だって、そう決めたのは私
「どうしたの?」
「あ、いや……ご結婚されていたって知らなくて」
「あぁ。そうだよね。ここはアトリエだからね。生活をしている場所はここじゃないんだ。それに籍も入れてはないし」

 このアトリエを得たのは、偶然だった。元々ここは、叔父が住んでいた家だ。子供のいない夫婦で、二人仲良く暮らしていたのだが、妻が先立ち、追うように叔父も逝ってしまった。そうして残ったこの家を、甥である僕が相続したのである。唯一の肉親であった母は、すぐに売るのも更地にするのも忍びないと決めかねていて、その話をした時は久しぶりに褒められたものだ。ちなみにカナちゃんは、まだここに来たことがない。彼女の実家は偶然にもすぐそこにあるのだが。

「佐々木、まだ新婚さんなんだぞ」
「あ、そうなんですか」
「えぇと、まぁ。昔からの友人ではあるんだけれど」

 カナちゃんのことは、普通に()として素直に話をするようにしている。籍入れていないけれど、表向きは彼女は妻である。変な誤魔化しを入れようとすると、絶対にいつか綻びが出てしまう気がするし。取り繕わなければならない相手は、今のところ僕にはいない。

「そうだ。今度、あちらの会社と親睦会があるんですよね。奥さんいらっしゃるかな。お会いできたら、ご挨拶させてもらいますね」
「あぁ、話しておくよ。多分、そのトリーツ関係の開発の方だよ。獣医の中野って言えば通じるんじゃない?」
「中野さんですね。了解です」

 池内は携帯にメモを打ち込み、佐々木はそれを覗き込む。そして僕は、ちょっと照れくさかった。

 カナちゃんを妻として他人に紹介するのは、あまり慣れていない。池内には、彼女と同居することになった、とまでは話したけれど。佐々木は彼ほど打ち解けていないせいか、緊張も相まって、ニヤニヤしそうになる唇を噛んだ。
< 57 / 69 >

この作品をシェア

pagetop