天妃物語〜本編後番外編・帰ってきた天妃が天帝に愛されすぎだと後宮の下女の噂話がはかどりすぎる〜
「え、気付いてないの? 天帝は鶯をとても大切にしてるよね。天帝は誰に対してもお優しい(かた)だけど、鶯の扱いは分かりやすいくらい特別だもん。びっくりしたくらいなのに」
「ありがとうございます。天上に戻ってからも大切にしてもらっています」

 そう言って鶯ははにかんだ。
 そんな鶯に萌黄は目を細める。

「幸せそうだね」
「はい、おかげさまで幸せです。少し怖いくらいに……」
「怖い? どうして?」

 萌黄が不思議そうに聞き返した。
 だが鶯は誤魔化すように笑って答えない。
 鶯は視線をさ迷わせて、ふと視界に白い花が映る。

「萌黄、あれを見てください。サンリンソウが咲いてますよ」
「あっ、ほんとだ。たくさん咲いてる。……て、誤魔化した?」
「まさか。でもせっかくですから行ってみましょうか」
「うん!」

 二人は群生しているサンリンソウに足を向けた。
 サンリンソウとは山に咲く白い小花だ。五枚の愛らしい花弁を広げ、山や森に可愛らしく咲いている。

「子どもの頃に遊んでいた場所にもたくさん咲いてたっけ」
「はい、覚えています。今思うと、子どもが山でかくれんぼってなかなか命がけですよね。いつ迷子になってもおかしくありませんでしたよ?」
「遭難しそうになったことあったよね」
「懐かしいですね」
「鶯ってかくれんぼ下手だったよね。すぐに見つかってたし」
「……余計なことまで思いだすんじゃありません」

 鶯はムッと言い返すが、懐かしい思い出に表情は綻んでいる。
 そしてサンリンソウの前に膝をつき、白い小さな花弁にそっと触れた。

「子どもの頃は見慣れた花でしたが、こうして見ると懐かしくなります」
「うん、懐かしい……」

 鶯と萌黄は二人で同じ花を見つめる。
 鶯がまだ地上にいた時は二人で一緒の花を見るのが当たり前だったのに、今は天上と地上に分かたれた。
 でも二人で思い出を語りながら過去を懐かしく思えるようになったのは、きっと今が幸福だから。どんな過去も大切な思い出になったから。

「さて戻りましょうか。黒緋様たちが待ちくたびれています」
「うん、そうだね。早く帰らないと文句言われそう」
「黒緋様はそんなこと言いませんよ」
「そうかなあ?」

 そう話しながら二人は戻ろうとしたが、その時、――――ガサリッ。茂みが不自然に揺れる音がした。
 グルルル……。獣の低いうなり声が聞こえてくる。
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