奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
* В.а アトレシア大王国 *
「準伯爵、コトレア領領主?」
アトレシア大王国王太子殿下であるアルデーラは、自分の執務室で、束になっている報告書に目を通していた。
「おや? 準伯爵領主ですか?」
「そう、報告されている」
アルデーラが束の報告を掴み、それを読んでいる傍らで、アルデーラの補佐役であり、現宰相補佐役でもあるすぐ下の弟レイフが、ちらっとだけ、その視線をアルデーラの手の中にある報告書に向けられた。
ブレッカでの戦を収め、王都に戻ってきた王太子殿下アルデーラは、すぐに自分の部下を飛ばし、あの――あまりに衝撃的な出会いを遂げた令嬢、ヘルバート伯爵令嬢を調べさせた。
隣国ではあるし、知り合いの貴族でもないので、少々、時間はかかるかなと踏んでいたアルデーラの前で、一週間もしないで、身辺調査の報告書が提出されたのだ。
早くに仕事が済むのなら、それはそれでこしたことはないが、報告書も薄く、少なからずの猜疑が上がってしまっていたのは、仕方のないことだ。
「ヘルバート伯爵家長女、セシル・ヘルバート。弟が一人。再婚の継母を持つ。現在、18歳、未婚。性格は大人しく――地味で、目立たない生徒と認識され、主だった行動も活動も記録されていない――」
隣にいるレイフにも聞こえるように、アルデーラが報告書を読み上げていくが、伯爵令嬢本人に関する記録は、ものすごく短い。
社交界での知り合いもあまりいなく、内気で――という認識も広がっているようだ、云々。
「内気、ねえ……」
なにしろ、出会いからして衝撃的で、あの――勢いのあるセシルだけしか知らないし、見ていないだけに、隣国での伯爵令嬢の認識が薄いその事実の方が、驚きである。
「――昨年、婚約破棄――」
「おや? 婚約していたんですか?」
その部分の報告は、レイフも興味が引かれたようで、机を回ってきて、アルデーラの後ろに立つようにした。
「どれどれ? ――ホルメン侯爵家嫡男、ジョーランとの婚約解消が成立。王立学園卒業式の式典で――」
それを読んでいたレイフが、ぱっと、アルデーラの手から、書類を取り上げてしまったのだ。
「おい」
「すみません。ちょっとお借りします」
行動が先で、謝罪が後。
まったく、自分の興味の引かれるものが出てくると、すぐに行動に移す弟の悪癖には慣れていても、身辺調査の報告書は、アルデーラが先に読んでいたものなのに。
だが、真剣な表情で残りの報告書を読んでいくレイフの口元が、随分、楽しそうに、皮肉気に上がっていく。
その顔を横目で見ていたアルデーラは、
「それで?」
「実に興味深いですねえ。内気で、内向的? ――ふーむ、なるほど。存在感が薄く、社交界でも名を馳せないほどの令嬢が、侯爵家お取り潰し、家名断絶。名誉棄損罪、侮辱罪、偽証罪、虚偽告訴等罪、不敬罪。おまけに姦淫罪? ――ははは、これはいい」
報告書を読み続けていくレイフは、いたくご機嫌だ。
「損害賠償金、契約違反料、生活保護、社会保護の保証金、慰謝料。――ははは、これはいいっ。最高だ。こんな面白い茶番を聞いたのは、久しぶりですよ。おや、領内の潜入不可? ――ふーむ、なるほど。領内は通行門で閉鎖されている為、密偵も領地内には入れなかったようですね。“女領主”とまで昇格しているのですから、どんな手腕で統治しているのか、私も興味がありますね。――道理で、兄上が執着なさるはずだ」
「執着、ではなく、警戒、だ」
「ああ、そうでしたね」
アルデーラの冷たい訂正も、なんのその。
「ここまでスッパリ、キッパリのお家断絶劇。見事、としか言い様がありませんよ。本当に興味深い。ははは」
いつまでたっても書類が自分の手元に戻ってこないので、アルデーラが呆れたまま、スッと、左手を上げてみせるようにした。
