悲劇のフランス人形は屈しない2

ごめんね

「天城さま?」
振り返ると西園寺が教室の入り口に立っていた。きちんと着た制服姿が少し乱れた姿を見ると、表情には出していないが急いで来たようだ。
「何」
天城が無表情のまま聞いた。西園寺に気を取られた隙に私は天城の腕から逃れた。
「奇遇ですわね。こんなところで会うなんて」
口元に手を当てながら、西園寺は笑顔を作った。しかし、目は全く笑っていない。
「取り込み中なんだけど」
冷たい声で言う天城に、西園寺の瞳が一瞬だが悲しそうな色を浮かべた。
「私、白石さんとお話がしたくて、学校中を探し回っていましたのよ」
「話?」
私の代わりに天城が反応した。
「ええ。急ぎの用ですの。女の子同士でないと出来ない話」
上品にほほ笑む西園寺の瞳が私を捉えた。
「内容を聞くなんて野暮ですわよ?」
眉根を寄せた天城が私を見た。私は笑顔を作った。
「天城さんは、文化祭にお戻りになって」
私がそう言うと、天城はどこか不満そうに教室を出て行った。
西園寺は天城が完全に去るのを見届けてから、教室内へ入って来た。
「二人きりで何をしていたの?だいぶ親密そうに見えたわ」
ゆっくりと足を進める西園寺。私は思わず後ずさった。
「は、話をしていただけよ」
私と二人きりになった途端に、上品な笑顔は消え去り、怒りを露わにしているところを見て、察した。ずっと私たちの動きを監視カメラで見ていたに違いない、と。そしてこれ以上私たちたちの間に何かが起きないように駆け付けて来た。
「貴女、天城さまとは何もないって言っていたわよね」
10センチも高い西園寺が、私の目の前に立った。
「え、ええ。何もないわ」
「この嘘つき!天城さまは渡さないと言ったでしょう!」
いきなり叫んだかと思うと、西園寺の細い腕が伸びてきた。
「…くっ」
両手で掴まれた私の喉から小さな音が漏れた。体のバランスを崩し、私は勢いよく机に背中を叩き付けられた。
「さ…い…お…」
喉が圧迫され、その苦しさで涙がにじむ。掴まれた手を自分から引き離そうともがくが、西園寺の長い腕はびくともしなかった。憎悪に歪んだ西園寺の顔を見て、彼女が本気で私を殺すつもりだと察した。
(でも…)
空気が回らず、しびれ始めている片足を必死の思いで持ち上げ、西園寺との体の隙間にねじ込むと、彼女のみぞおち目がけて膝をぶつけた。
(妹との約束を破る訳にはいかないのよ!)
西園寺が一瞬ひるんだ。その隙に、私は足元をふらつかせながら教室を出た。
「くっそ…」
喉を抑えながら私はせき込んだ。
(あんなシーン、漫画になかったぞ…)
あれでは、本当に殺される。そう考えただけで全身が震えた。
「逃げられないわよ」
後ろから西園寺が優雅に歩いてくる音がする。走りたいのに、足が言うことを聞いてくれない。まるで、夢の中を走っているかのように、重く震えた足が早く動いてくれない。
下の階から賑やかな音楽や笑い声が聞こえる。ここから助けを求めたところで、誰もこの状況に気がつかないだろう。
私は震える手でポケットからスマホを取り出し、妹に電話を掛けた。ワンコールで出た妹の声は私と同じく震えていた。
『お、お姉さま!?ずっと連絡してたのよ!さっき、西園寺がお姉さまを…』
(やっぱり妹は見ていた…)
まどかの働きに心の底から感謝した。
『だ、大丈夫なのよね?』
今にも泣きそうな妹に私は言った。
「もちろん。逃げきるわ」
やっとのことで私は階段にたどり着き、手すりに手をかけた。下の階に行って助けを呼べば、きっと誰かが匿ってくれるはず。ダメでも隠れる場所は必ずあるはずだ。
しかし、長い階段を見下ろした瞬間に私は悟ってしまった。
―ここで逃げてはいけないんだ。
(ああ、そうか。そういうことか)
私は階段に下ろしていた足を元に戻した。
「まどか、ごめん」
それだけ言うと、スマホをそのまま制服のポケットに入れた。妹が叫ぶ声がしたが、私は無視して背後に迫って来た西園寺に向き直った。
どこか余裕の表情をした西園寺は口角を上げて笑った。しかし、冷たい瞳はそのままだ。
「あら、追いかけっこは終わり?」
私は手すりをぐっと握り締めた。
このストーリーは白石透が突き落とされて初めて話が終わる。
つまり、突き落とされなければ、ずっと西園寺からの陰湿な虐めは続いて行く。ここで終わらせなければ、これからもずっと。突き落とされるまで、ずっと。
(本当、嫌な原作ね)
嘲笑するように私は笑みをこぼした。
(…でも)
私は足に力を込めた。
(怪我は避けられなくとも、他に出来ることはあるはず)
私は辺りを見渡した。思った通り、階段にもちゃんと監視カメラがあった。しかし、別の方向を向いている。
(あれに映れば誰かが…)
「あら、カメラのこともご存じなの?」
私の視線の先を追った西園寺が言った。全身が粟立つのが分かった。
「意外と利口なのね」
私にまであと二歩のところで、西園寺は立ち止まった。
「学校の監視カメラさえも、西園寺さん、貴女の手中なのね」
