奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
それから、一息ついて、アデラが静かに続けていく。
「ですから、全く関係のない隣国のご令嬢に迷惑をかけてしまい、わたくしも、とても心苦しく思っております。今回の夜会は――無事に終わり、少しでも、ご令嬢に楽しんでいただけたらと、思っておりますわ。せっかく、このようにお知り合いになれたのですから、嫌な思い出だけではなく、王国の印象も少し変わってもらえればと、わたくしも望んでおります」
“王妃の鑑”のような返答だった。
アデラの話にも、ただ静かに耳を傾けているセシルは、ほとんど口を開かない。
それでも、その真っ直ぐに向けられた瞳は、アデラの話をちゃんと聞いているであろう証拠で、そして、その瞳の奥で、きっと、何かの考えが浮かんでいるのは、間違いなかった。
「どうぞ、気兼ねなく、お話なさって?」
そう促されて、セシルの口がゆっくりと開く。
「非礼とは承知しておりますが、少し、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ。今日のお茶会は、堅苦しいものではありませんもの。わたくしが王妃であるということは、今日は、特別、気になさらないでくださいね」
「ありがとうございます。では――少し、質問させていただいてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「王妃陛下は、王宮ではどのように、一日のケジメ、または、終わりをつけていらっしゃるのでしょうか?」
「けじめ……? 終わり――ですの?」
「ええ」
突拍子もない質問で、その質問の意味を考えてしまったアデラは、少々、困惑気味だ。
「一日を終えて、どのように『王妃』 の立場を終え、自分自身の時間を持たれるのですか?」
「――――えっ……?」
思いもよらない質問で、アデラが素直にポカンとしている。
「――わたくしは、王妃です。王妃の立場を終えてなど――そのような……時間は、ありませんが」
「それは、『王妃』 という立場でいらっしゃいますでしょう? その立場で、お仕事をされている時はそうかもしれませんが、一日の終わり、自分自身の時間を持ち、自分自身に戻る時は、どのような区別をつけていらっしゃるのですか?」
そして、またも、その質問――の方向に驚いて、アデラは、珍しく、そこで返答がでてこなかった。
セシルは、ただとても静かな、その深い藍の瞳を向けてアデラを見ている。
言葉に詰まっている様子のアデラにも驚いた様子はなく、セシルの静かな藍の瞳だけが、優しくアデラに向けられていた。
「では、王妃陛下は国王陛下を呼ぶ時に、どのように呼んでいらっしゃるのですか?」
またしても、不思議な質問だ。
「陛下、ですわ。それが――なにか……?」
「いいえ。では、国王陛下は、王妃陛下のことを、どのように呼ばれていらっしゃいますか?」
「――わたくしの名前ですけれど……。――それが問題ですの?」
質問の方向性もなく、方向性があるのかも不確かで、微かにだが、アデラが慎重に警戒したように、それを見せないように、セシルに問い返す。
「いいえ、問題ではありません。ただ、お二人が一緒の時、どのように一日のけじめをつけ、そして、“自分自身の時間”をお持ちになられるのかな、と不思議に思いまして。まさか、24時間ずっと、そして一週間、一カ月、一年、その間、毎日、『王妃』 という立場だけで過ごされていらっしゃるのかなと、王妃陛下のお話から、そのようなことが浮かびましただけですの」
「わたくしは――王妃ですわ」
「もちろんです。それは「立場」 であり「責任」 であり、王妃陛下が背負われていらっしゃる重責でございましょう。それ以外の時は、どう、お過ごしになられていらっしゃるのですか?」
「それ、以外――?」
「ええ、そうです。「陛下」 と、呼んでしまえば、疲れて一息つきたい時、弱さを見せたい時、出したい時、そのように線引きをされては、一気に現実に引き戻されて、すぐに、『国王陛下』 という顔を見せなければなりませんよね」
それを聞いて、ハッ――と、アデラの表情が微かに変わっていた。
「いつどこでも、『国王陛下』 という顔を見せ、その立場を見せつけなければなりませんよね。では、いつ、自分自身のことを気にかけ、自分自身でいられる時を、与えることができるのかな、と思いまして?」
アデラの瞳が微かに揺らぐ。
あまりに核心を突いた質問で、でも、攻撃しているような悪意があるわけでもない。
だからなのか、余計に、アデラの動揺を促してしまっていた。