ご丁寧に、わざとらしく、レイフがその手の中に、書類をアルデーラの指に挟んでいく。
大の大人がそんな悪ふざけをしなくてもいいのに、レイフはいつもこうだ。
書類が手元に戻ってきたので、先程の続きを読み上げていく。
最初の1ページ目だけがあまりに簡潔だったが、王立学園の卒業式での婚約破棄の茶番劇は、随分、詳細に記されていた。
卒業生全生徒の前で、おまけにノーウッド王国国王陛下の御前での茶番劇だ。緘口令を出していないようだから、その茶番劇を目撃した人間は、かなりの人数だったことだろう。
アルデーラの口元にも、皮肉げな笑みが上がっていく。
「いやあ、興味深いですねえ」
「確かに」
「私も、かの伯爵令嬢に会ってみたくなりましたよ」
「今は、「準伯爵」 のようだが」
「ええ、そうですね。家名の分譲となれば、令嬢ですし、男爵、もしくは、子爵程度で十分でしょうに――随分、寛大な処置で、「準伯爵」 まで盛り上げたんですか?」
隣国ノーウッド王国の国王陛下も――セシルの秘められた能力を警戒しながらも、いつでもセシルを自分の手の内に引き込めるように、「準伯爵」 の地位まで授けたようである。
今までは全く名も知られていないような、顔を覚えられていないような、存在感ゼロの、ただの伯爵令嬢だったのに。
「いやあ、面白い話ですねえ」
レイフは、アルデーラの血の繋がった弟で、今は宰相補佐を務めていると同時に、アルデーラの補佐をしているだけに、ブレッカの戦での――アトレシア大王国の王国軍のあの醜態に汚点、そして、隣国からやって来たらしいご令嬢の話も密かに聞いていた。
まだ誰にも話してはいない事実だったが、レイフだけは、アルデーラの補佐として、王政も国政の裏まで食い込んでいるだけに、アルデーラはブレッカで起きた全ての事実を、包み隠さず、レイフにだけは話していたのだ。
だから、隣国のヘルバート伯爵令嬢の報告書を読んで、レイフの興味が更に上がっていたのは、言うまでもない。
「ブレッカでの迷惑をかけた詫びと、戦の助力に感謝して、晩餐会にでも招待したらどうなんですか?」
ブレッカでは、「もう二度と会わない」 と、さっさとあの場から立ち去ってしまったセシルだ。
あたかも、アトレシア大王国にいると、余計な問題だけが押し付けられる、という態度がありありとして、挨拶も何もなく、アルデーラ達はほとんど無視された状態だった。
礼を言う機会はなかった。そんな暇さえ与えず、喋りたくもないのか、あれ以上、アトレシア大王国の人間と一緒にもいたくないのか、略奪された物資や、余計にかかった出費が返済されると同時に、跡形もなく消え去ってしまった人物だ。
確かに、あれだけの迷惑をかけておきながら、おまけに――命まで救ってもらいながら、礼の一つも返さないなど、あまりに礼儀がなっていない。
それは、アルデーラも考えたことだった。
「個人的に呼びつけては、目立ち過ぎる」
「じゃあ、第一騎士団の活躍を称え、慰労会程度の夜会でいいんじゃないですか? それで、騎士団と、王太子殿下の絆をもっと深めるには丁度いい」
ふむ、とその提案には、アルデーラも賛成だ。
「いいだろう。そろそろ、ハラルド達がやってくる時間だ。夜会の提案もしてみよう」
「ああ、楽しみですねえ」
それで、隣国からやってくるご令嬢に会う機会を、本気で楽しんでいる様子の弟に、アルデーラもすでにゲッソリ……と、それ以上、指摘しないことにしたのだった。
この弟――少々、困った悪癖があるのだ。
その悪癖のせいで、本人がその気になったら、止まらない。止められない。制止がきかない。
制止するだけ労力の無駄で、その倍以上の屁理屈が飛ばされ、返って来るので、大抵、いつも、レイフがその気になった時は、アルデーラは、もう、レイフに干渉しないことが多い。
