愛を語るより…
この人の無意識に放出するフェロモンは、私の心臓を幾つでも何度でも撃ち抜く。


でも、会社での主任はとても冷静沈着で、声を掛けることを少し躊躇させるようなタイプだと思う。

銀縁のフレームに、キリリとした眉。
仕事中、その眼鏡の奥には常にパソコンの画面が映っていて、けして妥協は許さないと言っているようなオーラが常に出ていている。

ワーカーホリックな所があるようで、目の下には濃い隈があったりするし、言葉数もあまりなく、淡々としているから、初見だと怖いと思う人も多いかもしれない。


…まぁ、他の女子社員の心象は分からないけれど、私はそんな主任の事が入社当時から好きだったりする。

密かに、慎ましく。
叶わない恋だと分かっているから、絶対に迷惑を掛けるような行動は取らない。

けれど、如何しても傍にはいたくて。
自分の存在だけは知っていて欲しくて、彼から受ける雑用なんかは全て私に回して下さいと、先輩に頼み込んだ程、この想いは真剣だった。

勿論、今まで恋をしてこなかった訳ではないし、一応彼氏と呼べるような人もいた。
…どれもあまり長くは続かなかったけれど。

でも、主任に恋をしたそのきっかけなんて、もう覚えてすらいない。
何故か、それを思い出そうとすると、直ぐに主任から声を掛けられ、何かちょっとした業務を頼まれる。
それは、大抵課外に出ていくもの。
しかも、主任同行の上で、だ。


主任は、ああ見えて…というと語弊があるけれど、とても温かな人だと私は思う。
常に、周りへ細かく目を向けているし、ミスをした人を見下したり突き放す事なく、丁寧に且つ迅速に対処法を手解きしてくれる。

私は、生粋のおっちょこちょいだから、よく凡ミスをするのだけれど、それでも彼だけは見捨てずにいてくれる。
私が渡す淹れたてのコーヒーも、美味しそうに飲んでくれるし、偶に課内の皆さんへと差し入れするお菓子なんかも、彼は必ず率先して「ありがとう」と貰ってくれる。

だからなのか、余計に好きになってしまうのは…おかしい事じゃないと、私は思うんだ。

今だって、私の隣を革靴をカツン、と格好良く鳴らしながら歩く彼は、私の歩幅に合わせて声色は柔らかく、書類作成の内容を説明してくれている。


けして、狭くはない社内。
だから、誰も気にする人はいないし、気にされたとしても、羨ましがられるよりも先に、同情される事が多々だった。


『まーた、主任にこき使われてるの?』


と。


それに対して私はぶんぶんと首を振って、毎回同じ台詞で違うんだと誤解を説く。


『そんなことないよ?!私は、主任からお仕事を教えて貰ってるだけだし!それに、主任は凄く優しい人だよ?!』


その顔が赤くなっているのに、何人かは気付いていて、口には出さないものの、私が主任に恋をしている事を知っている人はいる。

だからこそ、主任が私の気持ちを逆手に取り、仕事に託つけて私を振り回しているように見えてる…のかもしれない。

いや、主任が私の気持ちに気付いているなんて、私的には違うと否定したい所なのだけれど。


その辺で、うーん?と悩む私に向けて、仕事帰りに一緒にご飯を食べによく行く仲の良い同期の子達には、口を酸っぱくしてこう言われている。


「あの主任があんたの気持ちに応えるなんて無理」


だと。


そんな事は百も承知だ。
眉目秀麗で頭脳明晰。
上からのお達しで、何度も…いや、何万回とも言われているらしい、昇進の話があるのにも関わらず、今の仕事が好きだからと、けして権力には屈しないその態度も、主任の魅力の一つだと私は思っている。


それに対して会社から、絶対に冷遇されると思いきや、主任が細かく指示をして次々と円滑に、更には精度の高い業務に従事するその姿勢に向けて、全ての人達が主任の存在を、羨望しまた手放さないように、慎重に扱っている。


それくらい、長けた人なのだ。
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