奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
 もしかして――今、セシルの名を省いてくれた?

 ノーウッド王国の伯爵令嬢でも、誰も、セシルの身元を良く知らない。以前も、名を呼ばれなかった。
 その点だけは――今でも、セシルの身元を、全部は明かさないでいてくれたらしい。

 名前一つ、と思うかもしれないが、セシルの名前が判らない以上、セシルは「伯爵令嬢」 と呼ばれるし、覚えられるだけだ。

 個人的にセシルの名前を憶えているような貴族は、どこにもいない。

 ギルバートにエスコートされ、セシルも、煌々(こうこう)と照らされた会場内に足を踏み入れた。

 ザワッと、扉側に注意が向けられていた会場全員から、一気にざわめきが上がっていた。

 それも、そのはず……。

 初っ端から、()目立つエスコート役を伴って、他国の全く見知りもしない令嬢が、やって来たのだ。

 一瞬、全員が驚愕して息を詰めているか、口を半分空けているか、そんな落ち着かない気配が簡単に伝わって来た。

 壇上にいる国王陛下と王妃の場所までは、大きな会場を、端から端まで横切らなければならない。

 その長い道のりをゆっくりと進んで行くセシルは、すでに、ヤケクソ状態である……。

 もう、今夜は絶対に逃げ切れない――最悪の状態で、最高のエスコート役を伴い、最低の長い夜になるのは……間違いなかった。


(……この、会場から、生きて帰れるかしら…………)


 すでに、溜息(ためいき)をこぼすこともできやしない……。

 壇上近くまで進んで行き、セシルは、そっと、ギルバートから腕を外した。

 ドレスを摘み、ゆっくりと、深くお辞儀をしていく。

 恥にならないように。恥をかかないように。昔、どれだけの時間をかけて、マナーのレッスンに取り組んだことだろうか。

 あの元侯爵家のバカ息子に、いらぬケチをつけられないように、文句を付け入る隙を与えない為に、マナーとエチケットの練習だけは、徹底してやった。

 まさか、あの無駄な苦労が、今、報われることになろうとは……。今のセシルの姿を見た父なら、涙を流して喜んでいたことだろうに。

 目の前にやって来たセシルをずっと凝視していた国王陛下であるアルデーラは、さすがに――顔には出さなかったが、驚いていたのだ。

「――なんと……」

 それは、漏らしたとさえ言えないほどの囁きに近く、アルデーラの傍に控えている者にも、聞こえてはいなかった。

 ゆっくりと壇上に向かって歩いて来たセシルを見つめながら、アルデーラも、胸内で、うーんと、唸ってしまっていた。


(ドレス一つで、ここまで化けるとは――――)


 いや、ドレスだけではないだろう。
 その(かも)し出す雰囲気も、外見も、容姿も――全く予想もしていなかっただけだ。

 そして、アルデーラもギルバート同様、一番初めに気づいたことがある。

 当然、それは、あのセシルの癖のない銀髪の髪の毛だ。


(かつらであったか――)


 最初に出会った時から、かつらまで使用し、変装して、アトレシア大王国にやって来ていたのだ。

 慎重な性格だろうから、自分の身元を隠していた事実には不思議はないが、それ以上の理由が――今、目のあたりになっていた。


(あれで――普通に出歩いていたら、絶対に目を引くことだろう)


 もう、疑いようもない事実だった。

 ギルバートが骨抜きにされて、個人的な私情が入って、かの令嬢のことを「とても美しい……」 と、感嘆していたばかりと考えていたのに、まさか、それが事実だったなど、アルデーラも予想していなかったのだ。

 容姿を見るだけなら完璧で、あれなら“絶世の美女”の(たぐい)にいれられても、全く不思議ではない。

 現に、夜会の大広間に集まった招待客も、騎士達全員も、ギルバートにエスコートされて会場に入ってきたかの令嬢に、目が釘付けである。

 壇上のすぐ手前で控えていた騎士団の団長達も、呆然としているようだった。

 まさか、あの勢いのある奇天烈なドレスを着ていた令嬢が――こんなに変貌して、一体、どこの誰なんだ……! ――と、激しく葛藤していたなど、団長達以外は、誰も知らないことだろう。

「遠方よりよく来られた。今宵は戦勝祝い、慰労会を兼ねた内輪の夜会だ。気張ることはない。楽しんでいってもらいたい」
「ありがとうございます」

 挨拶が終わり、セシルが顔を上げていく。

 そして、ゆっくりと身体を起こしていく動きに沿って、サラサラと、癖のない長い銀髪が肩を滑り、背中を流れ、煌々(こうこう)と照り輝くシャンデリアの光に反射して、まるで、セシル自身が光に包まれているかのように輝いていた。

 ギルバートのエスコートで、ギルバートの腕に手を乗せているセシルは、壇上側から静かに離れていく。

 その間だって、会場中からの攻撃的な視線が投げられ、突き刺さり、セシルの動かす動作一つだって見逃さないほどの、じーっと、絡まりついてくるような視線攻撃が止まない。

 壇上から離れていく間も、すでに、セシルはゲッソリである。

 まだ、会場入りして数分もしていない。
 今、新国王陛下に挨拶を済ませたばかり。

 まだまだ――(拷問のような) 長い夜は続いていくのだ。

「こちらをどうぞ」

 もう、すでにゲッソリと(精神的に) やつれているセシルは、ドリンクどころではない。

 だが、ギルバートから細長いグラスを手渡され、断るわけにもいかない。

「もし、お酒を好まれないようでしたら、今は、ただ、グラスを持っている真似だけしてください」
「なぜですか?」

「これから、国王陛下が、騎士達へ祝杯を上げますので」
「そうでしたの。わかりました」

 そうしているうちに、壇上にいる国王陛下が立ち上がり、一歩前に出た。

 威風堂々たる風格で、国王陛下が会場全体を見渡していく。

「今夜は、よく集まってくれた。昨年、起きた戦での騎士達の活躍と貢献により、我が国は、侵略者からの暴虐を食い止めた。その戦勝祝いとして、ここに祝杯を上げる。そして、日頃から、その身を我が国に尽くし、貢献してくれている騎士達への礼として、今宵はくつろいでもらいたい。これからも、そなた達の献身を期待している。そなた達の忠誠は、我が国に、王国の為に!」

 しっかりとした強い声が、会場の端まで伝わっていく。

「乾杯」
「「乾杯っ!」」

 グラスを持った全員が、国王陛下の祝杯と同時に、同じようにグラスを高く上げて呼応した。
 それぞれに、持っているグラスを口につけていく。

 ギルバートも自分のグラスを口元に持っていき、少しだけ、口をつけているようだった。

 その機会を待っていたかのように、すぐに軽やかな音楽が流れだす。

「グラスは、よろしいですか?」
「ええ、お願いいたします」

 ギルバートは目立つ動作もなく、洗練された動きのまま、セシルの手からグラスを抜き取り、自分のグラスと合わせ、サッと、後ろのテーブルに置いていく。

 そして、何事もなかったかのように、セシルの隣でセシルに向き直った。

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