腹黒御曹司の一途な求婚
「……萌黄を労うのは俺の役目なんだけど」
「なんだよ!そんなところで張り合うなって!余裕ないなぁ、おまえ」

 不機嫌そうな蒼士を和泉さんが笑い飛ばす。いつもの二人らしいやり取りに、強張っていた私の肩の力もフッと抜けた。

「とりあえず誓約書のことはお父さんも気にしていなさそうだったけど、何かあったら絶対に蒼士に相談するんだよ?蒼士から連絡もらったら俺が対応するから」

 続いて私の方を向いて、和泉さんがにっこりと微笑む。

「ありがとうございます……」
「うん、じゃあ俺はそろそろ行こうかな。またねー」

 ヒラリと手を振ると、和泉さんは去っていった。

 二人になると、途端にドッと疲労感が押し寄せてくる。
 多分、安心したせい。蒼士の隣は私の安全地帯だから。

「結局、あんまり休めなかったな。……あと少しで締めの挨拶なんだ。だからもう抜けても大丈夫だよ」
「えっ?でも、大丈夫なの?」
「母さんもいつも頃合いを見て抜けてるから問題ないさ。上に部屋を押さえてあるんだ。先に戻って待ってて?」

 そう言って手渡されたのは中央にアスプロ東京のロゴが刻まれた黒のカードキー。
 スイートルームのものだ。通常の部屋は白のカードキーなので、見ただけで分かる。

 泊まる準備をしておいて、とは前もって言われていたけれど、てっきり彼の家に泊まるものだと思っていたから驚いた。
 しかもスイートルームだなんて。そんないい部屋を取ってもらって申し訳ない。
 気後れから反射的に謝ってしまいそうになって、私はグッと言葉を呑み込んだ。

 彼は私に引け目を感じてほしいわけではないと思うから。
 
 かつてはご令嬢と呼ばれる立場にいた私も、祖父母と暮らしていたおかげで金銭感覚はもう庶民のそれになっている。
 だから蒼士にラグジュアリーな世界へ連れ出される度に腰が引けていたけれど、少しずつ慣れていきたい。
 彼と、ずっと一緒にいたいから。

「ありがとう。ごめん、先に下がらせてもらうね」
「うん。今日は本当にありがとう。ゆっくり休んで」

 蒼士に小さく手を振って、私は会場を後にした。
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