身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした
すると、そのため息にアメリアが反応をする。
「あの……バルツァー侯爵様……?」
その声に「ああ、そうだな……それも言わなければいけなかった」と彼は彼女に話しかける。
「呼び名を改めろ。いつまでも、バルツァー侯爵と呼ばれても困る」
「あ……」
「まあ、今変えずとも、結婚をすれば嫌でも変えることにはなるんだが」
「なんとお呼びすれば?」
「普通に名前で呼べばいい」
そのアウグストの言葉に、庭園に立つアメリアは薄暗闇の中、困ったようにもじもじする。そんなに名を呼ぶのに苦労をするのか、とアウグストが思っていると、彼女はなんとかか細い声を発した。
「あのっ……お、お名前、を、存じ上げておりません……」
「!」
それは、予想外のことだった。アウグストはあまりのことに驚き、それから小さく「ははっ」と笑った。呆れを通り越して、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。だってそうではないか。自分も、ヒルシュ子爵家の令嬢の名を知らぬまま婚姻を申し込んだ。それと同じで、彼女もまた自分の名を知らずにここにいるのだと思えば、ほとほと馬鹿馬鹿しいと思えた。
「アウグストだ。ミドルネームはない」
「アウグスト様」
「アウグストでいい。お披露目会では、うまくわたしを呼べるな?」
「えっ……」
「呼んでみろ」
アメリアは「出来ません」と消えそうな声で答える。だが、アウグストは引き下がらない。
「アウグスト、だ」
「アウグスト様……」
「もう一度。呼び捨てで」
「……アウグスト」
恥ずかしそうに名を呼ぶアメリアを見て、アウグストは「可愛いところもあるじゃないか」と思う。
「それでいい」
彼はそう言ってその場を離れた。それは、いつも通りだった。彼は彼女とそう会話をする気もなく、何も言わずにそこから離れて私室へ行く。常に彼の頭の中は仕事のことでいっぱいだったし、ここで彼女の様子を少し見られればそれで「今日もいつも通りだな」と彼は納得するからだ。
だが。
「おやすみなさいませ」
背後からかけられた声。ああ、そうか、と彼は足を止めた。
この声は、今日が初めてではない。昨日も、一昨日も、確かに聞こえていた声だ。だが、アウグストはそれを無視していた。聞こえていても聞こえていないように。彼は「ああ」とだけ言って、自分からは「おやすみ」を返さなかった。
「あの……バルツァー侯爵様……?」
その声に「ああ、そうだな……それも言わなければいけなかった」と彼は彼女に話しかける。
「呼び名を改めろ。いつまでも、バルツァー侯爵と呼ばれても困る」
「あ……」
「まあ、今変えずとも、結婚をすれば嫌でも変えることにはなるんだが」
「なんとお呼びすれば?」
「普通に名前で呼べばいい」
そのアウグストの言葉に、庭園に立つアメリアは薄暗闇の中、困ったようにもじもじする。そんなに名を呼ぶのに苦労をするのか、とアウグストが思っていると、彼女はなんとかか細い声を発した。
「あのっ……お、お名前、を、存じ上げておりません……」
「!」
それは、予想外のことだった。アウグストはあまりのことに驚き、それから小さく「ははっ」と笑った。呆れを通り越して、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。だってそうではないか。自分も、ヒルシュ子爵家の令嬢の名を知らぬまま婚姻を申し込んだ。それと同じで、彼女もまた自分の名を知らずにここにいるのだと思えば、ほとほと馬鹿馬鹿しいと思えた。
「アウグストだ。ミドルネームはない」
「アウグスト様」
「アウグストでいい。お披露目会では、うまくわたしを呼べるな?」
「えっ……」
「呼んでみろ」
アメリアは「出来ません」と消えそうな声で答える。だが、アウグストは引き下がらない。
「アウグスト、だ」
「アウグスト様……」
「もう一度。呼び捨てで」
「……アウグスト」
恥ずかしそうに名を呼ぶアメリアを見て、アウグストは「可愛いところもあるじゃないか」と思う。
「それでいい」
彼はそう言ってその場を離れた。それは、いつも通りだった。彼は彼女とそう会話をする気もなく、何も言わずにそこから離れて私室へ行く。常に彼の頭の中は仕事のことでいっぱいだったし、ここで彼女の様子を少し見られればそれで「今日もいつも通りだな」と彼は納得するからだ。
だが。
「おやすみなさいませ」
背後からかけられた声。ああ、そうか、と彼は足を止めた。
この声は、今日が初めてではない。昨日も、一昨日も、確かに聞こえていた声だ。だが、アウグストはそれを無視していた。聞こえていても聞こえていないように。彼は「ああ」とだけ言って、自分からは「おやすみ」を返さなかった。