だって、そう決めたのは私
「最近は犬も靴なんて履くのねぇ。あまりに暑いから、何だかこの時間でもまだ危ないんですって」
「えぇ、そうなんですよ。最近は本当に暑いですからね。アスファルトが熱を保ってしまって。人間の感覚で大丈夫だと思っても、ワンちゃんたちは裸足ですからね。肉球を火傷しちゃう子も、結構いるんですよ」

 最近よくある肉球の火傷と熱中症。ペットも人間と同じように、この暑さは体に応えるのだ。うちの子は大丈夫だ、とよく分からない自信を持った飼い主を嗜めるのは、夏の嫌な業務ナンバーワンかもしれない。お前も裸足で散歩してみろよ。何度、そう言いかけたか分からない。

「へぇ」
「ご面倒でも、お散歩に出る前にアスファルトを触ってみるといいですよ」
「なるほどねぇ。お姉さん、お詳しいのね。ワンちゃん飼っていらっしゃるの」
「あ……っと、動物関係のお仕事していまして」
「あら。トリミングとか? あ、それともお医者さんかしら」

 知りもしない人に、素直に素性を明かすのが憚られた。が、かといって隠すことでもないか。そう逡巡してから、獣医をしています、と躊躇いがちに答えた。

「まぁ。ご立派ねぇ」
「あ、いえいえ」
「とても素敵だと思うわ。今の女性はしっかり自分の足で立てるものね。私なんかからしたら、とても羨ましいものよ。とてもいい先生をしていらっしゃるのね。この子を見たら分かるわ」

 婦人が微笑む。ありがとございます、と答えたが、恥ずかしいくらいに消え入りそうな声だった。
 今会っただけの人間に、どんな感情で言ったかは分からない。それが本心でなかったとしても、今の私の心を確実に掬い上げた。弱っているのだな。目頭が熱い。マロンちゃんを撫でて、誤魔化した。婦人と母がダブる。恐らく同じような年代を生きてきた女性だ。羨ましい。そう彼女は言った。もしかしたら母も、そう思う時があるのかもしれない。じゃあ先生またね、と静かに去っていく婦人。その背を見送る私は、数分前よりもずっと、前を向いていた。
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