今回も同じだ。
労力の無駄はしないことにしているのだ。
アトレシア大王国王太子殿下であるアルデーラは、自分の執務室で、束になっている報告書に目を通していた。
「おや? 準伯爵領主ですか?」
「そう、報告されている」
アルデーラが束の報告を掴み、それを読んでいる傍らで、アルデーラの補佐役であり、現宰相補佐役でもあるすぐ下の弟レイフが、ちらっとだけ、その視線をアルデーラの手の中にある報告書に向けられた。
ブレッカでの戦を収め、王都に戻ってきた王太子殿下アルデーラは、すぐに自分の部下を飛ばし、あの――あまりに衝撃的な出会いを遂げた令嬢、ヘルバート伯爵令嬢を調べさせた。
隣国ではあるし、知り合いの貴族でもないので、少々、時間はかかるかなと踏んでいたアルデーラの前で、一週間もしないで、身辺調査の報告書が提出されたのだ。
早くに仕事が済むのなら、それはそれでこしたことはないが、報告書も薄く、少なからずの猜疑が上がってしまっていたのは、仕方のないことだ。
「ヘルバート伯爵家長女、セシル・ヘルバート。弟が一人。再婚の継母を持つ。現在、18歳、未婚。性格は大人しく――地味で、目立たない生徒と認識され、主だった行動も活動も記録されていない――」
隣にいるレイフにも聞こえるように、アルデーラが報告書を読み上げていくが、伯爵令嬢本人に関する記録は、ものすごく短い。
社交界での知り合いもあまりいなく、内気で――という認識も広がっているようだ、云々。
「内気、ねえ……」
なにしろ、出会いからして衝撃的で、あの――勢いのあるセシルだけしか知らないし、見ていないだけに、隣国での伯爵令嬢の認識が薄いその事実の方が、驚きである。
「――昨年、婚約破棄――」
「おや? 婚約していたんですか?」
その部分の報告は、レイフも興味が引かれたようで、机を回ってきて、アルデーラの後ろに立つようにした。
「どれどれ? ――ホルメン侯爵家嫡男、ジョーランとの婚約解消が成立。王立学園卒業式の式典で――」
それを読んでいたレイフが、ぱっと、アルデーラの手から、書類を取り上げてしまったのだ。
「おい」
「すみません。ちょっとお借りします」
行動が先で、謝罪が後。
まったく、自分の興味の引かれるものが出てくると、すぐに行動に移す弟の悪癖には慣れていても、身辺調査の報告書は、アルデーラが先に読んでいたものなのに。
だが、真剣な表情で残りの報告書を読んでいくレイフの口元が、随分、楽しそうに、皮肉気に上がっていく。
その顔を横目で見ていたアルデーラは、
「それで?」
「実に興味深いですねえ。内気で、内向的? ――ふーむ、なるほど。存在感が薄く、社交界でも名を馳せないほどの令嬢が、侯爵家お取り潰し、家名断絶。名誉棄損罪、侮辱罪、偽証罪、虚偽告訴等罪、不敬罪。おまけに姦淫罪? ――ははは、これはいい」
報告書を読み続けていくレイフは、いたくご機嫌だ。
「損害賠償金、契約違反料、生活保護、社会保護の保証金、慰謝料。――ははは、これはいいっ。最高だ。こんな面白い茶番を聞いたのは、久しぶりですよ。おや、領内の潜入不可? ――ふーむ、なるほど。領内は通行門で閉鎖されている為、密偵も領地内には入れなかったようですね。“女領主”とまで昇格しているのですから、どんな手腕で統治しているのか、私も興味がありますね。――道理で、兄上が執着なさるはずだ」
「執着、ではなく、警戒、だ」
「ああ、そうでしたね」
アルデーラの冷たい訂正も、なんのその。
「ここまでスッパリ、キッパリのお家断絶劇。見事、としか言い様がありませんよ。本当に興味深い。ははは」
いつまでたっても書類が自分の手元に戻ってこないので、アルデーラが呆れたまま、スッと、左手を上げてみせるようにした。
