奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
 だが、二人が挨拶をしてその場を離れる時、張り付いた笑顔を浮かべている夫人の顔に、一瞬、ほんの一瞬だけ、「忌々し気な!」 との、殺気が上がっていたのは、セシルも見逃していない。

 団長サマ、奥サマから飛ばされる、今夜の(厳しい) お叱りの犠牲になってくれてありがとうございます……。

 きっと、自分の屋敷に戻ってから、尋問しようとした奥サマの邪魔をしたことを、手ひどく怒られるのだろう。

 それが分かってはいても、ヘインズの立場では、あの隣国の令嬢であるセシルには、一切、関わらない。

 関りを持たない、ということになっている。

 国王陛下が、()()セシルを夜会に招待しようとしていたことは、ヘインズも知っている。
 ギルバートを護衛に送ったくらいなのだから。

 だが、王国にやって来て、隣国の伯爵令嬢をギルバート自身がエスコートする――などという話は、ヘインズだって、一切、聞いていない。

 国王陛下が許したのだろうが――一体、国王陛下もギルバートも、何を考えていると言うのだろうか……。

 こんな公の夜会の場で、騎士全員が揃っているような場で、おまけに、高位貴族だって、全員、揃っているような場で。

 だから、今夜、ヘインズは黙り込みを決め、一切、隣国の伯爵令嬢には、近づかないことを決めたのだった。

 ギルバートの上官が立ち去って、二人残された場で、ギルバートが、また、その視線をセシルに向ける。

「よろしければ、ダンスを一曲、踊っていただけませんか?」

 スッと、ギルバートの手がセシルの前に出され、セシルがそっとその手に自分の手を重ねた。

「光栄ですわ」

 実は……もう、さっさと、帰りたいんです……。
 とほほほほ…………。

 ええ、そうです。

 ギルバートがエスコートしているだけで、目立つことこの上ない()()()()()()()ご令嬢は、貴婦人、ご令嬢が羨望(せんぼう)の眼差しを熱く送っている、正に、今夜の“最良物件”サマと、ダンスまで踊るのです。


 なぜ、あんな女がっ……!
 一体、何者なのっ……!?


 先程から、痛いほどに突き刺さる攻撃的な視線に、針の(むしろ)状態だ……。

 今は、他の貴族や、若い騎士達の連れの女性なども、ダンスを踊り出している。ギルバートと踊っても、先程までの()()にはならないだろうが……。

 まだ、他にも、問題は山積みだ。

 これで、ダンスのステップなど間違えたり、ヘマをしたら、セシルが笑いものになるだけではなく、ギルバートまで、その巻き添えを食らうことになる……。


 なんて、マナーもなっていない令嬢なんだ……!
 情けないっ――!!


 ギルバートに恥をかかせるわけにもゆかず、今のセシルは、四方八方塞がり、逃げ道もない。

 こんなストレスの溜まる夜会に参加させられて、一体、セシルは何をしたというのだろうか……。

 ギルバートのリードはステップが正確で、もう、ほとんどダンスなど踊ったことがなかったセシルでも、ステップが軽く踏めるほど、細やかな気遣いのあるものだった。

 なんだか、ここまでセシルに気を遣って、気を配って――まるで、セシルを壊さないかのような優しい扱いである。

「――――副団長様が、ダンスがお上手でよかったです……」
「えっ? そうですか?」

「私など……もう、ダンスも踊ったことなど、ほとんどありませんし。――デビュタント、以来でしょうかしら?」

 そう言えば、最後にダンスを踊ったのは、セシルのデビュタントの時のパーティーで、可哀想な父は、あの野暮ったい変装をしたセシルと踊る羽目になってしまった。

 父の方は、可愛い娘と踊れることに喜んでいたので、野暮ったかろうが、田舎臭かろうが、気にしている風はなかったのだけが、幸いだったのだろうか。

「――――デビュタント?」

 ふーむと、ギルバートは、そのことに深く追求はしない。

 存在自体が影のようにほとんどなかったセシルの過去を思い起こせば、苦労していたあの時代に、パーティーなど参加したこともなかっただろう。

 デビュタント以来だというのなら、軽く数年は、ダンスを踊っていないことになる。

「私も、緊張しております」
「そのようには、お見えにはなりませんが」
「いえ、緊張しています」

 なにしろ、ずっと望んでいた最愛の女性が目の前にいて、今、ギルバートは、その女性と一緒にダンスを踊っているのだ。

 こんな間近で、美しいセシルが自分を見上げてきて、ダンスをしながら、こんなに身近でセシルを感じることができるギルバートの心境を、セシルは、絶対に、分っていないだろう。

 もう、さっきから嬉しすぎて、かなり舞い上がっている状態なのに。

 サラサラとした髪の毛が、ダンスのステップに合わせ、肩を流れ落ち揺れていく。

 久しぶりのダンスだと言っていても、セシルのステップも完璧だし、踊っている様相も、その仕草も、吸い込まれそうな深い藍の瞳の動きも、その全てが全て、本当に美しいものだった。

 知らず、ほぅ……と、聞こえぬほどの、感嘆めいた吐息が漏れてしまう。

「私も――ダンスに参加するのは、久しぶりです。ステップを間違えずに踊ることができて、一安心しております」
「ふふ。副団長様、そのように、気を遣っていただかなくてもよろしいのに」

 ダンスが久しぶりなのは、事実だ。

 セシルに気を遣ったからではない。

 ここずっと、ギルバートだって、騎士団の護衛の仕事がある為――それを理由付けに、ご令嬢達からのダンスを避ける為に、夜会だろうとパーティーだろうと、仕事を最優先していたのだ。

 昔は、ギルバートも若かったから、無理矢理、参加させられたパーティーなどでも、必ず、ゴソッと、立ち並ぶ令嬢の相手をさせられて、それで、渋々、その全員とダンスを踊らされたことがいつもだった。

 それが王族の務めとは分かっていても、毎回、毎回、令嬢達の相手をするギルバートの精神的な苦労を、分かってもらいたいものだ。

 それで、騎士団でも、ある程度の位に就いた頃から、ギルバートは仕事を理由(言い訳) に、パーティーやらダンスやらを避けていたのだ。

 それでも、諦めの悪い令嬢達などは、ギルバートが会場内の見回り中でも、何度も、ダンスを希望してきて、その度に、


「仕事ですので、申し訳ありません」


と断り続けたギルバートの過去がある。

 なぜ、仕事があると言っているのに、「今くらいいいではないですか」 やら、「ほんの一曲ですわ」 などと、あからさまに、ギルバートに仕事をさぼれなどと、そんな無責任な発言ができるのか。

 だから、ここしばらくは、そんな令嬢達に辟易して、騎士団の仕事に徹底していたギルバートだった。

 今夜は、ギルバートの最愛の女性と、ダンスが踊ることができた。

 他の令嬢達が寄ってきて、この貴重な時間を邪魔されないように、ダンスを終えれば、ギルバートは、さっさとセシルを連れて、コーナーにでも陣取って、食事でもすればいいだろう。

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