身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした
――思った以上に美しいな――
そう言ってくれた彼の声音には、威圧的なものが一切なかった。彼に褒められたことが嬉しかった。これまでの自分が報われたのだとも思った。
それから。彼は、自分が買ったレースのショールを見下したりしなかった。
――人と言うものは、何かを欲して、選んで、物を手に入れるものだ。わたしが知る限り、君がここでそう欲して手にしたものはこれが初めてだろう――
――ならば、それは尊重する。身の丈がどうこうという話ではない。君がこれを選んだのだから、そんなものは関係がない――
ああ、とっくに。とっくに自分は恋に落ちていた。今更気付いてもどうなるものではない。ただ、会いたいと思う。アメリアはしおれた花がそのままになっている庭園で、心を決めた。
(手紙を書こう。今は、まだお会い出来ないのかもしれないけれど……)
ここから手紙を出すことも禁じられていた。だが、アメリアには考えがあった。明後日、カミラの結婚式が行われることを彼女は知っている。そして、そこに自分は参列出来ないことも。彼女が参列をしたら、結婚を知っている者は「バルツァー侯爵はどうした」という話になって彼に迷惑をかけてしまうだろう。そして、それ以前にアメリア自身を「あれは一体誰だ?」という者も多く現れるに違いない。
それでも、大きな結婚式に花嫁の妹が参列出来ないことは相当おかしいことだ。だが、アメリアがいないことは何の不都合もヒルシュ子爵家にはない。彼女は再び「いるけれど、いない」存在になったのだ。
(きっと、その日は離れの監視も緩むはずだわ)
アウグストが行ったお披露目会は、王城近くの貴族はそう多く呼ばれていなかった。一方のギンスター伯爵は王城近くに住んでおり、王城近辺の貴族を多く結婚式に呼んでいると聞いた。だから、会は大きく格式も必要なため金がいる、とヒルシュ子爵が言っていた。
その、カミラの結婚式の間ならば。式はギンスター伯爵の別荘で行われるらしく、そこはヒルシュ子爵家の領地にだいぶ近かった。そこで、ヒルシュ子爵家の使用人も手伝いに行くほどの大きな結婚式を開催すると言う。要するに、アメリアを見張る者はいないだろうし、門兵の目もかいくぐりやすくなるのではないのかと思う。
(それに、侍女の服を着ていれば、わたしだとバレないかもしれないし……)
そんな風に、自分から何かをしなければと思うなんて、アメリアには初めてのことだった。今まで、彼女には何もなかった。何一つ。何の要望もなく、どう生きたいのかもわからず、ただひたすら日々を過ごしているだけだった。
けれども、バルツァー侯爵家に行ってから、自分は変わったのだ……それに気づき、彼女は胸を熱くした。ああ、自分は欲が深くなったのだろうと思う。けれど、それをきっと、アウグストは許してくれるのではないかと思う。
(そう思ったら、明後日までに手紙を書かなくちゃ……それから、手紙を届けてくれる商業組合がどこにあるかわからないけど……この家を出れば、辻馬車が近くに止まっていると思うし……)
辻馬車さえ見つかれば。彼女は、リーゼから受け取った銀貨が入った袋をバルツァー侯爵家から持ってきていた。それは、リーゼが「何かにお使いになられるかもしれませんから、隠してお持ちください」と言ってくれたので、バルツァー侯爵家に返さずに手元に残したのだ。それさえあれば、辻馬車に頼んで商業組合まで乗せてくれることだろう。
「ああ、わたし……」
薄暗闇の庭園の中、何か一筋の光が見えたような気がする。
(出来るかどうかはわからないけど、でも、何かをやってみようだなんて)
自分は、変わったのだ。どこがどう変わったのかはわからないが、間違いなく何かが変わった。それは本当にわずかなきっかけだったのかもしれない。たった一か月、バルツァー侯爵家にいただけで、こんな風に思えるようになったなんて。
(わたしには、大切な人たちが出来た)
アウグストが。ディルクが。リーゼが。使用人たちが。たとえ、自分がアウグストの妻になる身分だから優しくしてくれていたのだとしても、それでも彼らのおかげで、自分は少しだけ変わることが出来たのだと思う。
この離れでたった一人で生きて来た、長い年月。それを容易に覆してしまったバルツァー侯爵家での生活。勿論、自分に金を使ってもらっているから良い生活であることは間違いない。だが、彼女は「良い生活」だからバルツァー侯爵家に戻りたいとおもっているのではない。そこに、自分を人間として扱ってくれる人々がいるから。たとえ、自分がアウグストの妻だからそうしてくれているのだとしたって、それでも彼女にとっては大切な世界だ。
(ああ、なんだか、胸が熱い……)
自分が変わろうとしている瞬間を、彼女は今感じている。そして、脳裏にはアウグストの姿が浮かんだ。あの、少し癇癪持ちで、少し不器用な男。だけど、商人としての腕は確かなのだから、きっと表面上ではそんなところはみじんも見せないに違いない。
そんな彼が今まで彼女に見せた面は、案外と激情に流されたり、かといって穏やかだったりと印象が一定ではないけれど、それがまた人間らしいと彼女は思う。
「わたし、アウグスト様に会いたいんだわ……」
そう言葉にすると、心が決まる。自分が呟いた言葉が、静かな空間で空気に溶けて行ってしまったけれど、彼女は心の中で何度か半数をした。