ご丁寧に、わざとらしく、レイフがその手の中に、書類をアルデーラの指に挟んでいく。
大の大人がそんな悪ふざけをしなくてもいいのに、レイフはいつもこうだ。
書類が手元に戻ってきたので、先程の続きを読み上げていく。
最初の1ページ目だけがあまりに簡潔だったが、王立学園の卒業式での婚約破棄の茶番劇は、随分、詳細に記されていた。
卒業生全生徒の前で、おまけにノーウッド王国国王陛下の御前での茶番劇だ。緘口令を出していないようだから、その茶番劇を目撃した人間は、かなりの人数だったことだろう。
アルデーラの口元にも、皮肉げな笑みが上がっていく。
「いやあ、興味深いですねえ」
「確かに」
「私も、かの伯爵令嬢に会ってみたくなりましたよ」
「今は、「準伯爵」 のようだが」
「ええ、そうですね。家名の分譲となれば、令嬢ですし、男爵、もしくは、子爵程度で十分でしょうに――随分、寛大な処置で、「準伯爵」 まで盛り上げたんですか?」
隣国ノーウッド王国の国王陛下も――セシルの秘められた能力を警戒しながらも、いつでもセシルを自分の手の内に引き込めるように、「準伯爵」 の地位まで授けたようである。
今までは全く名も知られていないような、顔を覚えられていないような、存在感ゼロの、ただの伯爵令嬢だったのに。
「いやあ、面白い話ですねえ」
レイフは、アルデーラの血の繋がった弟で、今は宰相補佐を務めていると同時に、アルデーラの補佐をしているだけに、ブレッカの戦での――アトレシア大王国の王国軍のあの醜態に汚点、そして、隣国からやって来たらしいご令嬢の話も密かに聞いていた。
まだ誰にも話してはいない事実だったが、レイフだけは、アルデーラの補佐として、王政も国政の裏まで食い込んでいるだけに、アルデーラはブレッカで起きた全ての事実を、包み隠さず、レイフにだけは話していたのだ。
だから、隣国のヘルバート伯爵令嬢の報告書を読んで、レイフの興味が更に上がっていたのは、言うまでもない。
「ブレッカでの迷惑をかけた詫びと、戦の助力に感謝して、晩餐会にでも招待したらどうなんですか?」
ブレッカでは、「もう二度と会わない」 と、さっさとあの場から立ち去ってしまったセシルだ。
あたかも、アトレシア大王国にいると、余計な問題だけが押し付けられる、という態度がありありとして、挨拶も何もなく、アルデーラ達はほとんど無視された状態だった。
礼を言う機会はなかった。そんな暇さえ与えず、喋りたくもないのか、あれ以上、アトレシア大王国の人間と一緒にもいたくないのか、略奪された物資や、余計にかかった出費が返済されると同時に、跡形もなく消え去ってしまった人物だ。
確かに、あれだけの迷惑をかけておきながら、おまけに――命まで救ってもらいながら、礼の一つも返さないなど、あまりに礼儀がなっていない。
それは、アルデーラも考えたことだった。
「個人的に呼びつけては、目立ち過ぎる」
「じゃあ、第一騎士団の活躍を称え、慰労会程度の夜会でいいんじゃないですか? それで、騎士団と、王太子殿下の絆をもっと深めるには丁度いい」
ふむ、とその提案には、アルデーラも賛成だ。
「いいだろう。そろそろ、ハラルド達がやってくる時間だ。夜会の提案もしてみよう」
「ああ、楽しみですねえ」
それで、隣国からやってくるご令嬢に会う機会を、本気で楽しんでいる様子の弟に、アルデーラもすでにゲッソリ……と、それ以上、指摘しないことにしたのだった。
この弟――少々、困った悪癖があるのだ。
その悪癖のせいで、本人がその気になったら、止まらない。止められない。制止がきかない。
制止するだけ労力の無駄で、その倍以上の屁理屈が飛ばされ、返って来るので、大抵、いつも、レイフがその気になった時は、アルデーラは、もう、レイフに干渉しないことが多い。
今回も同じだ。
労力の無駄はしないことにしているのだ。