奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
あまりに――驚きすぎる質問をされ、誰一人、そんな質問だってしたことがなかったのに、今、目の前にいるセシルに問われて、その返答さえ出すことができないでいるままだ。
「このような王宮であれば、仕事も、その立場も、全く区切りがつけられないような場では、物理的に、自分自身の空間を作られてはいかがでしょうか?」
「――物理的、とは、どのような……?」
「自分だけの私室、時間、そういったものですわ。たとえ、それが一日のうち一時間だけだとしても、その間、その場所は、誰にも邪魔されないよう、完全にブロックアウトする、というものです」
「ブロック、アウト……?」
アデラの表情が、かなり困惑をみせている。
セシルは微かにだけ口元に弧を描き、
「ええ、完全に外部を遮断することを言います。その間、その時だけは、誰にも邪魔させないよう、指示を出しておかれれば良いのです。本当の意味で、緊急でなければ、ただ忙しい、仕事がある、と言う理由で、その時間を邪魔させてはいけません」
「それは……仕事を、放棄していることに……」
「いいえ、そのようなことはございません」
セシルは気負うこともなく、あまりにキッパリと断言する。
なぜ……、そんな風に断言できるのか、アデラにはその根拠が分からない。
「仕事など、きっと山ほどあるでしょうし、いつまで経っても、仕事など尽きないものです。ですから、“自分自身の時間”を作る時は、そういった言い訳をしないように、完全に外部を遮断し、その時だけは、自分の好きなことをなされば良いのです。心の向くままに、ただ、ご自分に戻ってよろしいのですよ」
「ですが……」
「誰も見ていない、聞いていない、一緒にいないのですから、問題になるはずもありませんでしょう?」
「そう、ですけれど……」
「ブレッカの戦で、国王陛下――あの時点では、王太子殿下でしたが、王太子殿下が命を狙われましたの。ご存知でしたか?」
「――――えっ……?!」
あまりに突拍子もない質問が変わり、アデラも、最初、反応はしていなかった。
意味を理解するのに反芻して――一瞬、驚いたようにアデラの瞳が上がっていたのだ。
「アルデーラ様の命が……?!」
「ええ、そうです。幸い、賊はその場で即座に捕縛され、王太子殿下には怪我もなく、ご無事であられましたが」
「そ、そう……でしたか――」
ぎゅっと、アデラがまるで無意識のように唇を少しだけ噛んで、それで思いつめたように揺れている瞳を、そっと、一度だけ閉じていた。
「そのような報告を、お受けになっていらっしゃらないのですか?」
「――わたくしを、心配させないようにとの、ご配慮です……」
「そうでしたか。大切な人を悲しませるような報を、誰だって聞かせたくないものでしょう。辛い思いをさせる報せで、大切な人が苦しむ姿を見ることは、とても辛いことですもの。できるのなら、何も知らさずに平和でいてくれたらと、望むのは当然でしょう」
アデラは、それには何も言わない。
「ただ――何も知らず、知らされず、保護され、隔離されていることは平和ではあるかもしれません。その場合は、自が傷つくこともなく、大切な人達も、傷つかずに済むことができるかもしれませんから。ですが、何も知らないまま護られているのは、怖い、ではなく、辛い、ことだと私は思うのです」
「……っ……」
その一言に、アデラがハッと息を呑んでいた。
アデラを静かに見返しているセシルの深い藍の瞳は、底が見えないほどなのに、それでも、その輝きは温かな光を宿している。
見つめ返している相手を包み込むような深い眼差しが、どこまでも落ち着いていて、静かで、穏やかだった。
「たとえ、自分自身が聞きたくない話でも、辛い思いをする報せでも、隔離されたまま、何も知らないままではいたくありません」
私は――と、セシルが静かに言葉を紡いでいく。
大切な人が苦しんでいたかと想像すると、自分が辛いよりも、胸を抉られるような気持になってしまう。
それなら、辛くても、悲しくても、事実だけは知っておきたい。
手が届かなくても、手助けすることができなくても、それでも、大切な人が苦しんでいたかもしれないという事実を、帳消しになどしたくない。
次に自分の元に帰って来てくれる大切な人の前で、しっかりと、抱き締めることさえできなくなってしまうから。
「抱き締めて、その体を感じ、温かさを感じ、生きている、という実感を、お互いに感じられなくなってしまいますもの。抱き締めてあげたのですか? 抱き締めて、自分自身を安心させてあげたのですか?」