声が震えないように、ゆっくりと言葉を紡いだ。しかし怯えてすくんでいる姿が面白いのか西園寺は、クスクスと笑った。
「もちろん、そうよ。でないと、貴女の行動を漏らさずチェックできないじゃない。でも今は止めてあるわ。映ったら困るものもあるでしょう。とは言っても、ここは死角だけど」
どこか嬉しそうに西園寺は言った。
(やはり計画的だったか…)
打つ手がないと分かり、恐怖で膝が震え出した。足にぐっと力を入れ、震えを止めようとするが無駄だった。恐怖心を悟られないよう、私は顎を上げた。
「と、藤堂さんも貴女の仕業でしょ。彼女の秘密を掴んで私に嫌悪感を持つように仕向けた」
そう言うと、西園寺は驚いたように目を見開いた。
「あら、ご存じだったの。でもあの子は元々貴女を痛めつけたいと思っていたのよ。私はただ彼女に知恵を貸しただけ。それで貴女が転校や退学でもすれば一石二鳥だと考えていたの」
そして手を頬に添え、残念そうに首を振った。
「途中まではとても面白かったけど、奇妙な転校生が来てからは藤堂も使えなくなったわ。彼が藤堂家より身分が高いからって怖気づいてしまったのね」
(やはり、イジメが止まったのは榊のおかげだったか…)
「せっかく誰かに任せようと思ったのに、結局私が手を下すことになってしまうなんて。貴女のせいよ?こっちは穏便に済ませたかったのに・・・」
ため息を吐く西園寺を無視し、私は言った。
(あと一つ、はっきりさせたいことがある)
「伊坂さんの件も、貴女でしょう」
伊坂の名前を聞いてもピンと来ないようだった。その表情に更に苛立ちが募った。西園寺にとっては、名も知らないただの学生の一人にすぎないと突き付けられた。
(私にとっては唯一の友達だったのに…!)
怒りを抑えながら私は加えた。
「中途半端な時期にいきなり転校なんて、どう考えてもおかしいわよね?」
いきなり転校という言葉で思い出したのか、西園寺は手を叩いた。
「ああ!あの庶民ね。そうそう。貴女の周りにいて目障りだったから」
西園寺が何でもないとでも言うように肩をすくめた。
「貴女が楽しそうに学校生活を送っているのが許せなかったの。ごめんなさいね」
(やっぱり私のせいで…)
「父親が働いている会社ごと潰してやろうと思ったのよ。その方がダメージは大きいじゃない?貴女のせいだって知ったら、彼女もきっと心の底から貴女を憎むでしょうし。でも潰すまでもなかったわね。借金が巨額すぎて、一家で呆然としていたもの」
もはや体中が震えていた。怒りなのか恐怖のせいか、自分でも分からない。ただ頭の中が沸騰していて、物事がまともに考えられない。
「どこまで…」
私の言葉が聞こえていない西園寺は頬に手を当てた。
「唯一の友達にも見放された貴女が、どういう風に壊れていくのか見られると思って楽しみにしていたのに。その後、庶民一家の消息がつかなくなってしまったのは、惜しかったわね。アメリカにでも逃亡したのかしら」
(…え?)
西園寺の最後の言葉に気を取られ、彼女が間合いを詰めたのに気がつかなかった。
「もうお喋りはここまででいいわよね?」
私は思わず後ずさった。段差から滑り落ちそうになるが、しっかりと握った手すりのおかげでまだバランスは取れている。
「目障りなのよ」
私の目線に合わせて顔を寄せた西園寺は囁くように言った。
「貴女さえいなくなれば、天城さまも目を覚ますわね」
「どうしてそこまで天城に…」
西園寺との会話を長引かせようとした作戦は失敗した。
「気安く名前を呼ばないで頂戴!」
いきなり叫んだと思ったら、バチンという大きな音と共に左の頬に鋭い痛みが走った。口の中に鉄の味が広がる。幸い手はまだ手すりに掴んだままで、足を滑らせずに済んだ。全身から汗が吹き出し、心臓は勢いを増してドクドクと鳴っている。
「あの人は、唯一私を認めてくれた尊ぶべきお方なのよ」
西園寺の瞳の奥に悲しみの色が浮かんだ。本当に一瞬しか見えなかったが、その表情はただ純粋に好きな人の近くにいたい乙女の顔をしていた。しかし、顔を上げた時にはその面影などすっかり消えていた。
「彼の為にも貴女には消えて欲しいの」
「…それで、貴女は幸せなれるの?こんな方法で?」
「ええ。とても」
西園寺は上品にほほ笑むと、私の手首を掴み、驚くほど強い力で手すりから引きはがした。かろうじて保っていた私のバランスがいとも簡単に崩れた。すでに出ていた片方の足が滑り落ちた拍子に、背中が弓なりに曲がった。
「さようなら。可愛いお人形さん」
西園寺は最後にそう言うと、私の手首をぱっと離した。
後ろ向きに体が落ちて行くのが分かった。
西園寺の勝ち誇ったような笑みが見えた。
(ごめん、まどか)
私は瞳を閉じた。
(ごめんね。るーちゃん。貴女を守りたかった)
そして辺りが真っ暗になった。


第二部終わり
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