腹黒御曹司の一途な求婚
 久高くんが取引先から招待券を貰ったというディナークルーズは、ベリが丘ふ頭から出港するレストランクルーズ『ラ・メール』のことだった。
 
 『ラ・メール』はフランス料理を扱っているが、船上レストランという特殊な立ち位置のため、アスプロ東京(うち)の『プレジール』と直接的に競合しているわけじゃない。

 けれども真心こもった丁重なサービスが評判と聞いていて、偵察も兼ねていつか行きたいと思っていた。
 なので久高くんから詳しく話を聞いてからというものの、密かに楽しみにしていたのだ。
 
 日がとっぷり暮れた午後六時三十分。
 なぜか上機嫌な久高くんに恭しくエスコートされて、クルーズ船へ乗船する。
 
 通されたのは、船内に一部屋しかない特別貴賓室だった。
 内装はヴィクトリアン様式でまとめられていて、足を踏み入れてまず目に入ったのは重厚なチェスターフィールドのソファセット。
 その奥にはソファと同じ青色のクロスがかけられた長テーブルが、部屋を横切るように配置されている。
 
 中央の二席に横並びでテーブルセッティングがなされていて、私はサービススタッフの壮年の男性に促されるままマホガニーの椅子に腰掛ける。久高くんも同様に席に着いたところで、サービススタッフの男性が慇懃に腰を折った。
 
「本日はラ・メールにご乗船いただき誠にありがとうございます。本日久高様の担当をさせていただきます、野堀と申します。まもなく当船はベリが丘桟橋を出航いたしまして、夜の東京湾を周遊してまいります。海上から望む煌びやかな東京の夜景を、シェフが腕によりをかけて作りました料理と共に是非お楽しみくださいませ」

 定型文であるはずなのにそうは感じさせない野堀さんの流暢な口上によって、私は一気に船上という非日常に引き込まれた。
 気持ちが浮き立ち、野堀さんの話を聞きながら、地上の光が反射して星粒が輝いているように見える窓の向こうの海原をうっとりと眺める。
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