奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
「ですから、“自分自身の時間”というのは、とても大切です。そして、夫婦なら、“夫婦である時間”ということも、とても大切だと思います」

 お互いにお互いの素をさらけ出せる関係。
 そして、それを見せても許される場所。

 心を許せる、(ひら)ける時。
 自分の心を殺さなくてもよい拠り所。

「二人なら、もっと強くなっていけますね」

 なぜなら、一緒に、辛さも、苦しみも、困難も共有でるから。

 一人では難しいことも、一人では抱えきれないことでも、一人ではなくて、支えてくれる相手がいる。

 そして、支え合っていける相手がいるというのは、とても恵まれていることだと思う。

「何もかもを一人きりで背負うのではなく、苦しむのではなく、誰にだって、心の拠り所があってもいいはずです。ただの『自分自身』 に、戻ってもいいはずです」

 セシルの話を聞いているアデラの指元も、微かに震えだしていた。
 その顔を見せないようにと、アデラが少し横を向いてしまう。

「コミュニケーションは、夫婦でなくとも、私達の意思を伝えるのに一番大切なことです。口に出さなくとも、言わずとも、分かるだろう? ――それは、ただの思い込み、推測、または自分よがりな考え――になってしまうと思いませんか?」

 なぜなら――と、セシルは続ける。

 「憶測」 は、その時の感情や状況次第で、受け取り方も変わってきてしまう。

 相手が本当に考えていることを推測することは可能かもしれなくても、だからと言って、本当の意味で、相手の意図を理解したことにはならないから。

 意思疎通を図ろうと言葉に出したとしても、その全てが全て、自分自身が考えている意味のまま理解されることだって、ほとんどないものだ。

 知識にないこと、経験してないこと、自分で理解していないことを話されても、共通観念がなければ、同じ立場で、土俵で、相手の意図を理解することは、とても難しいのだ。

 だから、私達には意思疎通の為に、「話す」 能力を与えられたのだ、と。

「王妃陛下は、ご自分が納得できる、そして、心を割って話せるコミュニケーションをなさっていますか?」
「……っ……」

 また、ガツンと、頭を殴られたような衝動を受けて、アデラは目を瞑ってしまっていた。

 心を割って――など、聞いてはいけない。
 質問してはいけない。

 ただ、文句も言わず、受け入れて、支えていくのが王妃の務め――だと……。

 セシルの話は、全てが全て、アデラが躾された教育とは異なっていた。あまりに違い過ぎていた。

 それが――胸を貫くようで、息が苦しい……。

「……「人」 として行動してしまえば、王妃としては、役に立たないのですわ……」

 弱音を吐くつもりなど無かった。

 それでも……、セシルはアデラの話を聞いても態度が変わらず、そして、そのどこまでも落ち着いた瞳が、ただ、静かにアデラの話を聞いていてくれている。

 責めるのでもない。非難するでもない。
 ただ――静かに、話を聞いてくれているだけだった。

「なぜですか?」
「……えっ……?」

 あまりにあっさりと質問を返されて、アデラの方が驚いていた。

「なぜ、「人」 に戻ったからと言って、王妃陛下としての仕事が、できないのですか?」
「なぜ……って……それは、王妃として……甘さなど、許されませんでしょう?」
「それは、『王妃』 という立場でしょう?」

 『王妃』 であるのなら、国を統治する国王陛下を支え、直接的ではないにしても、国を、国民を、そうやって陰からでも支えていかなければならない。

 その重責を担っていらっしゃるから。
 その責任も、立場も重く、そして、誰にでもできる仕事でもない。

 覚悟も必要だろうし、厳しい決断を迫られることもあるだろう。

「ですが、それは立場であって、私達の本質ではありませんよ」
「……本質……? どういう意味ですの?」

「私達は、「人」 として生まれてくるのです。それは、誰であろうと、絶対、変わらない事実であり、真理です」

 とても穏やかな口調で、変わらぬ態度で、そして、どこまでも静穏を映した強い瞳のまま、セシルが静かに断言した。

「『王妃』 となるのは、「人」 として生まれて来た後から与えられた「立場」 です。その立場には責任がついてくるのでしょうし、課された仕事もあるのでしょうし、色々です」

 そして、どこまでも静謐な深い藍の瞳が、アデラに優しく言い聞かせるように、アデラを見つめている。

「「人」 として最初に生まれてきているのに、なぜ、その「人」 を捨てなければならないのですか?」

 それは……『王妃』 は、『王族』 は、人として行動してはいけないから……。

「『王妃』 としての立場の時は、そのような行動をすることを要求されるでしょうし、しなければならないのでしょう。ですが、「人」 としている時に、わざわざ、『王妃』 である仕事を持ち込まなければならないのですか? 「人」 でなければ、『王妃』 ではいられない。なることもできないでしょう」

 アデラは、普段のように感情を隠すこともなく、その素直に驚いた瞳をセシルに向け、呆然としたように動かなかった。

 まるで、セシルの話した内容を生まれて初めて聞いた、耳にした――とでもいうような雰囲気で、言葉を失っていたのだ。

「『王妃』 である時は、その立場を理解し、責任を理解し、そうやって行動し、そうやって仕事をするのでしょう。「人」 としている時は、自分自身に戻り、心を持っても、感情を持っても、許されるのです。それは「人」 として、至極当然で、自然なことです」

「……ぁ……っ……」

 押さえきれず、アデラの瞳から、一筋の涙が流れ落ちていた。
 パっと、アデラが慌てて目元を指で拭う。

「……ごめんなさい……。恥ずかしいところを見せてしまい……」

「どうか、お気になさらないでください。私のことは、ここにいない者として、扱ってください。例えば、空気のように?」

「……それは、無理、でしょう……?」

 ふふと、知らずアデラの口から笑みが漏れていた。

「王妃陛下、「人」 に戻ったからと言って、『王妃』 である立場も、責任も、消え去るものではございません。それは、あなたの立場であるのですから、これからも続いていくものです。ですが、「人」 に戻った時は、『アデラ』 という一人の女性で、母親で、そして、大切な人を愛するお方なんです。喜怒哀楽も自然な感情です。自分の弱さを見せても許される場所、空間、そして、許してくれる相手」

 セシルの話を聞いているアデラの瞳が揺れていき、アデラは、ただ、そこで瞳を閉じていた。

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