天妃物語〜本編後番外編・帰ってきた天妃が天帝に愛されすぎだと後宮の下女の噂話がはかどりすぎる〜
「お()ぎします」
「ありがとう。お前も付き合ってくれ」

 鶯が(そそ)ぐと黒緋も新しい杯《はい》に注ぐ。
 互いに酒を注ぎあい、二人は三日月を見上げながら一献楽しんだ。

「今日は楽しかったですね」
「ああ、大変なこともあったが」
「子ども達とたくさん遊んでくれてありがとうございます。あの子たちも父上と遊べて嬉しいようでした。いつもよりはしゃいでいたのはそれが楽しかったからでしょう」
「お前は? お前は満足したか?」
「もちろんです。幸せな時間でした」
「それならいい。大変だったが俺にとっても楽しい時間だった。お前の地上の故郷を見れたからな」
「はい、伊勢の御山の景色をあなたと見ることができて良かったです」
「素晴らしい景色だった」

 黒緋がくいっと杯を煽る。
 空になった杯に鶯は銚子(ちょうし)を傾けた。
 鶯は銚子を引こうとして、その手を大きな手に捕まれた。黒緋だ。
 突然手を握られて鶯の頬に赤みがさし、おずおずと見つめ返す。

「どうしました?」
「お前の話しをもっと聞きたいんだ。お前が地上で目にしたもの、食べたもの、体験したこと、すべてを聞きたい」
「黒緋さま……」

 口説くような甘い声色に鶯は恥ずかしそうに目を伏せた。
 そして手を握られたまま、もう片方の手で(おうぎ)を開いて顔を隠す。
 間近に黒緋の精悍ながら美しい顔があって目を合わせていられなくなったのだ。
 しかし黒緋は鶯の指先にそっと唇を寄せる。

「本気だ。分かっているか?」
「……私の昔語りなど面白くないかもしれませんよ? 生まれは伊勢の片田舎です。貧しいばかりの暮らしで特別になにかがあったわけでもありません」
「構わん、なにもない日々の話しが聞きたい。寒い思いをしていたならそれを話せ。腹を空《す》かせていたなら、その時のことも。……話したくないなら構わないが」

 そう言った黒緋に鶯は扇の影で目を丸めた。
 少しだけ扇を下げて黒緋を見つめる。
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