ドシンと、ものすごい重圧が、胸に押し寄せて来たかのようだった。
意味もないのに、理由も分らないのに、鉛が胸に落ちて、そして、呼吸が苦しくなる。
安心させる――など、そんな脆い感情に頼っていては王妃など務まらない――なんて、なぜ、言われないのか、アデラの心の奥を締め付けて、息が苦しい……。
「王妃陛下、恐怖で怯えた気持ちを、安心させてあげたのですか?」
「――――……い、え……」
もう、無意識だったのかもしれない。
突拍子もなくて、質問の方向性が分からなくて――混乱して、動揺して、今は――自分の思考だって、滅茶苦茶だった。
だが、セシルの態度は、さっきから全く変わらなかった。
静かで、穏やかで、責めているのでもない。軽蔑しているのでもない。
ただ、淡々と、それなのに、その深い藍の瞳がどこまでも静謐で、アデラを見返しているだけだった。
「自分自身の時間、というのはとても大切なことです」
道に迷ってしまった時――
進む道が分からなくなった時――
足元がぐらついてしまった時――
自分が誰なのか思い出せなければ、嵐や濁流にのみ込まれたり、流されてしまったり、足元を見失って身動きがとれなくなってしまう。
「自分が何者であるか、ではありません。立場も、責任も、そう言ったもの全てを取り払って、取り除いた時、自分自身は誰だったのか? ――それは『アデラ』 という一人の女性であり、愛する人を、人達を大切にしている、一人の人間なのですよ」
「……ぁ……っ……」
「『アデラ』 でいる時は、あなた自身の心を、感情を押し殺す必要もないのです。意思も、意見も、隠し通す必要はないのです。心に素直になったからと言って、誰一人、責める者はいません」
そして、セシルが、優しい微笑をほんのりと口に浮かべてみせた。
それは、あなた自身の時間であり、他の人間が口を挟んでくるべき場所ではありませんから、と。
割り込んでくる場所でもない。
「人」として、心を持つこと、感じることは、それはなんの不思議もないことだ。
感情は至極普通のことで、「人」として感情を持つことは、自然の摂理なのだ。
「「人」 として、なにも恥じることではなく、そして、感情があるからこそ、私達は「人」 なんだと思います。「獣」 では、ないでしょう?」
アデラの唇が少し震え、動揺を隠すように、アデラが手を口に当てる。
「このような王宮であれば、仕事も、その立場も、全く区切りがつけられないような場では、物理的に、自分自身の空間を作られてはいかがでしょうか?」
「――物理的、とは、どのような……?」
「自分だけの私室、時間、そういったものですわ。たとえ、それが一日のうち一時間だけだとしても、その間、その場所は、誰にも邪魔されないよう、完全にブロックアウトする、というものです」
「ブロック、アウト……?」
アデラの表情が、かなり困惑をみせている。
セシルは微かにだけ口元に弧を描き、
「ええ、完全に外部を遮断することを言います。その間、その時だけは、誰にも邪魔させないよう、指示を出しておかれれば良いのです。本当の意味で、緊急でなければ、ただ忙しい、仕事がある、と言う理由で、その時間を邪魔させてはいけません」
「それは……仕事を、放棄していることに……」
「いいえ、そのようなことはございません」
セシルは気負うこともなく、あまりにキッパリと断言する。
なぜ……、そんな風に断言できるのか、アデラにはその根拠が分からない。
「仕事など、きっと山ほどあるでしょうし、いつまで経っても、仕事など尽きないものです。ですから、“自分自身の時間”を作る時は、そういった言い訳をしないように、完全に外部を遮断し、その時だけは、自分の好きなことをなされば良いのです。心の向くままに、ただ、ご自分に戻ってよろしいのですよ」
「ですが……」
「誰も見ていない、聞いていない、一緒にいないのですから、問題になるはずもありませんでしょう?」
「そう、ですけれど……」
「ブレッカの戦で、国王陛下――あの時点では、王太子殿下でしたが、王太子殿下が命を狙われましたの。ご存知でしたか?」
「――――えっ……?!」
あまりに突拍子もない質問が変わり、アデラも、最初、反応はしていなかった。
意味を理解するのに反芻して――一瞬、驚いたようにアデラの瞳が上がっていたのだ。
「アルデーラ様の命が……?!」
「ええ、そうです。幸い、賊はその場で即座に捕縛され、王太子殿下には怪我もなく、ご無事であられましたが」
