悲劇のフランス人形は屈しない2
まどかに言われた通り、私は朝から用務員室へ向かい、ペンキ缶を探し出そうと意気込んでいた。しかし、常に鍵がかかっているため、中に入ることが出来ない。慎重派の用務員なのか、自分が持ち場を離れる時には、鍵を閉めることを忘れない。
そうこうしている内に、一週間が経ってしまった。藤堂のペンキ事件が起きるのも、もはや時間の問題だ。
(藤堂はどんな手を使って鍵を手に入れるんだろう)
用務員室の前を陣取りながら、私は考えた。
(用務員さんが鍵をかけ忘れた時を狙って来るか…)
ふっと足元が暗くなり、上から声が降って来た。
「何してんの?」
顔を上げると、天城や蓮見、五十嵐がこちらを見ていた。
「用務員室に何か用事なの?」
蓮見が私の後ろのドアに書かれている文字を見ながら言った。
「ええ。そうなの」
私が笑顔を作ると、五十嵐が言った。
「鍵、貸してあげようか?」
「え、持ってるの?」
「うん」
そう言って、ポケットから鍵を取り出した。
「なんで、持ってんだよ!」
蓮見が笑いながら、五十嵐の肩を叩いている。
「時々遊びに来る」
「なんでだよ!」
「保健室の次に好きな場所」
「マジか!今度俺もお邪魔させて」
「嫌だ」
二人の会話を思い切り無視している天城が、訝しげに私の方を見た。
「何するつもり?」
「お気になさらずに」
私はにっこりと笑った。
そして五十嵐にすぐ返すと約束し、鍵を受け取った。
三人が去るまで見届けたあと、鍵穴に鍵を差し込んだ。
ドアを開けると、むっとした空気が私を襲った。
暖房をつけたまま外出しているのだろうか。
「…お邪魔しま~す」
小声で言いながら私はおそるおそる部屋の中へ入った。廊下に人がいないことを確認してから、音が出ないよう、扉をゆっくり締める。四方を棚で囲まれており、色々な道具がそこら中に散乱していた。小さな部屋ではないのに、物が多いせいか、狭く感じてしまう。物があふれているキャビネットを左に曲がると、その奥には、休憩室のような場所が簡易的に作られていた。椅子を並べて作った簡易ベッドには、心地よさそうな毛布がかかっている。確かに、ここならゆっくり眠れそうだ。
「俺、初めてここ入ったわー」
頭の後ろで蓮見が言った。
思わず私は、ひぃ!と声をあげた。
「ちょ…なんで…!」
(わざわざいなくなるまで見届けたのに!)
「意外とリラックス出来るんだよね~」
五十嵐はそう言うが早いか、簡易ベッドの上に寝ころんでいる。
いつもと同じ声量で話す二人に、私は心臓が爆発しそうだった。突然用務員が帰って来るのではないかと、ドアの方を何度も確認する。
「あ、お茶あるじゃん。海斗いる?」
「いる」
蓮見は台の上にあった電気ケトルを発見し、コップを出したと思ったら飲み物の用意まで始めていた。
(もう知らん)
その部屋から出る気が全くない三人を見て、私は無視をしようと頭を振った。
キャビネットを下の段から上の段まで確認する。
(確かまどかによると、ここにあるペンキ缶は6つだったけな)
「何探してんの?」
天城が私に聞いた。持っている紙コップから、甘いミルクティーの香りが漂ってくる。
私は少し考えてから、口を開いた。
(仕方ない。時間がかかるのも嫌だし)
「ペンキ缶を探してるの」
「ペンキ?」
天城の眉間に皺が寄った。理解不能だと顔に書いてある。
「理由は聞かないで」
天城が更に何かを質問しようと口を開きかけたが、私は手で制した。
「ペンキね~」
蓮見が言った。
「そこにあるの、ペンキじゃない?」
寝ころんでいる五十嵐が指さした方を見ると、小さな窓枠の下に何かが山積みになっているのが見えた。上から被さっている白い布を取ると、確かにペンキ缶が6つあった。
「見つけた!」
私は喜びの声を上げた。
しかし、ここからが問題だ。これをどう隠すか。
キャビネットの高さを確認するが、そこまで高くないため、取ろうと思えば簡単に手に入ってしまう。用務員さんが困らない程度に、でも藤堂が見つけにくい場所。
私は辺りを見渡した。そして、寝そべっている五十嵐と目があった。
「その下、借りるわよ」
ペンキ缶を一つずつ運び、簡易ベッドに使われている椅子の奥深くまでペンキ缶を押し込む。膝をついて奥を覗き込まないと、見えない程度には隠せた。
「よし」
(藤堂は、自分が埃まみれになってまでペンキを探さないでしょう!)
