悲劇のフランス人形は屈しない2

風邪2

どこからか笑い声が聞こえて、私はガバッと体を起こした。
辺りを見渡し、一瞬息が止まった。最初に目に入ったのは、ゲーム用であろう大きなパソコンや座り心地のよさそうな椅子。そして壁一面に貼られた有名なバスケット選手のポスターだった。今いる場所は明らかに、白石透のピンクや白のレースであしらった女子の部屋ではなく、完全にバスケやゲームを愛する男子の部屋だった。
(私、天城のベッドで爆睡してた…?)
ベッドは私が一人占領していたようで、その主人は姿を消している。
(私のアホー!)
私は慌ててベッドから出ると、声がしたリビングへと向かった。
リビングでは、男三人がソファーでくつろぎながら、大きなスクリーンを前に映画を観ていた。最初に私に気がついた五十嵐が顔を向けた。
「あ、おはよ」
その声で他の二人も私の方を見た。
「お、白石ちゃん!」蓮見が笑顔で手招きした。「今、皆で映画観てるんだ。おいでよ」
何か言おうと思っていたが、まだ頭が情報を処理しきれていない。大人しく、空いているところに腰をかけた。
「よく寝てたな」
先ほどより顔色が良くなった天城が言った。
「俺より」
「すみませんでした…」
何も言えないと、私は頭を垂れた。
(なんで寝ちゃったんだろう、私!)
どこでも寝てしまう自分の体質をここで盛大に呪う。
映画も終盤に差し掛かっているのか、五十嵐が次に観るDVDを用意し始めた。
「ここで映画鑑賞会?」
目の前のポップコーンをつまみながら、私は聞いた。
「そう。海斗が風邪を引いた時の決まり」
蓮見が陽気に言った。
「こいつ、焦るほどの高熱出すんだけど、そのあとはすぐ下がるから。その時間、いつも映画観て過ごしてんだ」
「次、これね」
五十嵐が取り出したDVDは、明らかに子供用向けの怪獣の映画だった。私の視線に気がついた五十嵐が言った。
「こういう映画の方が、頭使わずに楽しめるでしょ」
「そうね」
私は思わず感心してしまった。
(天城は友達に恵まれたのか)
相変わらず親の気配のない家を見渡しながら、そう思う。
「起きてて大丈夫なの?」
私は隣で毛布にくるまっている天城に聞いた。リビングで行き倒れ、苦しそうに喘いでいたのはついさっきだ。それなのに今はもう、座って映画鑑賞までしている。
「もう治った」
そっけない返事が返ってきた。
しかしそれを聞いた蓮見が首を振った。
「さっき測ったら37.9だった」
「まだ高いわね」
(母親のお許しが出る体温ではなさそうか…)
リビングにある時計を見ると、ちょうど夜の7時回ったところだ。蓮見情報である、熱は上がったあとはすぐに下がるというその言葉を信じ、もう少し居座ることにした。
しばらく三人と共に怪獣の映画を観ていたが、何もせずにここにいるのがいたたまれなくなって来た。テーブルの上を見ると、風邪薬や栄養ドリンクが置いてある。きっと蓮見か五十嵐が買って来たのだろう。自分だけ何もせず、ただ病人の寝床を奪い、リビングでくつろいでいるだけことに気がついた。
私はいつもより一層不機嫌そうに見える天城に声を掛けた。
「お腹、空いてない?」
「空いてる」
すぐさま答えたところを見ると、昨日からちゃんとしたものを食べていないのだろう。
「お粥作るわ」
私が立ちあがると、蓮見が言った。
「手伝うから、俺たちにも何か作って!」
断ろうとしたが、そのタイミングで私のお腹も鳴った。
「簡単なものしか作らないわよ」
私はそう言うと、勝手に人の家の冷蔵庫を開けた。蓮見たちが買って来たのか、意外と材料が揃っていた。レトルトのご飯パックを見ながら私は考えた。
(お粥と、元気組には適当にチャーハンでいいか)
手伝うと言いながらも、映画に夢中になっている蓮見を傍目に私は料理を作り始めた。男三人で映画に突っ込みを入れながら楽しそうにしている。しかし、チャーハンを炒めるころになると匂いが充満したせいか、こちらの様子を伺うようになった。
「めっちゃ、美味しそう!」
蓮見は味見がしたいと飛んできた。
どこから取り出したのかスプーンを片手に、炒めているそばからつまんで来る。
「あ、こら。まだなのに…」
私の話を聞いているのかいないのか、「美味い!」と蓮見が叫んだ。
「俺、食器出す!」
もはや怪獣のことなど頭にない腹ペコ少年は、誰よりもテキパキと動いた。盛り付けが終わり、不要の食器を洗っていると隣に来た蓮見が小声で言った。
「ごめんね。驚いたでしょ?」
私は聞かれている意味が分からず、蓮見を見た。
「海斗の熱が最高潮の時に白石ちゃんと遭遇したみたいで」
(ああ…)
再度洗っている食器に目を向けて、私は言った。
「こちらこそ、電話口で見苦しいところ見せてしまったわね」
「うん。白石ちゃんに呼び捨てにされるとは思わなかった!」
無邪気に笑いながら蓮見が言った。
(う、嘘、素が出てた…?)