「そ、そう……でしたか――」
ぎゅっと、アデラがまるで無意識のように唇を少しだけ噛んで、それで思いつめたように揺れている瞳を、そっと、一度だけ閉じていた。
「そのような報告を、お受けになっていらっしゃらないのですか?」
「――わたくしを、心配させないようにとの、ご配慮です……」
「そうでしたか。大切な人を悲しませるような報を、誰だって聞かせたくないものでしょう。辛い思いをさせる報せで、大切な人が苦しむ姿を見ることは、とても辛いことですもの。できるのなら、何も知らさずに平和でいてくれたらと、望むのは当然でしょう」
アデラは、それには何も言わない。
「ただ――何も知らず、知らされず、保護され、隔離されていることは平和ではあるかもしれません。その場合は、自が傷つくこともなく、大切な人達も、傷つかずに済むことができるかもしれませんから。ですが、何も知らないまま護られているのは、怖い、ではなく、辛い、ことだと私は思うのです」
「……っ……」
その一言に、アデラがハッと息を呑んでいた。
アデラを静かに見返しているセシルの深い藍の瞳は、底が見えないほどなのに、それでも、その輝きは温かな光を宿している。
見つめ返している相手を包み込むような深い眼差しが、どこまでも落ち着いていて、静かで、穏やかだった。
「たとえ、自分自身が聞きたくない話でも、辛い思いをする報せでも、隔離されたまま、何も知らないままではいたくありません」
私は――と、セシルが静かに言葉を紡いでいく。
大切な人が苦しんでいたかと想像すると、自分が辛いよりも、胸を抉られるような気持になってしまう。
それなら、辛くても、悲しくても、事実だけは知っておきたい。
手が届かなくても、手助けすることができなくても、それでも、大切な人が苦しんでいたかもしれないという事実を、帳消しになどしたくない。
次に自分の元に帰って来てくれる大切な人の前で、しっかりと、抱き締めることさえできなくなってしまうから。
「抱き締めて、その体を感じ、温かさを感じ、生きている、という実感を、お互いに感じられなくなってしまいますもの。抱き締めてあげたのですか? 抱き締めて、自分自身を安心させてあげたのですか?」
ドシンと、ものすごい重圧が、胸に押し寄せて来たかのようだった。
意味もないのに、理由も分らないのに、鉛が胸に落ちて、そして、呼吸が苦しくなる。
安心させる――など、そんな脆い感情に頼っていては王妃など務まらない――なんて、なぜ、言われないのか、アデラの心の奥を締め付けて、息が苦しい……。
「王妃陛下、恐怖で怯えた気持ちを、安心させてあげたのですか?」
「――――……い、え……」
もう、無意識だったのかもしれない。
突拍子もなくて、質問の方向性が分からなくて――混乱して、動揺して、今は――自分の思考だって、滅茶苦茶だった。
だが、セシルの態度は、さっきから全く変わらなかった。
静かで、穏やかで、責めているのでもない。軽蔑しているのでもない。
ただ、淡々と、それなのに、その深い藍の瞳がどこまでも静謐で、アデラを見返しているだけだった。
「自分自身の時間、というのはとても大切なことです」
道に迷ってしまった時――
進む道が分からなくなった時――
足元がぐらついてしまった時――
自分が誰なのか思い出せなければ、嵐や濁流にのみ込まれたり、流されてしまったり、足元を見失って身動きがとれなくなってしまう。
「自分が何者であるか、ではありません。立場も、責任も、そう言ったもの全てを取り払って、取り除いた時、自分自身は誰だったのか? ――それは『アデラ』 という一人の女性であり、愛する人を、人達を大切にしている、一人の人間なのですよ」
「……ぁ……っ……」
「『アデラ』 でいる時は、あなた自身の心を、感情を押し殺す必要もないのです。意思も、意見も、隠し通す必要はないのです。心に素直になったからと言って、誰一人、責める者はいません」
そして、セシルが、優しい微笑をほんのりと口に浮かべてみせた。
それは、あなた自身の時間であり、他の人間が口を挟んでくるべき場所ではありませんから、と。
割り込んでくる場所でもない。
「人」として、心を持つこと、感じることは、それはなんの不思議もないことだ。
感情は至極普通のことで、「人」として感情を持つことは、自然の摂理なのだ。
「「人」 として、なにも恥じることではなく、そして、感情があるからこそ、私達は「人」 なんだと思います。「獣」 では、ないでしょう?」
アデラの唇が少し震え、動揺を隠すように、アデラが手を口に当てる。