無意識の警戒が呼び起こされる。

 それと同時に、驚いて感心してしまう自分もいた。

「この私でも、あの方の観察眼には、末恐ろしいものを感じました。静かで、動じない瞳が、じっと、いつも観察している。観察しているだけなら、まだ、なんとか対応できたのでしょうが、それと同時に、瞳の奥で隠している鋭い洞察力。状況判断力も兼ね合わせて――あれは、恐ろしい能力だ……」

 他人をここまで褒めちぎるような性格の弟でもないだけに、今、口にしていることは――全て、事実ということになるのだろう。

 そして、この弟が、恐ろしい……とまで、口にする伯爵令嬢の能力。

 アルデーラだって、あのセシルの鋭敏で隙のない洞察力のことは気が付いていたが、どうやら、コトレアの視察を許されたギルバートは、アルデーラが知っていたこと以上の何かを、見てきたのかもしれなかった。

「あの能力は、末恐ろしいですね……」

 聞いているだけなら、無敵――とでさえも思えるものだ。
 だが、セシルはそうじゃなかった。

「あの能力で、行動力で、そして、並々ならぬ決意と努力で、あの領地を繁栄に導いてきた唯一の存在なのに、「ありがとう」 と、領民に礼を言うんです。心から嬉しそうに笑って、皆がいるから良かった――と、あまりに、きれいな笑顔を浮かべ――領民も、伯爵家の身内さえも驚くほど、素直に、あの笑顔を見せるんです……」

 圧倒的なセシルの存在に、言葉も出なかった。ただ、呆然としていた。

 そして、花が咲いたような、あまりにきれいなあの笑顔を見た瞬間、ギルバートの心臓は、鷲掴(わしづか)みにされてしまったのだ。

 あの瞬間が――一気に恋に落ちてしまったのだ。

 それから、自国に帰って来たギルバートの頭の片隅で、いつも、あの笑顔を浮かべた、美しいセシルの姿ばかりが思い出された。

 その幻像に悩まされて、掴むこともできず、触れることもできない現実に――ギルバートは、心底、やるせない思いを抱えていたのだ。


「――――女神に()せられましたね……」


 からかうつもりだったのか、それでも、その心配を隠せないクリストフが、漏らした一言である。

 あまりに、今のギルバートに当てはまっている言葉で、形容で、否定する気にもなれなかった。

 はあぁぁ……と、さっきよりも、更に長い溜息(ためいき)がこぼれ、目を(つむ)ったままのギルバートは、そこから動かない。

「もう……、どうしようもないんです……」
「いや、分かった。重症だな……」

「そう、です…………」

 さすがに、現状は困ったものである……。

 かの令嬢は他国の令嬢であり、おまけに、王国には全く関係ない伯爵家であり、血縁もなければ、ほぼ無縁に近い存在である。

 現状が現状だけに、下手なアドバイスができるのでもなし、ギルバートの将来は――お先真っ暗、とも言える、どん底ではないのだろうか。

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