身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした
カミラの結婚式当日。アウグストは欠席の知らせを出していたものの、会場に向かった。それは、アメリアがそこにいるかどうかを確認しようと思ってのことだった。
彼はようやく心から「アメリアに会いたい」と強く思う。まるで手のひらを返したかのような、自分の我儘さ、自分勝手さに呆れていたが、リーゼが「アウグスト様。それは、恋という厄介なものですよ」と彼に告げ、ディルクは「それは困ったものですが、時には心に素直になることが一番かと」と彼を諭した。
まったく彼らは余計なことばかりを、と思いつつ、いい歳をして自分はまだまだ子供のようだとアウグストは苦笑いを見せた。ああ、本当に自分は馬鹿だな……彼は馬車の中で、仕事の書類すら見ずにぐるぐると考えていた。
(あれから、毎晩)
渡り廊下を歩いて、庭園で彼女の姿を探している自分に気付いた。いつも「ただそこにいるだけ」だった彼女に、気が付けば「そこにいてくれる」と感じるようになったのはいつだったのか。
控えめな「おかえりなさい」と「おやすみなさい」が当たり前になったのはいつだったのか。
彼女の部屋を見た。主を失った部屋は、驚くほど彼が準備をしたものから何も変わっておらず、そして、何故が「清廉だ」と思った。誰かがそこに存在したことをかすかに残しながら、だが、何も増えず。何も減らず。静かに彼女がそこで暮らしていたということを、如実に表していたあの部屋。
それを見て、彼は「いや、それは自分を騙そうと」とちらりと思った。が、そうではない。そうではないのだ。
(わたしは、自分がこれ以上傷つきたくなかったから……)
ただ、それだけだった。彼は逃げたのだ。その自覚はあった。しかし、その逃げの末、彼女を失ってから見えたものがあった。それは。
「アメリア……」
彼女に会いたい。彼女は彼に対して何をするわけでもなかった。ただ、夜の庭園で会って、おかえりなさいとおやすみなさいを言って。時々一緒に食事をして。ただそれだけだった。
なのに、どうだ。「それだけ」だったのに「それだけ」ではなかったのだ。アウグストの胸にぽっかりと空いた空虚な穴。それを埋めるのは、他の誰でもない。彼女しかいない。
「なかなかの人出だな……」
カミラの結婚式会場に、時間より少し早く到着した。人々は忙しなく動いている。あまりにも大きな会場に、アウグストは辟易をした。贅を凝らしたその別荘は、いささか古臭い。古臭いけれど広く、そこここに大きな花で飾り立てられ、彼の目からみても「行き過ぎだ」と思うほどの人員が走り回っている。
入口の受付もまだ整っていない状態だったが、彼は声をかけた。
「失礼。ヒルシュ子爵はいらっしゃるか」
「あっ、はい、いらっしゃいますが……」
「アウグスト・バルツァーと言う。式に参列出来ないため、ご挨拶だけでも」
やがて、受付の者がヒルシュ子爵を探し出して連れて来てくれるまで、彼は10分ほど待った。その間、彼の目に映っていたのは「本当の貴族ならばここまでの式を行うのだ」と言わんばかりの派手な装飾品やら、大きな花やら、贅を尽くしたものばかりだ。
(ギンスター伯爵側だけがこの金を出したとは思えないな)
彼が知るギンスター伯爵家は、財は相当なものだが、正直なところ少しケチだ。商売をしていれば、相手がどれぐらいの財を保持して、どれぐらい財布の紐を緩めるかぐらいはわかる。むしろ、商売をしていなければ、そこまでは測れないだろう。
(わたしが出した結納金が、すべてここに流れているということか……)
「バルツァー侯爵様!」
聞き覚えがある、耳障りの悪い声。にこにこと作られた笑顔を顔に貼り付けて、ヒルシュ子爵がやって来た。
「ヒルシュ子爵。突然申し訳ない。本日、式には参列出来ないが、祝いのお言葉を」
心にもないことを言いながら、ヒルシュ子爵を見る。彼の瞳からは、祝い金への期待がにじみ出ていたが、それについては口にしない。
「ありがとうございます。そのお気持ち、しかといただきました」
「ところで、わたしの妻は今日は……?」
「そ、それが、残念なことに、アメリアは体調不良でして……バルツァー侯爵家からの長旅で疲れたのでしょう。折角の姉の結婚式ではありますが、欠席をすることになり……もともと、体が弱い子ですので、まさかとは思いましたが、いや、残念です」
もっともらしい言葉。だが、そうではないことをアウグストはわかっている。彼女は目標となる日取りがあれば、それに合わせて体調を整えることが出来ると、お披露目会でわからせてくれた。もし、本当にカミラを祝いたいと彼女が思っていれば、いくら体調が優れなくとも彼女は少しでも無理をして列席をするに違いない。アウグストはそう思った。
「そうですか。それは、よろしくお伝えください」
「ありがとうございます」
「後ほど、祝い金をヒルシュ子爵邸にお届けいたしますので……邸宅にはどなたかお残りでいらっしゃいますね?」
「はっ、はい! 邸宅には、執事代理人が残っておりますので、そちらの者に……!」
「わかりました。それでは、これで」
