悲劇のフランス人形は屈しない2

いちご牛乳

ペンキの事件は免れたものの、藤堂の虐めは更に頻度を増すようだった。
ある日のランチ時間。いつものように、食券を買い、一人で食事をしている私を気の毒がった食堂のおばちゃんにイカフライのおまけを貰っていると、後ろから藤堂の声が聞こえた。
「あ~嫌だわ。なんで、あんな子がいるのかしら」
鈴の音のような声が食堂内に響く。
「食事が更に不味くなるわ」
私は彼女を無視して、端の方に空いている場所を見つけ着席した。
(こういう雰囲気だから、るーちゃんは外で食べるようになったのか)
ぼんやりと外を眺める。
(確か、食堂裏にベンチがあったんだっけな)
ふとそんなことを考えながら、食事を終え、お盆を片づけていると、目の前に藤堂とその取り巻きが立ちはだかった。
「何かしら」
私は聞いた。
「白石さん、いちご牛乳はお好き?」
藤堂は太陽のようにまぶしい笑顔を作った。
(いちご…?今日がいちご牛乳の日だからか?)
週に一度、コーヒー牛乳やバナナミルク、いちご牛乳などパックの飲み物が無料で配られる日があるのも、真徳高校の特徴だ。そして今日はいちご牛乳が貰える日だ。
質問の意図は分からないが、私は頷いた。
「ええ。好きですが、それが?」
「そう」
藤堂は満足そうに笑うと、後ろの取り巻きが持っているいちご牛乳のパックを取った。
「では遠慮なくどうぞ」
そう言われたと思うと、突然、頭全体に液体をかけられた。
「…はっ」
口から空気が漏れ、一瞬言葉を失った。今しがた起きたことを、脳が処理するのに時間がかかった。いちご牛乳の甘ったるい匂いが鼻腔を刺激する。
「どう?美味しいかしら?」
藤堂がそう言い、後ろの取り巻きがクスクスと笑った。食堂はしんと静まり返り、何事かと学生たちの視線が私たちに集中していた。その中に教師陣の姿も見えたが、生徒同士のいざこざに関わりたくないのか、見て見ぬふりをしている。
(どこの世界も…)
私はふうとため息を吐いた。それから藤堂の腕を掴むと、彼女が持っているいちご牛乳のパックを奪い取った。残り少なくなった牛乳がパックの中でパシャンと揺れた。
私がにっこりと笑いかけると、藤堂の顔が引き攣った。
「こんな美味しいもの、独り占めなんて勿体ないわ」
そう言いながら、今度は藤堂の前髪から顔にかけて、ゆっくりといちご牛乳を流した。
「きゃー!何するのよ!」
藤堂は叫んだかと思うと、近くにあった水飲み用の紙コップをいくつか私に投げつけた。
「この最低女!」
そう吐き捨てるように言うと、そのまま走って食堂から立ち去った。
「それはこっちのセリフ」
私は嵐のようにその場から逃げて行く藤堂と取り巻きの背中を見送った。
「はあ…。どうするかな」
ため息が止まらない。頭や顔はベタベタするし制服からも鼻を付く甘い匂いが漂ってくる。
「だ、大丈夫かい。お嬢さん…」
振り返ると、今日もオマケをくれた食堂のおばちゃんがタオルを差し出していた。青ざめているところから察するに、一連の騒動を見ていたのだろう。
私は慌てて頭を下げた。
「すみません。食べ物を粗末にした上に、床まで汚してしまって。雑巾を貸して頂ければ綺麗にしますので…」
「いいから!あんたは、まず自分を綺麗にしな!」
半ば押し付けるような形で、おばちゃんは白いタオルを私に渡した。
「ありがとうございます」
私は頭や顔を拭くが、ベタベタした感触は落ちない。
(やはりシャワーを浴びるか…?)
しかし、今日は体育がない為、着替えを持っていない。
(このまま授業を受けるのは嫌だけど、かと言って早退も出来ないしな~)
勝手に早退したことが母親の耳に入ったら、ロクなことにならない。
「それにしても、あんたは強いね」
モップで床を掃除しながら、おばちゃんは言った。
「あんな子に屈しちゃダメよ!」
背中をバシンと叩かれ、私は前のめりに転びそうになった。おばちゃんは小さい身長の割に力が強い。70歳を超えていそうなのに、全く年を感じさせず元気に笑っている。
「そうですね。絶対に屈しません」
私は小さく呟いた。
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