「それと同様に、「王妃陛下」 と呼ばれてしまえば、いつでもどこでも『王妃』 という顔を見せなければなりません。母親でもなく、妻でもなく、そして、ただ一人の人でもなく。一日の終わりがなければ、毎日が、毎時間が、『王妃』 という立場だけで埋め尽くされてしまうでしょう。そのようなことを続けていれば、いずれ自我を失い、一体、自分自身がなにであるのか、忘れてしまいそうになりませんか?」
信じられない――質問をされて、おまけに、このアデラに向かって、王妃に向かって、そんな言葉を出してきた人間だって初めてで、あまりの衝撃だった為か、アデラはそこで完全に言葉を失っていた。
王妃――であるのは、当然の立場だ。
そうやって躾され、国王陛下となったアルデーラと結婚し、即位した。
だから、王妃でなければならないのだ。
いつどこでも、強く、穏やかで、取り乱してはいけないのだ。
そう躾されたのに――――
「一日のケジメというものは、とても大切なものだと、私は考えておりますの。一日中、仕事詰めで、立場を見せなければならなくて、難しいことも、嫌なことも、辛いことも、その全てを隠し、その立場から一日を終えなければなりません」
ですから、とセシルが続ける。
一日の終わりのケジメをつけたら、その時間からは、「立場」 も「責任」 も持ち込まないようにすること。
その時間だけは、誰にも邪魔されず、自分自身の好きなことをしたり、何もしないで、ただ心を無にしてみたり、その時だけは、自分の感情も、気持ちも、そして、身体も、その全てが自分自身のものなのだ、と。
「そうやって、一日を終えれば、次の日もまた、私の仕事に戻っていくことができます。王妃陛下は、どのように、一日を終わらせていらっしゃるのですか?」
「わたくしは…………」
そして、また、アデラの言葉が、そこで途切れてしまった。
微かな動揺を見せるアデラを前に、セシルは驚いた様子も見せない。
驚いているようにも、見えない。
「このように、王宮で暮らしていれば、外出なされる時間もあまりないのかもしれません。そうなると、どこにいても、どの部屋でも、『王妃』 という立場が問われるのでしょう。一日の区切りがなく、どこまでも永遠に、『王妃』 という立場だけが付いて回ることでしょう。それでは息苦しくて、自我が壊れてしまいますわ」
「ですが……。わたくしは……、王妃、ですから……」
なにを理由付けしているのか、今のアデラには、もう、分からなかった。
「ですから、全く関係のない隣国のご令嬢に迷惑をかけてしまい、わたくしも、とても心苦しく思っております。今回の夜会は――無事に終わり、少しでも、ご令嬢に楽しんでいただけたらと、思っておりますわ。せっかく、このようにお知り合いになれたのですから、嫌な思い出だけではなく、王国の印象も少し変わってもらえればと、わたくしも望んでおります」
“王妃の鑑”のような返答だった。
アデラの話にも、ただ静かに耳を傾けているセシルは、ほとんど口を開かない。
それでも、その真っ直ぐに向けられた瞳は、アデラの話をちゃんと聞いているであろう証拠で、そして、その瞳の奥で、きっと、何かの考えが浮かんでいるのは、間違いなかった。
「どうぞ、気兼ねなく、お話なさって?」
そう促されて、セシルの口がゆっくりと開く。
「非礼とは承知しておりますが、少し、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ。今日のお茶会は、堅苦しいものではありませんもの。わたくしが王妃であるということは、今日は、特別、気になさらないでくださいね」
「ありがとうございます。では――少し、質問させていただいてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「王妃陛下は、王宮ではどのように、一日のケジメ、または、終わりをつけていらっしゃるのでしょうか?」
「けじめ……? 終わり――ですの?」
「ええ」
突拍子もない質問で、その質問の意味を考えてしまったアデラは、少々、困惑気味だ。
「一日を終えて、どのように『王妃』 の立場を終え、自分自身の時間を持たれるのですか?」
「――――えっ……?」
思いもよらない質問で、アデラが素直にポカンとしている。
「――わたくしは、王妃です。王妃の立場を終えてなど――そのような……時間は、ありませんが」
「それは、『王妃』 という立場でいらっしゃいますでしょう? その立場で、お仕事をされている時はそうかもしれませんが、一日の終わり、自分自身の時間を持ち、自分自身に戻る時は、どのような区別をつけていらっしゃるのですか?」
そして、またも、その質問――の方向に驚いて、アデラは、珍しく、そこで返答がでてこなかった。
