悲劇のフランス人形は屈しない2
「あー疲れた」
自室に戻るとすぐさまソファーに倒れ込んだ。頭の中をぐるぐると思考が回っている。
あんなに苦手だった天城の可哀想な一面を見てしまってから、心の中が少しもやもやとする。白石透を軽蔑する嫌いな奴だったが、実は病気の時に頼る家族もいない、ただの気の毒な子供だと判明した。今まで取って来た冷たい態度が、後悔される。
(次からはもっと優しくしよ…)
一人で反省会を開き、ごろりと寝がえりと打とうとした瞬間、大きな音をさせてソファーから落ちた。
「痛っ」
(天罰ですか?)
テーブルとソファーの間で上向きになり、私は天井を見つめた。
その時、目の端にチカチカ光るものが見えた。ソファーの下に、ガムテープで乱暴に止められている小さな黒い機械が赤く点滅している。
私は腕を伸ばし、それを取り外した。
「何これ」
手のひらサイズの黒い機械には、細いアンテナと小さなボタンが付いていた。裏返して見ると、そこには小さな紙が貼りつけられていた。そこにはこの機械の使い方が丁寧に書かれている。
「これ、まどかの字…?」
説明書にあるように、機械の頭上についている赤いボタンを押し「もしもし」と言ってみる。何の反応もない。
(これって、トランシーバーだよね?)
機械を裏返したりしながら、じっくりと見てみる。ドラマや映画で刑事が使っているトランシーバーにそっくりだ。
「実物初めて見たわ」
その時、ジジッと音がしたかと思うと、手元のトランシーバーから「お姉さま?」と遠慮がちな声が聞こえた。
「まどか?」
『お姉さま!やっと気づいてくれたのね!』
機械音が混ざっているが、明るいまどかの声が聞こえてほっとした。
「まどか!元気そうで良かった」
『私はずっと待ってたのよ!』
「待ってたって。まどかがこれを?」
驚きを隠せず私が聞くと、まどかが答えた。
『当たり前じゃない。他に誰がいるの?』
「いや、だって。母親の監視下でよく私の部屋に…」
そこまで言ってハッとした。
「もしかして、修学旅行中に私の部屋に何度も入り込んでたのって、このため…?」
『そうよ。だってお母さま、今回長く居るって聞いたから。こうでもしないとお姉さまと話が出来ないもの』
機械越しにまどかがやれやれと首を振る様子が目に浮かぶ。
「…だから原田さんの前でも癇癪を起こしてる演技を?」
『ええ、そうよ』
(なんて恐ろしい妹…!)
何の得もなしに、まどかが反抗するなど、らしくはないと思ったが、ここまでとは。妹はどこまでも計算して行動していると思うと、味方で良かったと心の底から思った。
『お姉さまとこうしてまた会話できるようになったのは良かったけど、監視が強くなってしまったのは反省点ね。小学生が突然反抗するくらい何でもないことだと思ったのだけど』
「私もまどかに会いたくて堪らないけど、あまり危険なことはしないでね」
私は胸中ハラハラしていたが、そんな私の気持ちもよそに、どこか誇らしげに妹は言った。
『大丈夫よ。このトランシーバーも足がつかないように、現金で買ったから。誕生日プレゼントが思った以上に良い値で売れたのは、嬉しかったわ』
「小学生が、足がつかないようにとか言わないで…」
『それで、修学旅行はどうだった?』
まどかが食い気味で本題に入った。修学旅行中、妹から何度か問題はないか連絡が来ていたが、全ての出来事はまだ共有出来ていなかった。
「どこまで話したっけ?」
『藤堂に置いてけぼりにされて、一人観光していたら、気の合うご友人と会ったという話までよ』
「あー…」
そのあとも色々とあったが、絶対に伝えたいことがあった。
「一つ話しておきたいことが」
私がそこまで言いかけると、すぐさま妹は反応した。
『西園寺響子ね』
「そう。たまたま聞いてしまったんだけど、近いうちに西園寺の両親が帰国するらしいの。そのタイミングで白石家と天城家の婚約が破棄になったことを公に発表するって」
妹が黙っているので、私は先を続けた。
「そのことを公にしてから、西園寺と天城の婚約を発表するのだとか」
『西園寺家との?ということは…』
私は妹の意図を汲み取って頷いた。
「発表の場はきっと、今年のクリスマスパーティーね」
漫画の内容を思い出していた。
原作では高校3年生の冬だったクリスマスパーティー。そこで白石透は、元婚約者が自分を陰で虐めてきた西園寺と婚約を発表するのを目撃する。そこで自分を突き落とした本人と、今まで心を寄せていた人が並ぶ姿を見て、耐えられなくなり自らの命を絶つ。
(…つまり、クリスマスパーティーの前に私は突き落とされる)
二人の間にしばらくの間、沈黙が流れた。きっと妹も同じことを考えているのだろう。
もう時間がないのでは、と。
(とうとうストーリーが動き出した。思っていたより早かったけど)
『お姉さま』
まどかが冷静な声で言った。
「なに?」
『約束、忘れてないわよね?』
約束。
妹が初めて私の前で大泣きしたあの日。まどかの子供の姿を見た日に約束したことだ。
『約束したわよね。絶対に大怪我はしないって』
私は妹をなだめるように言った。
「もちろん、覚えてるよ」
それから拳を強く握った。
「その約束は絶対守る」
『破ったら承知しないわよ』
強めの口調で言う妹に思わず笑みが漏れる。
「大丈夫。私には心強い味方がいるから」
『文化祭で事故は起きないわよね?』
心配なのか、妹は聞いた。
『原作ではどうなの?』
「いや~…」
私は頭を抱えた。
正直、最近さらに漫画の内容を細かく思い出せなくなって来た。日々を過ごしているうちにだんだんと、記憶を薄くされている気がする。
「文化祭に参加したと思うけど、藤堂と同じクラスでしょ?だから一日中どこかに隠れていた気がするんだよね」
トランシーバーの向こうで妹がため息を吐くのが分かった。
(ほんと頼りなくてすみません…)
『つまり、大きな事件は起きないのよね?』
「私が記憶している限りでは、起きないと思う」
『私は文化祭へ行けないのよ』
まどかが言った。まるで、側で私を守れないとでも言うように。
(妹に守られる姉って…)
私はトランシーバーを握り締めた。
『今回は仮病を使って必ず連絡が取れる状態にしておく。だから…』
妹の声が少し落ち込んだ。
『くれぐれも階段には気をつけてね』
「そうだね」
私は強く頷いた。

ここまで心配してくれる妹の為にも無事でいなければ。
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