だって、そう決めたのは私
「今更、こんなの見たくなんかないわよね。分かるわ。というか……私、顔も思い出せないんだけど」
「えぇ、本当? 急にこうして出て来られると、一瞬で思い出すわよ。それはもう吐き気がするほど、まるっと全てね」

 暁子は、オエッと酷く嫌そうな顔をした。

 彼女は未婚のシングルマザーである。暁子の場合は出来ちゃった結婚直前に、相手の浮気が発覚。本当に入籍寸前だったらしいから、私とはまた違壮絶なものだったのだろう。その時の子も、もう二十歳。娘、茉莉花(まりか)は、祖父母と私たち職員の愛情を受け、可愛らしくしっかりした大人になった。まだ大学生だから、と暁子は心配そうではあるけれど、あの子はきっと大丈夫だ。だって、暁子にそっくりだもの。

「まるっと全部……」
「そ。離婚の時に見た、人間の嫌な黒い心とかね。綺麗さっぱり忘れてたのに、憎々しい義母の顔とか浮かんだわよ」
「うわぁ」
「こうやって堂々としてるってことは、私はいなかったことになってるのかもね。覚えていたとしても、よく思われてるわけないでしょ。まぁあの土地は、もう二度と踏まないだろうけど……」

 忘れてはいけない。だけれども、思い出すのが苦しいあの日々。色んな景色がぼんやりと頭に浮かび、隠すように下を向いた。涙が浮かんだわけじゃない。ただ感情を飲み込むために。

 暁子の手が、背中をそっと擦る。きっと、その理由を察したのだろう。
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