腹黒御曹司の一途な求婚
「萌黄のお知り合いの方でしょうか?」

 直後、凛とした声が降ってきた。やっと息をすることを許されたように、私は彼の腕に抱かれながら酸素を取り入れる。

「彼女は今、体調を崩していて。申し訳ないのですが、こちらで失礼致します」
 
 私の肩を抱く手が、力強く頼もしい。安心感から体の力が抜けて、彼の胸に体重を預けそうになっていると、貴子さんの眉間の皺が一層深くなった気がした。

 けれども貴子さんはすぐさま厭悪感を巧妙に隠して艶然とした笑みを浮かべた。

「あら。そうなの、萌黄さん?心配だわ。あなたは萌黄さんのお友達かしら?私、この子の縁戚の美濃貴子と申しますわ」
「名乗るほどの者ではありませんよ。急いでいるのでこれにて失礼します。萌黄、歩けるか?」

 聞いたことのないような素気ない声で貴子さんをあしらった後、久高くんは案じるように私の顔を覗き込んだ。
 彼の顔を見て、私は安堵のあまり思わず泣きそうになる。
 
 久高くんに支えられるようにして、なんとか歩き出した、その時――
 反対側の腕をグッと引かれた。

「あなた、どういうつもりなの?あなたのお父さんは、あなたのことなんてすっかり忘れてるわよ。あなたはもういらない子供なの。分かったら二度と顔を見せないで、この土地から出て行ってちょうだい。不愉快だわ」
 
 耳元に口を寄せ、私にだけ聞こえる声で忌々しげに吐き捨てた貴子さんはそのまま私たちとは逆方向に去っていった。

 残された私は、その場で茫然と立ち竦む。
 
 存在すら忘れられた、いらない娘……分かっていたはずなのに、いざ言葉にして突きつけられると、胃が鷲掴みされたように苦しくなった。
 世界にたった一人取り残されたような、そんな絶望感に飲み込まれる。
 
 たちまち不快感がせりあがってきて――私は咄嗟に口元を押さえると、久高くんの腕をすり抜けてその場から走り去った。
< 98 / 163 >

この作品をシェア

pagetop