埃のついた手をパンパンとはたき、私は満足げに頷いた。
「では、私は帰るわ」
「え、もう終わ…」
蓮見がそう言いかけた時、用務員室の外から何やら声がした。
「隠れろ!」
蓮見が小声で全員に指示し、私も慌ててどこか隠れられそうな場所を探した。
(ど、どこに・・・)
その時、腕をぐいっと掴まれ、狭い場所に押し込まれた。
それと同時に、用務員室のドアが開いた。
「あれ、開いてる…?」
困惑している50代くらいの男性が入って来た。
狭い隙間から外を覗くと、濃い緑色の作業着を来た小太りの男性が、おかしいと呟きながら頭をかいている。
しばらく部屋を見渡した後、後ろを振り向くと、ドアの陰で見えない人物に向かって言った。
「申し訳ないですが、それは出来ないんですよ。そもそも、ここに真徳生は入れてはだめって強く言われているんですから」
「少し借りるだけでいいのよ」
男性の忠告も無視して、堂々と入ってきた人物を見て私は息を呑んだ。
(やっぱり来たか・・・)
「静かに」
後ろから天城の手が伸び出来て、私の口を塞いだ。
「本当にダメなんですって…」
「別にいいじゃない」
藤堂はそういうと、用務員室の中を調べ始めた。
「美術の授業で必要なら、美術の先生に…」
用務員はハラハラしながら、部屋を歩き回る藤堂に向かって言った。
「重くて運べないわ。美術室は下の階よ」
(妹の読み通り…)
私は心の中で呟いた。
「ねえ、見つからないじゃないの。どこにあるの?」
「え。ペンキはそこに…」
用務員は小さな窓のそばを指したが、そこには白い布が床に落ちているだけだった。
「あれ?そこに置いたはずなのに…」
困惑した彼は、部屋の中を隅々まで調べ始めた。
(ヤバい…)
心臓がドクドクと鳴っている。後ろにいる天城も緊張しているようだ。密着している体から早くなった鼓動が伝わって来た。
その時、取り巻きの一人が部屋に入って来て小声で言った。
「そろそろ戻らないと、白石さんも戻って来ますわ」
「そうね。ペンキがないなら意味がないわ。今日は諦めましょう」
藤堂はふうとため息を吐いている。
「まあ、ペンキでなくても他にも方法はあるわ。あの子を苦しめる方法はね」
顔を歪ませて笑う藤堂に、私は拳が震えるのが分かった。
(あのペンキ事件で、どれだけるーちゃんが傷ついたか…)
赤いペンキをぶちまけられた自分の机を見て絶望的になっている白石透に向かって、藤堂は更に追い打ちをかける。
―「貴女は一生、独りぼっちよ」
家族に見放され、婚約者にも避けられていた白石透は、一人になることに恐怖を感じていた。裏で悪口を言われていると知っていても、会えば友達として振る舞う藤堂をどこかまだ、信頼していた。しかし、突然態度が豹変した藤堂を前に、全てが終わったと悟り、とうとう殻に閉じこもるようになってしまう。
全身が震え始め、口を塞いでいる天城の腕を強く掴んだ。
今すぐ飛び出して行きたい衝動に駆られる。
「落ち着け」
肩に回されている天城の腕に力が加わった。
「行きましょ」
藤堂がそう言い、用務員室の扉が閉まった。
扉が閉まる音に気づいたのか、用務員も奥から出て来た。
6つもあったペンキがどこにも見つからないことに首を傾げながら、彼もまたその場から去った。今度は、鍵がちゃんと閉まったか、何度も確かめてから。

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