セシルは、ただとても静かな、その深い藍の瞳を向けてアデラを見ている。
言葉に詰まっている様子のアデラにも驚いた様子はなく、セシルの静かな藍の瞳だけが、優しくアデラに向けられていた。
「では、王妃陛下は国王陛下を呼ぶ時に、どのように呼んでいらっしゃるのですか?」
またしても、不思議な質問だ。
「陛下、ですわ。それが――なにか……?」
「いいえ。では、国王陛下は、王妃陛下のことを、どのように呼ばれていらっしゃいますか?」
「――わたくしの名前ですけれど……。――それが問題ですの?」
質問の方向性もなく、方向性があるのかも不確かで、微かにだが、アデラが慎重に警戒したように、それを見せないように、セシルに問い返す。
「いいえ、問題ではありません。ただ、お二人が一緒の時、どのように一日のけじめをつけ、そして、“自分自身の時間”をお持ちになられるのかな、と不思議に思いまして。まさか、24時間ずっと、そして一週間、一カ月、一年、その間、毎日、『王妃』 という立場だけで過ごされていらっしゃるのかなと、王妃陛下のお話から、そのようなことが浮かびましただけですの」
「わたくしは――王妃ですわ」
「もちろんです。それは「立場」 であり「責任」 であり、王妃陛下が背負われていらっしゃる重責でございましょう。それ以外の時は、どう、お過ごしになられていらっしゃるのですか?」
「それ、以外――?」
「ええ、そうです。「陛下」 と、呼んでしまえば、疲れて一息つきたい時、弱さを見せたい時、出したい時、そのように線引きをされては、一気に現実に引き戻されて、すぐに、『国王陛下』 という顔を見せなければなりませんよね」
それを聞いて、ハッ――と、アデラの表情が微かに変わっていた。
「いつどこでも、『国王陛下』 という顔を見せ、その立場を見せつけなければなりませんよね。では、いつ、自分自身のことを気にかけ、自分自身でいられる時を、与えることができるのかな、と思いまして?」
アデラの瞳が微かに揺らぐ。
あまりに核心を突いた質問で、でも、攻撃しているような悪意があるわけでもない。
だからなのか、余計に、アデラの動揺を促してしまっていた。
「それと同様に、「王妃陛下」 と呼ばれてしまえば、いつでもどこでも『王妃』 という顔を見せなければなりません。母親でもなく、妻でもなく、そして、ただ一人の人でもなく。一日の終わりがなければ、毎日が、毎時間が、『王妃』 という立場だけで埋め尽くされてしまうでしょう。そのようなことを続けていれば、いずれ自我を失い、一体、自分自身がなにであるのか、忘れてしまいそうになりませんか?」
信じられない――質問をされて、おまけに、このアデラに向かって、王妃に向かって、そんな言葉を出してきた人間だって初めてで、あまりの衝撃だった為か、アデラはそこで完全に言葉を失っていた。
王妃――であるのは、当然の立場だ。
そうやって躾され、国王陛下となったアルデーラと結婚し、即位した。
だから、王妃でなければならないのだ。
いつどこでも、強く、穏やかで、取り乱してはいけないのだ。
そう躾されたのに――――
「一日のケジメというものは、とても大切なものだと、私は考えておりますの。一日中、仕事詰めで、立場を見せなければならなくて、難しいことも、嫌なことも、辛いことも、その全てを隠し、その立場から一日を終えなければなりません」
ですから、とセシルが続ける。
一日の終わりのケジメをつけたら、その時間からは、「立場」 も「責任」 も持ち込まないようにすること。
その時間だけは、誰にも邪魔されず、自分自身の好きなことをしたり、何もしないで、ただ心を無にしてみたり、その時だけは、自分の感情も、気持ちも、そして、身体も、その全てが自分自身のものなのだ、と。
「そうやって、一日を終えれば、次の日もまた、私の仕事に戻っていくことができます。王妃陛下は、どのように、一日を終わらせていらっしゃるのですか?」
「わたくしは…………」
そして、また、アデラの言葉が、そこで途切れてしまった。
微かな動揺を見せるアデラを前に、セシルは驚いた様子も見せない。
驚いているようにも、見えない。
「このように、王宮で暮らしていれば、外出なされる時間もあまりないのかもしれません。そうなると、どこにいても、どの部屋でも、『王妃』 という立場が問われるのでしょう。一日の区切りがなく、どこまでも永遠に、『王妃』 という立場だけが付いて回ることでしょう。それでは息苦しくて、自我が壊れてしまいますわ」
「ですが……。わたくしは……、王妃、ですから……」
なにを理由付けしているのか、今のアデラには、もう、分からなかった。