だって、そう決めたのは私
『カナコの今後が心配なのよね。お休みになると、いつも帰って来るの。料理も出来ないし、上げ膳据え膳。それに、昼間はこうしてお昼寝って。誰とも会っていないんあじゃないかしら。このまま私たちがいなくなったら、あの子一人きりになってしまう。それが心配で……』

 一時間ほど前、一階の茶の間から聞こえた悲壮感いっぱいの母の言葉。話しの相手は叔母だった。何やらコソコソと話をているようではあるが、年を老いた二人の声はそこそこ大きい。母の言葉がどう続くのか想像出来る。私は、手に掛けていたドアノブを静かに引くしかなかった。舞い戻る部屋は、昭和の匂いしかしない。端が剥がれかけた懐かしいシール。何だか分からない油性ペンの落書き。一人っ子だからと甘やかされた、過去の私がそこにいた。母が、兄弟を産めなかったことを悔いているのは知っている。そういう心のつかえもあるのかもしれないが――扉の隙間から漏れ聞こえる内緒話の大きな声に耳を塞いだ。

 黒い感情が湧き、苛立ちを覚えた。適当な服を着て、わざと大きな音を立て、階段を駆け下りて。散歩でもしてくるね、と笑ってその場を後にした。上手くやれたのかは分からない。二人は少し驚いた顔をしていたが、あのまま彼女たちの話全てを耳にするよりは、ずっと良かったはずだ。

「大丈夫……私は幸せ」

 呟いて、虚しくなる。

 私の人生なんだから、お母さんが心配なんてしなくていいんだよ。そう言ってしまえばいいのだが、そう簡単にもいかない。そもそも母は、私には絶対に言ってはこないから。一度、失敗しているからだろう。可哀想だとでも思っているのだろうか。あの生活を守れなかった娘を情けないとでも思っているのかもしれない。だから、この話題に私が触れてしまえば、言い合いになるのは目に見えている。仕事で疲れた心で、わざわざそこに挑んでいくのも馬鹿らしかった。
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