思わず手が止まった。
あまりに気が動転していたので、記憶にない。
「そ、それは…謝るわ」
「え、なんで?それだけ海斗のこと、心配したってことでしょ?」
(それはまあ、目の前に人が倒れていたら誰でも気が動転する…)
しかし、蓮見の意図はそういうことではなさそうだ。どこか期待した目で私を見つめた。
「ねえ。今の白石ちゃんは海斗のこと、どう思ってるの?」
蓮見の言い方に引っかかる。
(今の、ということは以前の白石透とは違うということを認識しているのか)
普段はおちゃらけているようで、実は人を鋭く観察している。
(伊達に学年トップを取り続けてはいないわね)
私は少し間を置いてから言った。
「嫌いではないわ」
これは本心からだった。性格が読めないので、未だに苦手なタイプではあるが、前よりも嫌いではななくなったどころか、前向きな感情を抱き始めている。
「嫌いじゃない。ってことは、好き?」
蓮見は食い気味に私に近づいた。
「好き、ではないわね。普通よ」
(まだ人間的に尊敬できるかどうかは未知数だから)
私の答えに納得していないのか、蓮見が聞いた。
「じゃあ、俺は?」
「普通ね」
「旭は?」
「普通よ」
「榊は?」
「…普通よ」
「あ、今間があった!」
蓮見が声をあげた。
(何がしたいんだ、コイツは)
「じゃあ、まどかちゃんは?」
「大好き」
「なにそれ、ずるい!」
「あ、美味い」
私と蓮見が変な掛け合いをしている内に、いつの間にか席に付いていた五十嵐がチャーハンを食べていた。
「これ凄く美味しい」
「あ!旭、先に食べるなよ!」
蓮見も自分が馬鹿なことにしていることに気がついたのか、すぐさま五十嵐の隣に座った。
「マジ美味い!」
一口食べてはこちらが恥ずかしくなるほどに絶賛しながら適当に作ったチャーハンを褒めてくれている。
(鋭いのか、アホなのか分からん!)
天城はどこかとリビングに目を向けると、ソファーで眠っている姿が視界に入った。
「後でいいか」
私はそう呟くと、五十嵐の前の席に着いた。五十嵐が私の視線の先を追い、それから私の方を向いた。
「ねえ。なんで透は海斗のベッドで寝てたの?」
思わず口からご飯が飛びそうになった。
「あ、ああ…。それね」
咳ばらいをし、何事もないように表情を繕った。
(なんで動揺したんだ、私)
「腕を掴まれたのよ。誰かと勘違いされて」
「誰かと勘違い?」
五十嵐が首を傾げた。
「ええ、天城さんには気になっている人がいるんでしょ。その人と間違えたみたいで、腕を掴まれたの。それで私は、そのまま寝てしまって」
(まさか爆睡するとは自分でも思わなかったけど…)
蓮見と五十嵐が顔を見合わせるのが分かった。
「結局ベッドを占領しちゃって、申し訳ないことをしたわ」
私は病人の寝床を奪った厄介な奴として何か言われるかと覚悟したが、二人は呆れたように首を振っただけだった。
「何かしら?」
「いや、なんでも」五十嵐が言った。「ただ、ツワモノだなと思って」
「え?」
「あ。それで思い出したんだけど」
既にチャーハンを食べ終わった蓮見が、私の方へ身を乗り出し、小声で言った。
「白石ちゃんが海斗を部屋まで運んで行ったこと、アイツの前で話題にしないようにね」
「え!」
私の代わりに五十嵐が反応した。
「海斗を運んだの?どこから?」
「ここから向こうまで」
蓮見が手でリビングを指し、天城の部屋までの道のりを示した。
「本気?」
五十嵐が前髪の奥から私を見た。
「ええ。でも、それがなぜ…」
私がそう言いかけた時、リビングに笑い声が響いた。
(五十嵐が爆笑してるの初めて見たわ…)
テーブルに突っ伏して、笑い苦しんでいる五十嵐を見ながら私は思った。
「透が?海斗を?どんだけ怪力なの!」
「あのまま放置は出来ないでしょ」
笑い過ぎて呼吸困難になっている五十嵐の背中を叩きながら、蓮見が言った。
「ちょっと気まずいと思うんだ、海斗にとって」
「女子に抱えられたことが恥ずかしいの…?」
私は理解が出来なくて首を傾げた。
生前、怪力の私に喜んでのしかかってきた男子たちを思い浮かべる。彼らには羞恥心など全くなく、面白がっているようにしか見えなかったが。
「ただでさえ、弱っているところを見られたのに、運んでもらったなんて更にカッコ悪いじゃん?」
「そうだね。僕も、女の子に背負われたくないかも」
涙声になりながら五十嵐が横から言った。
「次から気をつけるわ」
理解に苦しむが、この世界の男子はそうなのだろう。
「俺たちの到着が遅かったっていうのも悪いけどね」
どこかバツが悪そうに蓮見は言った。
「白石ちゃんがいてくれて助かったよ」
時計が夜の8時を回り、私は帰宅することにした。深い眠りについていた天城は、五十嵐よりは力のある蓮見に抱えられ、ベッドに寝かせられた。蓮見にお願いし、熱を測ってもらうと今度こそ37.4まで下がっていた。私はそれを証拠にするため写真に撮り、心置きなく帰宅した。しかし、この時私は何も気がついていなかった。天城の家から出て来た私を、憎悪を燃やした瞳が睨んでいたことを。
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