だって、そう決めたのは私
「カナタ……」

 零した名に釣られて、涙が溢れる。何度も何度も、彼の名を呼んだ。もう触れられない息子。きっと背も大きくなっただろう。どうか元気でいて。どうか……

「大丈夫、ですか」

 涙を流したままで、どれくらいいたろうか。急に声をかけられ、身を強張らせる。サクッサクッと近づく足音。声は、宏海のように優しい。どのくらいの間見られていたのだろう。私は何時間も、同じ場所で海を見て泣いていた。もしかすると、今に死んでしまうとでも思われただろうか。

「すみません。大丈夫です。ありがとうございます」

 何とかそう振り絞った。その人の顔までは見られない。ボロボロに泣いているおばさんの顔。もう化粧だって取れている。全く知らぬ人に、そんな顔を晒すのは少し気が引けた。

「何か、ありましたか」

 危険な香りでもしたのか。その人は躊躇うように、少しずつ近づいて、私の脇で止まる。いえ何も、と否定はした。本当は「大丈夫です」とでも言って、立ち上がれば良かったのだろう。けれどまだ、私は立ち上がれなかった。もう少しだけ、ここにいたかったから。
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