アウグストはそう言ってその場からあっさりと去った。彼の背後で見送るヒルシュ子爵は、口の両端をにんまりと釣り上げて、祝い金のことで頭がいっぱいの様子だった。
彼はようやく心から「アメリアに会いたい」と強く思う。まるで手のひらを返したかのような、自分の我儘さ、自分勝手さに呆れていたが、リーゼが「アウグスト様。それは、恋という厄介なものですよ」と彼に告げ、ディルクは「それは困ったものですが、時には心に素直になることが一番かと」と彼を諭した。
まったく彼らは余計なことばかりを、と思いつつ、いい歳をして自分はまだまだ子供のようだとアウグストは苦笑いを見せた。ああ、本当に自分は馬鹿だな……彼は馬車の中で、仕事の書類すら見ずにぐるぐると考えていた。
(あれから、毎晩)
渡り廊下を歩いて、庭園で彼女の姿を探している自分に気付いた。いつも「ただそこにいるだけ」だった彼女に、気が付けば「そこにいてくれる」と感じるようになったのはいつだったのか。
控えめな「おかえりなさい」と「おやすみなさい」が当たり前になったのはいつだったのか。
彼女の部屋を見た。主を失った部屋は、驚くほど彼が準備をしたものから何も変わっておらず、そして、何故が「清廉だ」と思った。誰かがそこに存在したことをかすかに残しながら、だが、何も増えず。何も減らず。静かに彼女がそこで暮らしていたということを、如実に表していたあの部屋。
それを見て、彼は「いや、それは自分を騙そうと」とちらりと思った。が、そうではない。そうではないのだ。
(わたしは、自分がこれ以上傷つきたくなかったから……)
ただ、それだけだった。彼は逃げたのだ。その自覚はあった。しかし、その逃げの末、彼女を失ってから見えたものがあった。それは。
「アメリア……」
彼女に会いたい。彼女は彼に対して何をするわけでもなかった。ただ、夜の庭園で会って、おかえりなさいとおやすみなさいを言って。時々一緒に食事をして。ただそれだけだった。
なのに、どうだ。「それだけ」だったのに「それだけ」ではなかったのだ。アウグストの胸にぽっかりと空いた空虚な穴。それを埋めるのは、他の誰でもない。彼女しかいない。
「なかなかの人出だな……」
カミラの結婚式会場に、時間より少し早く到着した。人々は忙しなく動いている。あまりにも大きな会場に、アウグストは辟易をした。贅を凝らしたその別荘は、いささか古臭い。古臭いけれど広く、そこここに大きな花で飾り立てられ、彼の目からみても「行き過ぎだ」と思うほどの人員が走り回っている。
入口の受付もまだ整っていない状態だったが、彼は声をかけた。
「失礼。ヒルシュ子爵はいらっしゃるか」
「あっ、はい、いらっしゃいますが……」
「アウグスト・バルツァーと言う。式に参列出来ないため、ご挨拶だけでも」
やがて、受付の者がヒルシュ子爵を探し出して連れて来てくれるまで、彼は10分ほど待った。その間、彼の目に映っていたのは「本当の貴族ならばここまでの式を行うのだ」と言わんばかりの派手な装飾品やら、大きな花やら、贅を尽くしたものばかりだ。
(ギンスター伯爵側だけがこの金を出したとは思えないな)
彼が知るギンスター伯爵家は、財は相当なものだが、正直なところ少しケチだ。商売をしていれば、相手がどれぐらいの財を保持して、どれぐらい財布の紐を緩めるかぐらいはわかる。むしろ、商売をしていなければ、そこまでは測れないだろう。
(わたしが出した結納金が、すべてここに流れているということか……)
「バルツァー侯爵様!」
聞き覚えがある、耳障りの悪い声。にこにこと作られた笑顔を顔に貼り付けて、ヒルシュ子爵がやって来た。
「ヒルシュ子爵。突然申し訳ない。本日、式には参列出来ないが、祝いのお言葉を」
心にもないことを言いながら、ヒルシュ子爵を見る。彼の瞳からは、祝い金への期待がにじみ出ていたが、それについては口にしない。
「ありがとうございます。そのお気持ち、しかといただきました」
「ところで、わたしの妻は今日は……?」
「そ、それが、残念なことに、アメリアは体調不良でして……バルツァー侯爵家からの長旅で疲れたのでしょう。折角の姉の結婚式ではありますが、欠席をすることになり……もともと、体が弱い子ですので、まさかとは思いましたが、いや、残念です」
もっともらしい言葉。だが、そうではないことをアウグストはわかっている。彼女は目標となる日取りがあれば、それに合わせて体調を整えることが出来ると、お披露目会でわからせてくれた。もし、本当にカミラを祝いたいと彼女が思っていれば、いくら体調が優れなくとも彼女は少しでも無理をして列席をするに違いない。アウグストはそう思った。
「そうですか。それは、よろしくお伝えください」
「ありがとうございます」
「後ほど、祝い金をヒルシュ子爵邸にお届けいたしますので……邸宅にはどなたかお残りでいらっしゃいますね?」
「はっ、はい! 邸宅には、執事代理人が残っておりますので、そちらの者に……!」
「わかりました。それでは、これで」
アウグストはそう言ってその場からあっさりと去った。彼の背後で見送るヒルシュ子爵は、口の両端をにんまりと釣り上げて、祝い金のことで頭がいっぱいの様子だった。