だって、そう決めたのは私
「え、ええっ」

 結構間を空けたくせに、チープな驚きの声しか出てこなかった。隣のテーブルの人の視線が痛い。ふぅと息を吐き出して、呼吸を整える。そして本当に小さな声で「本気ね?」とだけ問うた。

「本気です。それで、カナコさんに相談に乗っていただければ、と思いまして……厚かましいお願いかとは思うのですが」
「いやいや、そんなこと気にしないで。えぇと……そうだな、今夜は忙しい?」
「いえ、時間作ります」
「分かった。じゃあ、仕事終わったら、ご飯食べながら話しようか」
「はい、ありがとうとざいます」

 そう言った青年は、表情を一変させた。よほど安心したのだろう。何度も頭を下げながら、彼は嬉しそうな顔をして消えていった。それを見届け、私も慌てて席を立つ。急がねばヨーグルトが売り切れるし、弁当を食べる時間が減る。あぁそれから、宏海にも連絡しないとな。手元に残された付箋。そこに書かれた角張った文字をまた見て、少しニヤついた。

『暁子先生のことが好きです』

たったそれだけの文字から、彼の心情が見え隠れする。いつもはもう少し丸みのある文字を書いていたと思ったが。何だか片思いの緊張が、表れているようだ。誰かのこんな感情に触れるのも久しく、応援したくなってしまうな。当然、親友である暁子の気持ちが一番ではあるが。

「人のこと助けてる場合なのかな……」

 そっと、自分の内に向けて呟いた。

 あの日、匡の話ばかりで面白くないと思ったのは、事実だ。そして今、薄っすらと輪郭を捉えつつある感情。でも、まだそれはふわふわとしていて。渉のように、誰かに零すことも出来ない。きっと私は、この心の上澄みのような感情を誰にも触れられたくないのだ。
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