アメリアは庭園に背を向け、部屋へ戻ろうと歩き出す。その彼女の後ろで、枯れた花がぽとりと落ちた。
そう言ってくれた彼の声音には、威圧的なものが一切なかった。彼に褒められたことが嬉しかった。これまでの自分が報われたのだとも思った。
それから。彼は、自分が買ったレースのショールを見下したりしなかった。
――人と言うものは、何かを欲して、選んで、物を手に入れるものだ。わたしが知る限り、君がここでそう欲して手にしたものはこれが初めてだろう――
――ならば、それは尊重する。身の丈がどうこうという話ではない。君がこれを選んだのだから、そんなものは関係がない――
ああ、とっくに。とっくに自分は恋に落ちていた。今更気付いてもどうなるものではない。ただ、会いたいと思う。アメリアはしおれた花がそのままになっている庭園で、心を決めた。
(手紙を書こう。今は、まだお会い出来ないのかもしれないけれど……)
ここから手紙を出すことも禁じられていた。だが、アメリアには考えがあった。明後日、カミラの結婚式が行われることを彼女は知っている。そして、そこに自分は参列出来ないことも。彼女が参列をしたら、結婚を知っている者は「バルツァー侯爵はどうした」という話になって彼に迷惑をかけてしまうだろう。そして、それ以前にアメリア自身を「あれは一体誰だ?」という者も多く現れるに違いない。
それでも、大きな結婚式に花嫁の妹が参列出来ないことは相当おかしいことだ。だが、アメリアがいないことは何の不都合もヒルシュ子爵家にはない。彼女は再び「いるけれど、いない」存在になったのだ。
(きっと、その日は離れの監視も緩むはずだわ)
アウグストが行ったお披露目会は、王城近くの貴族はそう多く呼ばれていなかった。一方のギンスター伯爵は王城近くに住んでおり、王城近辺の貴族を多く結婚式に呼んでいると聞いた。だから、会は大きく格式も必要なため金がいる、とヒルシュ子爵が言っていた。
その、カミラの結婚式の間ならば。式はギンスター伯爵の別荘で行われるらしく、そこはヒルシュ子爵家の領地にだいぶ近かった。そこで、ヒルシュ子爵家の使用人も手伝いに行くほどの大きな結婚式を開催すると言う。要するに、アメリアを見張る者はいないだろうし、門兵の目もかいくぐりやすくなるのではないのかと思う。
(それに、侍女の服を着ていれば、わたしだとバレないかもしれないし……)
そんな風に、自分から何かをしなければと思うなんて、アメリアには初めてのことだった。今まで、彼女には何もなかった。何一つ。何の要望もなく、どう生きたいのかもわからず、ただひたすら日々を過ごしているだけだった。
けれども、バルツァー侯爵家に行ってから、自分は変わったのだ……それに気づき、彼女は胸を熱くした。ああ、自分は欲が深くなったのだろうと思う。けれど、それをきっと、アウグストは許してくれるのではないかと思う。
(そう思ったら、明後日までに手紙を書かなくちゃ……それから、手紙を届けてくれる商業組合がどこにあるかわからないけど……この家を出れば、辻馬車が近くに止まっていると思うし……)
辻馬車さえ見つかれば。彼女は、リーゼから受け取った銀貨が入った袋をバルツァー侯爵家から持ってきていた。それは、リーゼが「何かにお使いになられるかもしれませんから、隠してお持ちください」と言ってくれたので、バルツァー侯爵家に返さずに手元に残したのだ。それさえあれば、辻馬車に頼んで商業組合まで乗せてくれることだろう。
「ああ、わたし……」
薄暗闇の庭園の中、何か一筋の光が見えたような気がする。
(出来るかどうかはわからないけど、でも、何かをやってみようだなんて)
自分は、変わったのだ。どこがどう変わったのかはわからないが、間違いなく何かが変わった。それは本当にわずかなきっかけだったのかもしれない。たった一か月、バルツァー侯爵家にいただけで、こんな風に思えるようになったなんて。
(わたしには、大切な人たちが出来た)
アウグストが。ディルクが。リーゼが。使用人たちが。たとえ、自分がアウグストの妻になる身分だから優しくしてくれていたのだとしても、それでも彼らのおかげで、自分は少しだけ変わることが出来たのだと思う。
この離れでたった一人で生きて来た、長い年月。それを容易に覆してしまったバルツァー侯爵家での生活。勿論、自分に金を使ってもらっているから良い生活であることは間違いない。だが、彼女は「良い生活」だからバルツァー侯爵家に戻りたいとおもっているのではない。そこに、自分を人間として扱ってくれる人々がいるから。たとえ、自分がアウグストの妻だからそうしてくれているのだとしたって、それでも彼女にとっては大切な世界だ。
(ああ、なんだか、胸が熱い……)
自分が変わろうとしている瞬間を、彼女は今感じている。そして、脳裏にはアウグストの姿が浮かんだ。あの、少し癇癪持ちで、少し不器用な男。だけど、商人としての腕は確かなのだから、きっと表面上ではそんなところはみじんも見せないに違いない。
そんな彼が今まで彼女に見せた面は、案外と激情に流されたり、かといって穏やかだったりと印象が一定ではないけれど、それがまた人間らしいと彼女は思う。
「わたし、アウグスト様に会いたいんだわ……」
そう言葉にすると、心が決まる。自分が呟いた言葉が、静かな空間で空気に溶けて行ってしまったけれど、彼女は心の中で何度か半数をした。
アメリアは庭園に背を向け、部屋へ戻ろうと歩き出す。その彼女の後ろで、枯れた花がぽとりと落ちた。